第五話 借りの話②
Date: 2016年5月2日 13:45
Location: 野戦病院
Person: 榊恒一中尉
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通路脇で一人の将校が待っていた。
見覚えのある顔だった。昨日、WFMAR本部で別室へ案内してきた細身の将校だ。今日も相変わらず、机仕事の匂いがする顔をしている。
「榊中尉」
「またですか」
「安心しろ。今日は椅子に座らせるほど長くは取らん」
その言い方が少しだけ癪だったが、昨日よりはましだった。
「何でしょう」
将校は手元の書類を軽く持ち上げて見せた。
「病院側の聴取が終わった。エリック少尉の証言は、君の報告と概ね一致している」
「そうですか」
「先日の件については、これで一応の片が付いた」
榊は無言でうなずいた。一応、という言い方がいかにも本部らしい。完全に終わることなど何一つないのだろう。
「ただし」
やはり、ただしが付く。
「病院記録も含めて、向こうへ回す」
「AMARIですか」
将校はわずかに眉を上げた。
「察しがいいな」
「昨日聞きました」
「近接や付与だけが目当てじゃない。重傷下で教本術式を通した新人士官の事例にも、多少興味を示している」
榊は短く息を吐いた。
「一件で二人分ですか。書類好きにはたまらないでしょうね」
将校は口元を少しだけ緩めた。
「そう腐るな。書類の上で残るというのは、悪いことばかりじゃない」
「そうですか」
「少なくとも、現場で何が起きたかを、現場にいなかった連中へ押しつける材料にはなる」
それはたしかにそうだった。記録がなければ、後方は好きに解釈する。記録があっても好きに解釈するが、少しは面倒になる。どうやら話はそれで終わりだったらしく、挨拶もそこそこに将校は踵を返し去っていった。
病院を出ると、日差しはもう昼へ近づいていた。地面が白く照り返し、故障した戦車が大型トレーラーで運ばれていく。FOBへ戻る途中、補給テントの脇でラジードとマックスが煙草も吸わずに立ち話をしていた。 二人とも煙草をやめたわけではない。ただ、そういう顔ではなかった。
「どうだった」
ラジードが聞く。
「喋れた」
「若者は何て言ってた」
「強くなりたいだそうだ」
「はは。若いな。威勢がいいのはいいことだ」
ラジードは笑ったが、すぐ少し真面目な顔になった。マックスが腕を組んだまま言う。
「初陣であれなら上等だ。ただし次は死ぬぞ」
「おい、せっかく褒めてるんだから最後まで褒めてやれ」
「甘やかすのは教育じゃない」
「お前、ほんとに嫌な教師だな」
ラジードが肩を揺らして笑う。
その笑いは軽かったが、軽薄ではなかった。
「まあ、でも」
彼は少しだけ空を見てから続けた。
「ボンボンじゃなかったな」
榊はそれにすぐ返事をしなかった。昨日までなら、ああいうのは実戦に向かないと切っていたかもしれない。
だが今は少し違う。
ボンボンかどうかは知らない。ただ、折れなかった。それだけで前線では十分に意味がある。
「そうだな」
ようやく榊が答えると、マックスがちらりとこちらを見た。
「何だ」
「いや」
マックスは視線を戻した。
「お前があっさり認めるのは珍しいと思ってな」
「認めてはいない」
「じゃあ何だ」
榊は少し考えてから言った。
「次に死なせないことを考えてる」
ラジードが片眉を上げる。
「おやおや」
「何だその顔は」
「いや。押しつけられた新人が、ずいぶん出世したもんだと思ってな」
榊は舌打ちした。
「うるさい」
「いいじゃないか。面倒を見る相手が増えるのは、長生きの秘訣だぞ」
「どこの理屈だ」
「俺の理屈だ」
マックスがそこで会話を切るように言った。
「ふざけるのは後だ。厄介ごとが向こうからおいでなすった」
ハサンが小走りでやってきた。いつものように書類板を脇に抱え、通信機のコードを肩から垂らしている。
ラジードが空を仰ぎ、やれやれとつぶやいた。
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小隊本部の簡易テントには、すでに数人集まっていた。
地図板の上には見慣れない赤鉛筆の線が引かれている。西部方面の外縁。いつもの掃討区域より、少しだけ嫌な位置だ。
小隊長は紙を一枚持ったまま、顔を上げずに言った。
「任務だ。行方不明者の捜索救助を行う。」
誰も口を挟まない。
「汚染域外縁で調査部隊の輸送機が消息を絶った。搭乗員の一部は離脱した可能性あり。魔術師一名、通信要員一名が未帰還。識別票と記録媒体の回収も優先対象に入る」
テントの空気が少しだけ硬くなる。
汚染域……中東戦線がもっとも押し込まれた際に、軍部はまだ理論段階であった魔術を組み合わせた核攻撃を実施した。組み込んだ魔術により放射能汚染を軽減すると考えられていたらしい。確かに放射能は少なく、そういった意味での汚染は皆無だった。一方で環境が非常に不安定になった、これは魔力的にである。汚染域で死んだ人間はなぜか結晶質に変わる。変化した遺体は魔獣が持ち去ることで知られ、珪素生物のもとに運んでいると考えられている
「出発は30分後。詳細は移動中に詰める」
小隊長がそこで顔を上げた。
「時間との勝負になるだろう。すぐ出発するぞ。急げ」
マックスはもう持ち物の確認に入っていた。
「回収班の燃焼手榴弾を増やせ。術者遺体があるなら、最悪焼く判断もあり得る」
アリアが腕を組んだまま言う。
「車両は三両とも出すのか」
「出さない。今回は送迎がある。」
ハサンは地図へ身を乗り出し、ルートを書き写している。アイシャは弾薬箱の中身を無言で数えていた。榊は配られた命令書を一度だけ読んだ。紙の上の文字は事務的で、容赦がない。ラジードが横から覗き込む。
「ため息はつかないんだな」
榊は紙を折ってポケットにしまった。
「ついても何も変わらない」
「違いない」
「ラジード。第一分隊、装備確認」
「了解」
「マックス、第二分隊は支援前提で組み直せ」
「了解」
「榊」
小隊長がこちらを見る。
「お前が先導しろ」
榊は短く答えた。
「了解です」
テントを出ると、基地の昼はもう完全に始まっていた。遠くで車両がうなり、整備兵が怒鳴り、どこかで誰かが飯のことで揉めている。野戦病院の白布は陽光の中でやけに明るく見えた。その向こうに、まだ寝台の上から動けないエリックがいる。
置いていかれる側、というのは、たぶんあまり愉快ではない。だが、生きて置いていかれる方が、死んで置いていかれるよりずっとましだろう。
榊は新しい斧を腰に差し直し、ローブの留め具を締めた。頭上からはUH-60Lの爆音が降り注ぐ。榊は顔を上げた。
戦争は、もう次の仕事を寄越していた。




