第十三話 公にできない真実
「私を、結婚させようとする組織があります」
インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、若くして公爵位を継いだ女性、ローズ・アストリアだった。国内でも有数の資産家として知られる彼女は、二十四歳にして、まだ独身を貫いていた。
早くに両親を亡くし、爵位と家督を若くして継いだ彼女には、「結婚市場における最上の獲物」という、望まぬ肩書きがついて回り、縁談の申し出は、数え切れないほどあった。だが彼女は、そのすべてを、静かに、しかし頑なに断り続けてきた。
「求婚なら、断ればいい」
ブランが、淡々と言う。
「求婚なら、問題ではないわ」
ローズの声には、隠しきれない緊張があった。
「私が恐れているのは、断る余地さえ与えられない形で、既成事実だけを、外堀のように積み上げられることです」
「どういうことだ?」
「貴族は世間体を気にします。醜聞の的になるなど死を意味します。彼らは、それを利用したのです」
「『傷物にする』ってこと?」
ノワールが口を開いた時、ローズは一瞥した。
「……被害者は一人ではありません」
「王都憲兵隊がなぜ動かない?」
ブランが言うと、ローズは鼻で笑った。
「被害届が出ていないのですから、当然でしょ?」
ローズは軽蔑するような表情をして溜め息をついた。
◇
ロペス兄弟は調査を開始した。
まずは、公になっていないというローズの情報の裏取りからだった。
ノワールは夜会に潜り込んだ。
今夜の夜会は身分が高い貴族が多く出席するということで、ローズ自ら紹介状を用意した。
扇で表情を隠しているが、令嬢たちはノワールを品定めしているようだった。
(品評会に出てる気分だ……)
その時だった。ノワールの腕を誰かが組んできた。
(ローズ・アストリア?!)
「平然としてなさい」
ローズは表情を変えずに、小さな声でノワールに言った。
ローズの効果は偉大だった。先ほどまで、警戒していた令嬢があっという間にノワールたちを取り囲む。
「ノワール、挨拶して」
ローズはノワールに目配せをした。
(恋人のふりをしろってことね……)
なぜ、この男になら、頼めると思ったのか。ローズ自身にも、うまく説明がつかなかった。
これまで言い寄ってきた、どの男の視線にも、彼女は覚えのある不快感を抱いてきた。だが、ノワールの隣に立った時、その不快感は、不思議と、なかった。
――ただ、それだけのことだった。彼女は、それ以上、深く考えないことにした。
「ごきげんよう。皆様はロージーのご友人かな?」
「先ほどは失礼しました。最近、社交界でも噂があったもので……私の家も有名貴族なので、警戒してしまいました」
「ああ、あの話ね。もしかして、お知り合いに被害に遭われた方がいたとか……」
「ええ。実は遠縁なのですが――」
一人が口を切ると次々と被害者の話が出てきた。
彼女たちの話によると、手口は似たものだった。夜会で親しくなった男性と話していた時に意識が朦朧とし始め、目が覚めたら翌朝、「同じ部屋で寝ていた」という既成事実だけが残るというものだった。
しかも、令嬢自身には記憶がない。
女性たちは名誉や醜聞を恐れ、格下貴族男性と結婚したというものだった。
「彼女たちは、結婚を拒否しなかったの?」
「どうせ、家柄の合う人と結婚させられるだけですもの。変わらないわ」
(それがこの犯罪表沙汰にならない理由か)
◇
一方、ブランは最近格差結婚をした夫婦を調べていた。
十数家に及ぶ、弱小貴族たち。男爵位、子爵位――ローズのような高位の令嬢に、求婚すらできない家格の者たちだった。
「それにしても数が多すぎる」
一組、二組であれば『純愛』で通るが、この一年で十件近くはさすがに異常に感じた。
違和感はそれだけではなかった。
貴族男性たちには奇妙な繋がりがあり、それぞれが事業支援や取引で繋がっており、関係図をまとめていくと円のように繋がっていた。
◇
ブランがインク・オブ・トゥルース社に戻ると、そこにはローズもいた。
「なんで依頼人がいる?」
ブランが不機嫌そうに言うと、ノワールは今日の夜会で起きた出来事を話した。
ノワールが令嬢たちから情報を聞き出している時だった。気がつくとローズの姿が消えていた。
バルコニーに一瞬だけローズのドレスが見えたので、ノワールは向かった。
すると、不自然に護衛に止められた。そして、貴族男性がノワールに話しかけてきた。
「ここは今貸し切りだ」
男の肩越しから見えたローズは、格子につかまっていなければ、立っていられない様子だった。
ノワールはジャケットをめくり、ホルスターを見せた。
「手荒な真似はしたくない」
ノワールがそう言うと男は外にいた男に合図を送った。
「ノ……ワール」
ローズの目は虚ろだった。
「――で、その場に放っておくわけにもいかないから連れてきたんだ」
ローズはソファーで眠っているようだった。
「医師の見立てでは、睡眠薬のようなものを盛られたようだね。」
「今日の夜会があったのはどこの家だ?」
ブランは名簿を取り出した。
「その名簿を見せて」
ノワールが名簿の文字を追う。
「ヴェルティエ子爵家だね……いた。先月、高位貴族と結婚した家だ。」
その時、ローズが頭を押さえながら顔を上げた。
「その名簿に……デュボワって名前はある?」
「デュボワ。関係図にデュボワ男爵はある」
「そいつよ……私に飲み物を勧めたのは」
ローズは立ち上がろうとしたが、ふらつきが強く立てなかった。
「このままで。まだ薬物が抜けてない。水は飲めそう?」
ノワールがローズを支える。
「ターゲットへ誘い出す家。護衛を巧みに引き離す家。薬を用意する家。証人役を買って出る家。そして、高位貴族に近づく家――連携が取れている」
手口は安易に想像できた。夜会で、令嬢に薬を盛る。意識の朦朧としたまま、用意された部屋へと運ぶ。翌朝、「同じ部屋で寝ていた」という既成事実だけが残る。令嬢自身には、記憶がない。
貴族社会の中では、それだけで、「責任を取れ」という空気が作られてしまう。
あるいは、教会で、婚約届に酷似した書類に、朦朧としたまま署名させる。翌日には、新聞に「婚約成立」の文字が躍る。
「詐欺より汚いやり方だね」
「ああ、詐欺は金だけだが、こいつらは人生を奪う」
◇
ロペス兄弟は、これまでの被害者とされる令嬢たちの記録を、一つ一つ洗い直した。
だが、調べれば調べるほど、驚くべき事実に突き当たった。
「全部、法制度の盲点を突いている」
ブランが、苦々しく呟く。
「薬は、睡眠導入剤として、正式に処方されたものだ。書類は、本人の署名がある。証人も、法的な手続きに則っている」
「誰も、決定的な犯罪を、していない、ということ?」
ノワールが、資料を睨みながら言う。
「一つ一つの行為だけを見れば、な」
◇
ブランは、関係者の相関図を、机いっぱいに広げた。
「黒幕は、一人じゃない」
調べを進めると、彼らの間には、複雑に絡み合った貸し借りの関係があることが分かった。
役割は、固定されておらず、毎回、ローテーションするように入れ替わっていた。
「パスを回すように、それぞれフォーメーションが変わっていくみたいだ……」
ノワールが、絶句する。
「全員が、全ての役割を、担っているってこと?」
「ああ」
ブランが、頷く。
「最初は、ちょっとしたアシスタントだったんだろう。だが、一つの婚姻が成立するたびに、その恩恵が、関わった全員に、少しずつ回ってくる」
富。人脈。社交界での地位――。
「成功体験が、積み重なるほど、彼らの中で、罪の意識は薄れていった。……『自分たちは、間違っていない』。『これは、悪いことじゃない』。誰も、声を上げない。誰も、疑問を持たない」
「集団が、集団自身を、正当化していったんだね」
ノワールが、静かに言う。
「反対する者がいれば、圧力をかけて黙らせる。都合の悪い情報は、誰かが、うまく揉み消す。……気づけば、全員が、加害者であり、共犯者になっていた」
ブランは、資料を、静かに閉じた。
「これは、共同して計画し、役割を分担した犯罪だ」
◇
次の夜会の夜――。
いつも通り、令嬢に薬を盛り、既成事実を作ろうとする、その瞬間だった。
「そこまでだ」
会場に、ブランの声が響いた。
「やあ、この前の夜会ぶり」
薬入りのシャンパングラスを手に持っていたのは、バルコニーへ行く手を阻んだ男だった。
「デュボワ男爵、ヴェルティエ子爵、ラフォン男爵、クレモン子爵、ロシュ男爵、ヴァレール子爵、ドレ男爵、そして、今夜の花婿役は――オリヴィエ・マルソー子爵」
ブランは、一人一人の名前を、淡々と読み上げていった。
会場が、凍りつく。
「今回の花婿役だったマルソー子爵は、半年前は証人として発言しており、その前は夜会の主催だった」
「しょ、証拠はあるのか!」
「八件すべてで役割が入れ替わっている。主催者、証人、仲介役、花婿役。八人全員が全ての役を経験するなんて、説明できるか?」
ブランは証拠書類を掲げる。そして、書類を数える度に一人ひとりに視線を送った。
「一度なら偶然、二度なら疑い、八度続けば、それは計画だ」
男たちは視線を逸らした。
「王国交渉人として、告げる」
ブランの声が、夜会の空気を、切り裂いた。
「あなた方が行ってきたことは、個別に見れば、合法かもしれない。だが、役割を分担し、互いに恩を回しながら、意図的に既成事実を積み上げていく行為は――組織的な婚姻詐欺に他ならない」
貴族たちの間に、動揺が走る。
「全貴族に、警告する!」
ブランは、一歩も引かず、続けた。
「今後、同様の連携が確認された場合、関わった全員を、共同正犯として扱う。あなた方の『互助会』は、ここまでだ」
会場は、静まり返った。
誰一人として、反論できる者はいなかった。
◇
数日後、王都に出回った告発本には、こう記されていた。
『一人では、決して踏み越えられない一線がある。
だが、役割を分け合い、責任を薄め合えば、人は驚くほど簡単に、その一線を越えてしまう。
「自分は、一部を担っただけだ」
その言い訳が、共犯者を生む。
愛は、作るものではない。
作られた愛は、愛ではない。
真実の愛は、本人たちだけが築くものだ。
――ブラザーズ・ロペス』
この記事をきっかけに、王都の貴族社会は、大きく揺れた。関わった十数家は、それぞれ、爵位や社交界での地位を失うこととなった。
◇
事件の後、ローズが、事務所を訪れた。
「あなた方には、借りができたわ」
彼女は、深く、頭を下げた。
「私の人生を、守ってくれた」
ブランは、少し困ったように、視線を逸らした。
「借りを返す機会なんて、来ない方がいい」
ローズは、その言葉の意味を、正しく理解したようだった。
「……そうね」
小さく笑い、彼女は、事務所をあとにした。
窓の外には、王都の穏やかな午後の光が、差し込んでいた。
ひとつの連鎖が、時に、人を守る絆にもなれば、時に、罪を分け合う共犯関係にもなる。
その境界線は、驚くほど、脆く、曖昧なものだった。




