第三話 面談室では静粛に
状況は予断を許さない。
Date: 2016年5月1日 16:33
Location: 前線作戦基地アンヴィル(FOB Anvil)
Person: 榊恒一中尉
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帰還した直後の基地には、妙な静けさがあった。
戦闘が終わったから静かなのではない。
撃ち返す相手がいなくなり、死ぬかもしれない時間だけが幽霊のように消え、ようやく人間が人間の顔に戻る。その手前の、まだ誰も正しい息の吐き方を思い出しきれていない静けさだった。
APCから降りた兵士たちは、誰に言われるでもなく散っていく。弾薬を補充する者。汚れた布で銃を拭く者。無言で水を飲む者。血を洗い流してから、はじめて自分が怪我をしていたと気づく者。
榊はそれを横目で見ながら、装備を一つずつ外していった。ローブの裾に付いた粉塵を払い、拳銃を分解し、腰の手斧に手を伸ばしかけて気が付く。
そうか、砕けたんだったな。
そこへ小隊の衛生兵が通りかかった。
「エリック少尉は?」
衛生兵は足を止めずに答える。
「手術中だ。まだ何とも言えん。予断を許さない、ってやつだ」
それだけ言って、彼はまた足早に医療テントの方へ消えた。
予断を許さない。便利な言葉だ。助かるとも、死ぬとも言わなくていい。
榊は分解した拳銃のスライドを組み直しながら、あの瞬間を思い返していた。壁に叩きつけられ、胸を裂かれ、血を吐きながら、それでもエリックはロックニードルを差し込んだ。軍の教本にも載る初歩術式。詠唱の途中で気を失ってもおかしくない。だが発動させた。
「考え込んでる顔だな」
隣に腰を下ろしたのはマックスだった。
いつものように本を持っている。だが開いたページをほとんど読んでいないことは、榊にも分かった。
「別に」
「別にって顔じゃない」
榊は肩をすくめた。
「新入りが死にかけた。考えることぐらいはある」
マックスは短く鼻を鳴らした。
「死にかけたのはお前もだ」
「死んでない」
「それで済ませるから困る」
それきり二人の間に沈黙が落ちた。
少し離れた場所では、ラジードの鼻歌が聞こえる。いつもより低く、少しだけ外れ方が鈍い。あいつなりに気を遣っているのだろう。
やがて日が傾き、基地全体が橙色の埃に染まる頃、伝令兵が榊のところへ来た。
「榊中尉。WFMAの大隊本部より通達です」
受け取った紙には、事務的な文面が短く印字されていた。
>榊恒一中尉
>翌1300までにWFMAR第102大隊本部へ出頭せよ
>関係記録を携行 要件は到着後示達
それだけだった。榊は紙を見たまま、小さく息を吐いた。
「面倒くさいな」
いつの間にか横から覗き込んでいたマックスが言った。
「なんだってわざわざ呼び出すんだ?」
反対側からラジードが口を挟む。
「心配するな。お前は正しいことをした。証言なら俺たちがする」
「怒られると決まったわけじゃないだろ」
「いや、それはないだろ」ラジードとマックスの声が重なる。
ラジードは陽気に笑ったが、そのあと少し真顔になった。
「……まあ、軍ってのはそういう場所だ。現場で正しかったことを、紙の上でも正しかったことにしなきゃならん」
榊は通達を折り畳んで胸ポケットに突っ込んだ。
「証言より先に出発準備がある」
そう言って立ち上がる。ラジードとマックスはそれ以上何も言わなかった。
翌朝、榊は補給車に便乗してバグダッドのWFMAR第102大隊本部へ向かった。
前線基地から少し下がっただけで、空気は露骨に変わる。
土嚢と鉄板の代わりに整備された舗装路があり、泥と血の匂いの代わりに、コーヒーと油と紙の匂いがする。
バグダッドまでは遠い。
道路の長さではない。そこへ行くまでに、壊れた車両を何台、補給の列を何個、野戦病院の赤いテントを何棟、無事な街灯を何本越えられるかで測る距離だ。
あの村が前線の喉元なら、バグダッドはまだ人間が文明のふりをしていられる最後尾だ。
本部棟は元は倉庫か何かだったらしい。 窓は狭く、壁は厚く、内側には仮設の間仕切りが何枚も立てられていた。
そこへ机、書類棚、通信機、折り畳み椅子が押し込まれている。人間が戦争を長引かせると、どこでも似たような部屋を作るのだろうか。
通された面談室には、四十代半ばほどの少佐がいた。名札には英字でローレンスとある。机の上の書類束は整っていたが、整いすぎていて逆に不気味だった。
「榊中尉。座ってくれ」
「失礼します」
少佐はうなずき、すぐ本題へ入った。
「まず、エリック少尉の件だ。君は小隊の後退行動中、味方負傷者救出のため、命令系統上は独断に近い突出を行っている」
「はい」
「理由は」
「即時に対応しなければ死亡、もしくは敵に回収される可能性が高いと判断しました」
「当時、君自身も危険個体と接敵していた」
「はい」
「それでも突出が最善だったと?」
榊は少しだけ考え、答えた。
「最善かは分かりません。ですが、あの時点では私が一番エリックに近かったので」
少佐はペンを走らせた。顔色ひとつ変えない。
「マックス曹長の制止を無視したのは事実だな」
「はい」
「小隊長の直接命令は受けていない」
「はい」
「なるほど」
問責の声ではなかった。だが、理解も共感もない。ただ記録の形を整えるための問いだ、と榊には分かった。
少佐は紙を一枚めくる。
「もう一つ。エリック少尉は前線研修配置の新人だった。君の見立てでは、あの任務に投入するのは妥当だったか」
面白い聞き方だ、と榊は思った。答えによっては誰かの責任になるが、誰の責任かは最初から机の下へ隠してある。
「少尉は基礎はできていました」
「妥当だったか、と聞いている」
「初陣としては厳しかったかと思います」
少佐はそれを否定も肯定もせず、淡々と書きつけた。そこは深掘りしないらしい。掘れば本部の手元にまで泥がかかるからだろう。
しばらく質疑が続いたあと、少佐はようやくペンを置いた。
「君の判断は理解できる」
その言葉は、丁寧に磨かれた空虚さをしていた。榊はただ「ありがとうございます」とだけ返した。そう返すしかない。
面談は終わりかと思ったが、榊が立ち上がりかけたところで少佐が言った。
「エリック少尉は、あれだけの怪我で魔術を使ったのか」
榊は半歩だけ止まり、振り返った。
「そうです」
少佐は数秒だけ黙り、それから書類に視線を落とした。
「……そうか。有望だな。質問は以上だ」
それ以上は何も続かなかった。その短い言葉だけが、部屋の中に妙に長く残った。
敬礼し、廊下へ出ると別の将校が待っていた。年齢は少佐より若い。細身で、髪をきっちり撫でつけ、机仕事の匂いが濃い男だった。
負傷しても魔術を使うのって妄想の基本だと思う。




