第十二話 空回る正義
「不審者が、出るんです」
インク・オブ・トゥルース社を訪れたのは、アパート「ベル・エトワール荘」の管理人、アルベール・フォールだった。
「ベル・エトワール荘というと……あの星の窓ガラスのアパートだ」
ノワールが、名前を口にする。
「ええ。王都近郊では、評判のアパートなんですが」
アルベールは、疲れた表情で、続けた。
「最近、住人から、不審者の目撃情報が、相次いでいまして。自警団長の、ベルジェ・バルガスさんが、熱心に見回りをしてくれているんですが……詳しい話を、聞いてやってもらえませんか?」
「分かりました」
◇
ロペス兄弟は、アパートを訪れ、自警団長のベルジェと合流した。
「フォールさんから、聞いたか?」
ベルジェは、豪快な体格に、困惑した表情を浮かべていた。
「ここ最近、さらに、警備を強化しているんだ。なのに――むしろ、不審者の報告が、増えている」
「増えている?」
ブランが、眉をひそめる。
「俺の見回りから逃れるとは、相手は幽霊かも知れん!」
「幽霊?」
話し合いの末、三人は、役割を分けることにした。
ノワールは、住人への聞き込みを始めた。
「深夜に、ドアノブを、回されたんです」
「ドアノブですか?夜間にそれは怖いですね」
「酔って部屋間違えた人なら迷惑な話で終わるんですが……ゆっくりドアノブを回して、ドアを開けようとしたんです!」
一人目の住人が、震える声で、証言した。
「外に干していた、洗濯物が……いつの間にか、畳まれていて」
「洗濯物が?それは気持ち悪いですね」
「もう外干しできないです」
二人目の住人が、困惑した様子で言う。
「デリバリーで頼んだお皿、玄関先に、置いてあったはずなのに、……気づいたら、洗われていたんです」
「犯人は皿を持って帰って、洗って戻した?意味が分からないですね」
「いつもデリバリーを頼む店から言われるまで知らなくて」
三人目の住人は、なぜか、少し、怯えていた。
「深夜、誰かの気配がしたので、ドアスコープを覗いたら……真っ白でした」
「……真っ白?」
「次の日、見た時は普通に見えていたので、ドアの前にいたのかも……」
四人目の住人の証言に、ノワールは、しばらく、考え込んだ。
ブランは、被害状況の検証をした。
「証言によると……ドアノブ、洗濯物、出前の皿、ドアスコープ」
共用廊下の見通しは良く、死角はなかった。
洗濯物を取り込むならベランダに入らなくてはいけない。
出前の皿を洗えるような水道は外に設置されていない。
そして、ドアスコープ――。
塞ぐなら黒く見えるはずが白い。光が入っているということだ。
「これだけ目撃されているのに、やめる気配がない。普通なら、人目を気にするはずだ」
ロペス兄弟が調べている間もベルジェは、これまで通り、見回りを続けることになった。
三人が、それぞれの持ち場で調査を続けていた、その時だった。
「動かないでください」
王都憲兵隊の一団が、突然、三人の前に現れた。
「不審者がいる、との通報が、入りましてね。お話聞かせていただけますか?」
ロペス兄弟とベルジェは、慌てて、事情を説明した。憲兵たちは、しばらく話を聞いたあと、渋々、引き下がった。
「一体、俺たちの目を、くぐり抜けて、どうやって、通報者の部屋に、忍び込んだんだ?」
ベルジェが、腕を組み、唸る。
再び二手に分かれて、ロペス兄弟が、侵入経路を、改めて調べようとした、その時――。
「きゃあああああ!」
建物の中から、悲鳴が響いた――。
悲鳴のした部屋に駆けつけると、そこには、住人のエレーヌ・パジェと、ベルジェが、向き合って立っていた。
「こ、この人!この人が不審者よ」
エレーヌが、ベルジェを、指差しながら叫ぶ。
「お、俺?!」
ロペス兄弟は、慌てて、間に入り、事情を説明した。
「私、深夜に、この人が、何度も、建物の中を、うろうろしているのを、見たんです!」
エレーヌが、震えながら証言する。
「それは、自警団の、見回りです」
ブランが、静かに、フォローする。
「でも……一軒一軒、ドアノブを、回していたのも、見ました」
その言葉に、ロペス兄弟は、ベルジェの方を、振り向いた。
「施錠確認だ!ちゃんと、鍵が閉まっているか、確かめてただけだ!」
「深夜の、二時に、ですか?」
エレーヌが、詰め寄る。
◇
ロペス兄弟の中で、点と点が、静かに、繋がり始めた。
「もしかして……」
ノワールが、恐る恐る、尋ねる。
「人の洗濯物、勝手に畳んだ?」
「急に、雨が、降ってきたからな!濡れたら、可哀想だろう!」
ベルジェが、堂々と、答えた。
「デリバリーの皿は?」
ブランが、続けて、尋ねる。
「置きっぱなしだと、虫が湧く。だから、ついでに、洗っておいた」
「じゃあ、ドアスコープに、何をした?」
「ああ、あれか。中から、不審者が、はっきり見えるように、綿棒で、綺麗に、掃除しといたんだ」
ロペス兄弟は、揃って、がっくりと、肩を落とした。
「全部、あんただ……」
ノワールが、力なく呟く。
「は? 俺は、不審者から、住人を、守ろうとしただけだぞ!」
ベルジェが、心外だという顔で、声を上げる。
「あんたの、その『善意の見回り』こそが……」
ブランが、深く、息を吐きながら、告げた。
「不審者情報の、正体だ!」
あまりに熱心な警備が、あまりに不自然な『気配』を生み、それが、次々と、新たな通報を、呼んでいたのだ。
◇
数日後、王都に出回った記事には、これまでとは違う、軽やかな筆致で、こう記されていた。
『ベル・エトワール荘を騒がせた「不審者」の正体は、住人を守ろうとするあまり、暴走してしまった、一人の自警団長だった。
ドアノブの施錠確認。雨に濡れた洗濯物の取り込み。デリバリー皿の後片付け。そして――念入りすぎる、ドアスコープの清掃。
男の善意は、ベル・エトワール荘に混乱を生んだ。
小さな親切、大きな恐怖――。ブラザーズ・ロペス』
「まったく……お前らのせいで、恥をかいたぞ」
ロペス兄弟は言葉を失ったまま、ベルジェを見つめていた。
「でも、悪気は、なかったんですよね」
ノワールが気を取り直して、フォローする。
「当たり前だ! 俺は、ただ、みんなを、守りたかっただけだ!」
「今度から、常識的な時間に余計なことはしないでくださいね」
ブランが、真顔で、釘を刺した。
「わ、分かってるよ……」
ベルジェが、しゅんと、肩を落とす。
その様子に、ノワールが、思わず、噴き出した。
「兄さんとベルジェさん、気が合いそうだね」
「は?」
ブランが、短く、返す。
アルベールも、事の顛末を聞いて、安堵の表情を浮かべていた。
「これからも、よろしくお願いしますね、ベルジェさん」
「おう! 任せとけ! ……あ、でも、常識的な時間にな」
王都の空には、いつも通り、穏やかな夕暮れが、広がっていた。
ベル・エトワール荘には、今日も、少しだけ、賑やかな平和が、戻ってきていた。




