第十五話 ミスターレグナードと甘い銃弾
ある日の昼過ぎ――。
昼食を食べに行ったブランと一緒に、見覚えがある人物が、事務所へやってきた。
ベル・エトワール荘事件で知り合った、ベルジェ・バルガスだった。
「おぉ、ここがお前たちの事務所か!」
ベルジェは、ずかずかと入ってくると、勝手に、来客用のソファーに腰かけた。
驚くノワールが、ブランを見る。
ブランは、眉間に皺を寄らせて、頭を抱えていた。
「お久しぶりです、ベルジェさん」
「ロペス弟、元気だったか?」
「今日は、どのようなご用件で?」
何も話さないブランに代わって、ノワールが聞いた。
「もうすぐ、南レグナード地区で行われる、ミスターレグナードコンテストに、出て欲しい!」
インク・オブ・トゥルース社内に、沈黙が落ちる。
「いや、うちは、そういうのは、やってないので……」
「な、言っただろ? 諦めてくれ」
どうやら、ブランは、ベルジェの依頼を、すでに知っていたようだった。
「冷たいぞ、ロペス兄! 共に釜の飯を食った仲だろう」
「俺が、飯食ってた店に、勝手に、来ただけだろう!」
ブランが、声を荒げる。
「なんで、そんなに、コンテストに出て欲しいんですか?」
ノワールが、呆れながら尋ねる。
「実はな……ご夫人に賞品を頼まれたんだ」
ベルジェの話では、パティスリーフォンテーヌの女主人が亡き夫との結婚指輪をケーキの中に混入させてしまったかもしれないと相談されたという。
「このコンテストは一位は、賞金十万。二位は、商店街の店の商品券。三位は――地元で評判の、パティスリーフォンテーヌが作った、特製チェリーパイだ」
「そのチェリーパイの中に指輪があるってこと?」
「俺一人で出れば、確実に一位……だが、お前ら二人と、三人で出れば」
「一位が、ベルジェさん。二位、三位が、僕たち、ってこと?」
ノワールが目を丸くして言う。
「そうだ! 三人まとめて、賞品を、総取りしようって、魂胆だ!」
「浅ましい……」
ノワールが、冷ややかに、呟いた。
一方、ブランは、げんなりした様子で興味がない様子だった。
◇
結局、押し切られる形で、三人は、コンテストに出場することになった。
その日のレグナード地区はレグナードコンテストという祭りもあり、王都中から人が集ま賑わっていた。
「いいか、ロペス兄!お前は喋るな。顔で勝負だ」
ベルジェが用意した美容師に髪をセットしてもらっているブランは寝ている。
「次にロペス弟!お前は王族のように軽やかに手を振り微笑め」
「王族のように軽やかって意味が分からないし……普通に出るよ」
ノワールはベルジェを適当にあしらう。
そして、ミスターレグナードコンテストが始まった――。
参加者が会場に用意されたステージに上がる。
大きく手を振り、力こぶをアピールするベルジェに対して。やる気がなさそうに壇上から遠くを見るブランと、いつもの微笑を浮かべて控えめに手を振るノワール。
司会が一人ひとりに特技を質問した。
参加者が答えていく。
ブランの順番になった時、ブランが観客席を指差す。
「俺は人より目が良くてね。黄色い小花柄の服のご婦人、鞄を確かめた方がいい。そして、会場の警備員。茶色のキャスケットを被った顎髭の男に話を聞け。」
会場は一瞬静まり返ったが、視線が一斉にブランが示した方へ向かう。
茶色のキャスケットを被った男が視線から逃げるように人混みから抜け出した。
それと同時に黄色い小花柄の服を着た女性が叫んだ。
「お財布がない!」
その声を聞いた警備員が茶色のキャスケットを被った男を取り押さえた。
「ほ、本当に目が良いんですね」
司会が慌てて話し出すと、会場から拍手が沸いた。
「次の出場者は、先ほどの方のご兄弟ですね」
ノワールの番になった。
「兄が目の良さをアピールしたので、僕はこの声で。歌を歌います」
ノワールはアカペラで歌い始めた。
その歌は、レグナードの歴史の歌だった。
レグナードは、かつて出稼ぎで地方から人が集まった街だ。故郷へ帰る者もいれば、この街に残る者もいた。だからレグナードには、故郷を想う人と、ここを故郷と呼ぶ人がいる。
「故郷へ帰る――人がいる」
柔らかな声が、会場を包む。
「ここに残ると――決めた人もいる」
最後の一音が長く伸び、やがて静かに消えていく。
会場が静まり返る。
その時、誰かが拍手をした。
その音に我に返った観客たちが一斉に拍手する。
「私の亡くなった父もレグナードに残ったひとでした、とても素敵な歌でした」
司会者は目にうっすら涙を浮かべて言った。
そして、ミスターレグナードコンテストの発表が行われた。
――結果は、ベルジェの目論見とは、まるで違うものになった。
優勝したのは、なんと、ノワールだった。
ベルジェは圏外だった。
「な、なぜだ! 俺が一位のはずだったのに!ロペス兄でさえ、審査員特別賞だぞ」
ノワールは、涼しい顔で、優勝賞品――賞金を受け取ると、三位の入賞者のもとへ向かった。
「すみません、その賞品、僕の賞品と、交換していただけませんか?僕、チェリーパイに目がなくて」
三位の入賞者は、金貨十枚という破格の条件に、二つ返事で了承した。
こうして、ノワールの手元には、三位の賞品――特製チェリーパイが、渡ることになった。
「これが、噂の、特製チェリーパイか」
ブランが、ケーキの箱を、覗き込む。
中に入っていたのは、艶やかな、チェリーパイだった。
「そういえば……」
ノワールが、ふと、首を傾げた。
「僕、コンテスト会場でパティスリーフォンテーヌの出店の前を通った時、店頭に並んでたケーキ、見たんだけど」
「どうした?」
「あれ、確か……アップルパイだったよ」
「アップルパイ?」
ブランの目つきが、鋭くなった。
「コンテストの懸賞品は、チェリーパイ。店頭で、売られていたのは、アップルパイ……」
「同じ店の、同じ日の商品なのに、種類が、違う?」
「普通、まとめて仕込むなら、同じフィリングを、使い回すはずだ」
ブランが、静かに、呟いた。
「チェリーパイを作った時に何かがあった――」
◇
ロペス兄弟は、そのパティスリーを、訪ねることにした。
店主は、憔悴した様子の、未亡人――マリー・フォンテーヌだった。
「あの、何か、御用でしょうか?」
「コンテストの、懸賞品について、少し、伺いたいことがあります」
ブランが、静かに、切り出す。
「な、なにか、問題でも?」
マリーの声が、わずかに、震えた。
「チェリーパイだけ、特別に、一つだけ、作られていたようですが」
その一言に、マリーの顔から、血の気が引いた。
「そ、それは……夫の、形見の指輪がないと気づいたのが、コンテスト委員会の方が懸賞品を取りに来られた後で……フィリングの中を探しても見つからなかったから」
「指輪、ですか?」
ブランが、静かに、彼女の目を見た。
「では、チェリーパイの中を、確認させていただいても?」
「そ、それは……ベルジェさんにお願いしたんです、あなた方じゃありません!」
マリーの態度は、明らかに、不自然だった。
「マリーさん、この商品は僕のです」
ノワールは優しい口調で、ケーキ箱を開いた。
◇
ロペス兄弟が、ケーキを、丁寧に、切り分けていくと――中から、指輪ではなく、一つの、小さな金属片が、出てきた。
それは――潰れた、銃弾だった。
「これは……」
「どう見ても指輪じゃ、ないね」
ノワールが、静かに、マリーを見た。
マリーは、その場に、崩れ落ちた。
「調べさせてもらった。あなたのご主人が亡くなった日――それは、このチェリーパイがコンテスト委員会に渡された日だ」
ブランが紙を出した。
「あなたの供述では、ご主人がキッチンでケーキを食べている時に押し込み強盗が来て、ご主人が殺された……と」
ブランは続けた。
「夫が撃たれた直後なのに、なぜチェリーパイだけは完成品として予定通り納品できたのか」
ブランの鋭い目がマリーを捕えた。
マリーは、震える声で、すべてを、語り始めた。
「夫は……何でも、食い尽くすような、人でした。コンテストの懸賞品と、店の出店用に、いくつも仕込んでおいたチェリーパイなのに、味見だと言って食べ始めて……もう、耐えられなかった」
「それで、殺したのか?」
ブランが、静かに、問う。
「はい……。あの人がチェリーパイを食べている時に、背後から……」
マリーは、顔を覆った。
「憲兵には、私は台所にいて、夫が玄関を背にしていたから、玄関の様子は見えなかったと証言しました」
「発射残渣はなぜ出なかった?」
「お菓子作りの、小麦粉で……誤魔化しました」
「そうやって、工作している最中に、コンテスト委員会の方が、懸賞品を取りに来てしまったんです。中を確かめる余裕なんて、ありませんでした。棚にあった、完成品のチェリーパイを、そのまま、箱に詰めて、渡しました」
「その後、憲兵の取り調べで、現場から銃弾が見つかっていないと聞かされました。……キッチンを、隅々まで探しても、見当たらなくて」
マリーの声が、震える。
「もしかしたら、店に出す予定だった、あのチェリーパイの中に、紛れ込んでいるんじゃないかと思って……こっそり、崩して、確かめました。でも、見つからなかった」
「だから、崩したパイの代わりに、急いでアップルパイが並べられていたのか」
ブランとノワールは、顔を見合わせた。
「では、残る可能性は……」
「はい」
マリーは、力なく、頷いた。
「あの日、コンテスト委員会に、渡してしまった、あのチェリーパイの中しか……もう、ありませんでした」
「なぜ、王都憲兵隊に、相談しなかった?」
ブランが、静かに、問う。
「怖かったんです。……銃弾がパイにある、知られたら、疑われると思って。……だから、自警団のベルジェさんに、指輪を落としたと嘘をついて、探してもらうしか、なかったんです」
だから、彼女は、ベルジェに、噓の理由――指輪の話を、告げていたのだ。
真実を、悟られないために。
◇
マリーの身柄は、静かに、王都憲兵隊へと、引き渡された。
事務所に戻ったベルジェは、複雑な表情を、浮かべていた。
「まさか、あのご夫人が……」
「あなたのせいじゃ、ありませんよ」
ノワールが、静かに、フォローする。
「俺は利用されていたということか……」
「そのおかげで、真実が、明らかになった」
ブランが、静かに、言葉を継いだ。
「もし、この賞品が再び彼女の手に戻っていたら――事件は、永遠に、迷宮入りしていたかもしれない」
ベルジェは、しばらく、黙っていたが、やがて、力なく、笑った。
「そうだな……」
「また、きっと良い出会いがありますよ!」
ノワールが、話題を、変える。
「ああ……って、なぜ、それを!」
ベルジェが、少し、気まずそうに立ち上がった。
「無愛想な兄さんを頼るくらいだからね」
ノワールが悪戯っぽく笑う。
「ほんの、少しだ!ほんの、少し良い人だなーと思っただけだ」
ノワールが、にっこりと、笑った。
「そういうことにしておこう」
ブランがクスリと笑った。
「勝手に、決めるな!」
◇
数日後、王都に出回った告発本に読者たちは驚いた。
『――パティスリーフォンテーヌ殺人事件――
王都南レグナード地区で開催された、ミスターレグナードコンテスト。
その優勝賞品となったのは、地元で評判のパティスリーフォンテーヌ特製チェリーパイだった。
しかし、そのパイの中から発見されたのは、甘い果実ではなかった。
――一発の銃弾。
パティスリーの女主人マリー・フォンテーヌは、夫を殺害した。
彼女が語った「押し込み強盗」という証言は偽りだった。
夫は、店の商品であるチェリーパイを食べている最中、背後から銃撃されていた。
そして皮肉なことに、その銃弾は事件現場から発見されることなく、事件の当日、コンテストの懸賞品として街へ運び出されていた。
もし、この賞品が再び彼女の手に戻っていたら――。
この事件は、永遠に「押し込み強盗による殺人」として処理されていたかもしれない。
真実は、時として甘い菓子の中にさえ隠れている。
しかし、真実は菓子のように甘くない。――ブラザーズ・ロペス』
王都の空には、レグナード地区の、祭りの余韻が、まだ、遠くに、漂っていた。
賑やかな喧騒の裏に、静かに、埋もれていた、一つの真実。
それを、掘り起こしたのは――皮肉にも、ベルジェの、欲張りな、思いつきだった。




