第十四話 質問という名の刃
「実は……母が、宗教団体を潰しました」
インク・オブ・トゥルース社に現れた青年は、開口一番、そう言った。
「……犯罪の相談か?」
ブランが、眉をひそめる。
「いえ。母は、犯罪なんてしていません」
「じゃあ、どうやって潰した?」
青年――トビアス・ラングは、頭を抱えた。
「それが……母は、善意でやっただけなんです」
ノワールが、興味深そうに身を乗り出した。
「詳しく、聞かせてくれる?」
◇
事の発端は、一ヶ月前――。
トビアスの母、マルグリット・ラングが、近所で評判の「ルトーカ教団」に、興味本位で足を運んだことから始まった。
「あら、素敵な建物ね」
マルグリットは、素直な性格の持ち主だった。悪気は一切ない。ただ、疑問に思ったことを、そのまま口にする癖があった。
最初の礼拝で、教団に勧誘されたマルグリットは、その日に入団を決めた。
最初の教祖の説教に、こう質問した。
「神様は、万能なんですよね?」
「はい。全能の御方です」
教団の幹部が、にこやかに答える。
「じゃあ、どうして、会費が必要なんですか?」
幹部の笑顔が、わずかに固まった。
「そ、それは……俗世の汚れを払うためです」
「汚れを神様に押しつける気ですか?」
周囲の信者たちが、ざわめいた。
「我々の信仰するルトーカ様は徳を積んでいるので多少の汚れなど問題ありません」
「汚れを他人に押しつけるのは道徳的ではありません」
周囲の信者たちが、頷いた。
◇
次の礼拝では、教祖が「信仰があれば、病は癒える。薬は毒であり、真の治療は信仰」と説いた。
マルグリットは、また、素直に手を挙げた。
「神様が治してくださるなら、病院は、いらないんですか?」
「……ええ。そうですね」
「でも、教祖様。グレイス歯科には通われていますよね?虫歯は信仰では治せないんですか?」
教祖は、額に汗を浮かべながら、曖昧に頷くしかなかった。
その日から、マルグリットの公開質問は禁止となった。
◇
質問を禁止されたマルグリットは、ルトーカ教団の「聖なる水」の作成を命じられた。
教祖様が祈りを捧げた神聖な水だから、千倍に薄めるようにと幹部から指示を受けた。
――いつも信者たちを思い、教祖のみが汚れを負うことに心を痛めてマルグリットはその水で教祖にコーヒーを用意した。
そのコーヒーを飲んだ直後、教祖の顔色が青くなり、足元がふらつきはじめた。
「誰か、医者を……」
「医者はダメです!だって、聖なる御方の肉体を、俗世の薬で汚してしまうんですから」
マルグリットは医者を呼ぼうとした教祖の手を止めた。
「は、離しなしゃい。あーた、飲み物に……なんか……入れまーたね?」
呂律が回ってない声で教祖が言った。
「はい!聖なる水でコーヒーを入れました」
傍にいた幹部が、慌てだした。
「教祖様はいつも信者のために尽くしてくださっていますもの。一番良いものを召し上がっていただきたくて、原液で淹れました」
「聖なる水……薬が……!」
幹部が、慌てて収拾しようとした、その時にはもう遅かった。
意識が朦朧とした教祖がベラベラと喋りだした。
「あの水はーー馬鹿な信者を、せーしん安定剤を盛って、コントローりゅするためのものら!」
「信徒に毒を盛っていたのですか?!」
マルグリットの声は、大きくはなかった。だが、静まり返った礼拝堂には、はっきりと響いた。
ついに教祖は、その場に崩れ落ちた。
「た、大変! 教祖様が!」
幹部たちが、駆け寄った。
「…る水…、く…の…あわ……」
教祖が何かを言った。
すると、幹部が、慌てだした。
その時、マルグリットが、静かに手を挙げた。
「あの、薬の飲み合わせって、何ですか?」
「な……」
「今、教祖様が薬の飲み合わせって仰りましたが?」
「そ、そんなこと言ってない!」
「精神安定剤と、他の薬を一緒に飲むと、体に良くないことがある、って、うちの近所のお医者様が、言っていました。今の教祖様の様子、それに、当てはまりませんか?」
礼拝堂に、重い沈黙が落ちた。
信者の一人が、震える声で呟いた。
「会費のこと、聞いた時から、変だと思ってたんだ」
その一言をきっかけに、次々と、疑問の声が上がり始めた。
「歯医者の話も……」
「聖なる水って、結局、何だったんだ?」
積み重なった、悪意なき正論の数々。
それは、いつの間にか、教団の土台そのものを、静かに、しかし確実に、崩し始めていた。
◇
その日のうちに、教祖は入院しルトーカ教団は、事実上の解散に追い込まれた。
教祖と幹部たちは、精神安定剤の不正投与、詐欺的な会費の徴収などの疑いで、王都憲兵隊に事情を聞かれることとなった。
マルグリット本人は、事の顛末を、まったく理解していない様子だった。
「私、何か、悪いこと言いました?」
ただ、素朴な疑問を、口にしていただけ。それだけのつもりだった。
◇
「……つまり、あなたのお母さんは、あの保安局も手を焼いたルトーカ教団を一人でぶっ潰したわけか?」
ブランが、こめかみを押さえながら言う。
「悪意も、計画も、何もなく、ただ純粋な疑問だけで、詐欺教団を、内側から崩壊させたって?」
「はい」
トビアスが、力なく頷いた。
「母は、今も、『私、何も悪いことしてないのに、なんで皆に感謝されてるのかしら』って、首を傾げてます」
ノワールが、思わず、噴き出した。
「兄さん、これ、事件でも何でもないよ。ただの……」
「痛快な話だ」
ブランも、珍しく、口の端を上げていた。
◇
数日後、王都に出回った記事には、これまでとは違う、軽やかな筆致で、こう記されていた。
『ルトーカ教団。信仰を利用した詐欺教団が崩壊――。
その原因は、告発でも、潜入捜査でもなかった。
一人の、ごく普通の主婦が、ただ、素朴な疑問を、口にし続けただけだった。
嘘は、複雑な追及には、案外、耐えられる。
だが、あまりにも素直な問いには、驚くほど脆い。
純粋な問いは、時に、剣よりも鋭い。
――ブラザーズ・ロペス』
◇
事務所に戻ったノワールが、笑いを堪えながら言った。
「僕らも見習うべきかもね。難しく考えずに、ただ、素直に聞くこと」
「今度、依頼人が来たら、まず『それって、おかしくないですか?』って聞いてみるか?」
ブランが、珍しく軽口を叩く。
「トビアスママみたいにね」
ノワールが、クスクスと笑った。
窓の外では、王都の空が、穏やかに晴れ渡っていた。
時には、鋭い推理や、緻密な調査よりも――ただの「なぜ?」の一言が、何よりも強い武器になることもある。
その日、ロペス兄弟は、そんな当たり前のことを、少しだけ、思い出させられたのだった。




