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第十八話 バスラ奪還

夜通し緊張を強いられる兵士たち、それでも朝はきます。

Date: 2016年10月27日 0530

Location: バスラ外縁部 / バスラ市街南西部

Person: 榊恒一中尉


---


前進再開の命令が出た時、空はまだ白みきっていなかった。

夜のあいだ鳴り続けたセントリーガンの警報が、耳の奥に残っている。実際にはもう止まっているはずなのに、短いブザー音だけが時々戻ってくる。寝不足のせいだ、と榊は思った。

小隊は行軍準備を終えていた。セントリーガンは工兵が回収し、弾帯を補填されて車両の後部へ積み込まれる。倉庫の壁際には、夜のあいだ動かせなかった負傷者が担架に乗せられ、後送車両を待っていた。

エリックは地図を膝に置き、ペンを握ったまま目を開けている。眠ったようには見えない。少なくとも、休んだ顔ではなかった。目は赤く充血しているが、それは部隊の大半に同じことがいえた。


「少尉」


榊が声をかけると、エリックは少し遅れて顔を上げた。


「はい」


「今日は無理をするな」


そういった榊自身が無理なことを言っている自覚がある。


「無理をしないですむ状況であればいいのですが」


榊はそれ以上は言わなかった。言って止まるなら、昨日の時点で止まっている。エリックだけではない。全員、同じだった。休めていない。だが前進する。バスラを取るために、前へ出る。

ハサンが無線を受け、短く復唱した。


「アマーラ戦闘団、前進再開。南側のクウェート戦闘団はバスラ市街南部へ進入中。東西の戦闘団も予定通り制圧を継続」


「予定通り、ね」


ラジードが小さく言った。


「今日もそうだといいな」


マックスは装備を締め直しながら答えた。ラジードの軽口も、疲労からか幾分少ない。

榊たちはストライカーへ乗り込んだ。車両が動き出す。砂利がタイヤの下で砕け、乾いた音を立てる。朝の冷えた空気が車内に入り、汗と金属の匂いを少しだけ薄めた。

バスラは近かった。近い、ということは楽になるという意味ではない。市街に近づくほど道は選べなくなり、遮蔽は増え、死角も増える。魔獣は建物の中に入り込む。上から来る。壁を破って来る。地図上の直線距離は短くなっていくが、一歩ごとの重さは増していた。

前方では第五歩兵大隊A中隊が進路を開いている。第三小隊はその側面を補い、必要に応じて崩れた場所へ入る。昨日と同じだ。違うのは、南から押し上げてくる友軍がいることだった。それが、朝のうちは希望に見えた。


最初の異常は、無線の混線の中から来た。


『こちらサンドマン1-6、共通周波数で送信。高脅威個体と交戦中。敵は左肩部に大きな損傷あり。一両行動不能、歩兵損耗多数。支援を要請、誰かいないか』


榊は顔を上げた。左肩部に大きな損傷。車内の雑音が、一瞬だけ遠くなった。


「もう一度言え」


ハサンが榊を見る。すぐに通信へ戻った。


『サンドマン1-6、個体の特徴を再送せよ』


返ってきた声は、落ち着いているように聞こえた。落ち着こうとしている声だった。


『黒色のガラス質外殻で、頭部から肩部に冠状突起。左肩に大きなひび割れ。過去交戦個体の可能性あり。現在、イタリアン・ブリッジ西側商業施設周辺で交戦中』


「あいつだ」


榊は言った。誰に向けた言葉でもなかった。だが車内の全員が聞いた。

アマーラで出た王の獣。腕を砕き、肩口を抉り、結晶冠を割った個体。やはり逃がしたのは痛かった。あれが生きていた。それだけで、朝の空気は変わった。

ハサンが続けて作戦本部からの通信を受信する。


『HQよりフェネック3-6、聞いたな?連合軍が高脅威個体と接触、部隊は半壊状態だ。上級司令部よりアマーラ戦闘団へ支援要請がでた。高階梯個体との交戦経験を有する貴隊を先遣支援に投入することとなった』


本部車両にいるコール小隊長の声が無線に入る。


『フェネック3-6、了解。これより第三小隊はクウェート戦闘団との合流支援へ転進する。だが市街地を突っ切る必要がある。迂回している時間はない。火力支援を要請したい』


『HQ、すでにウィーティア1が向かっている。そちらは移動を開始せよ。アウト』


榊はエリックを見た。エリックはもう地図を開いていた。目は赤い。だが迷っていない。


「行きましょう」そう言い切った。


---


進路はひどかった。六号線に沿って南西へ突っ走り、そこから市街の広い通りへ入る。地図上では簡単だ。なんてことはない。

実際には、放棄車両、崩落した建物、砲撃で開いた穴、そこに潜む魔獣ども。迂回すれば時間を失う。止まれば狙われる。航空魔術師から通信が入ったのは、第三小隊が幹線道路へ出る直前だった。


『ウィーティア1よりフェネック3-6、聞こえるか。作戦本部より指示は受けている。敵中突破とは豪儀なことだ』


コール小隊長が返す。


『フェネック3-6よりウィーティア1。聞こえている。そう思うなら露払いは任せた』


『進路前方、魔獣反応多数。水場は少ないが、湿気はある。少し派手にやる。準備は?』


『フェネック3-6。味方位置はグリーンスモークでマーク。クリアードホット』


『ウィーティア1、クリアードホット確認。これより露払いを開始する』


その直後、空気が変わった。

前方の通りに、無数の水球が浮かび上がる。最初は雨粒のように見えた。それが拳大になり、さらに大きくなり、街路樹の残骸や信号機の間に並んでいく。水は透明ではなかった。砂と煤を巻き込み、鈍く濁っている。その周囲を、銀色の薄片が舞い始めた。花弁のようにも、削り出された金属片のようにも見えた。


無線に詠唱が乗る。


『輝く銀よ。汝の渇きは原初より変わらぬ飢えだ』


銀片が、水球へ吸い寄せられる。


『マリドよ、誰にも頭を垂れぬ古き者よ。嵐を従え、大海の底に眠る者よ。わが呼び声に答え、力を貸し与えたまえ』


水球の表面が震えた。周囲の建物の窓に、細かい亀裂が走る。


『奉じたる銀の花弁にて、立ちはだかるもの、そのことごとくを更地となせ。フロス・ディフラグレティオ』


銀片が水球に触れた瞬間、白い閃光が連続した。爆発音は一つではない。数千もの破裂音が、ほとんど同時に重なって一枚の壁になった。水球がはじけ、強烈な衝撃波と魔力を含んだ金属片が通り全体を削り去る。衝撃波が榊たちの車体すら揺らし、前方の粉塵が横へ吹き飛ばされた。視界の中で、建物の陰に潜んでいたマザリモノが膨大な量の金属片を浴び、ひき肉となった。ワレモノですら脚が砕け、外殻に白い傷が走る。倒しきれない個体もいたが、動きは鈍った。航空魔術師は戦略級魔術師に近いといわれるが、すさまじいなと榊は驚く。


『露払いはした。次がすぐに集まってくるだろう。Godspeed!』


「全車前進!止まるな!」


コールの声が重なった。ストライカーが加速する。前の車両が水しぶきと粉塵の中へ突っ込んだ。榊の乗る車両も続く。濡れた路面がタイヤの下で滑り、すぐにグリップを取り戻す。破片が車体を叩く。横の建物から、半身を削られたワレモノが飛び出しかけた。構わず弾き飛ばす。


「右の建物、二階!」


エリックが叫んだ。こちらに向かってくるものを的確につぶしていく。25㎜機関砲により二階の壁ごと個体が砕ける。


「左前、路地奥に三」


エリックの声はかすれている。クレアボヤンスを使っている。榊には、彼の見ているものは見えない。だが報告の間隔で負荷は分かる。短く、速く、断続的に焦点変えている。


「左前、制圧」


マックスが応じ、M240Hが鳴る。ストライカーは止まらない。銃声と破片音が後ろへ流れていく。

速度が防御だった。止まれば囲まれる。止まれば、どこかの屋上から結晶槍が来る。あるいは路面が裂ける。進むしかない。榊は車内の手すりを握ったまま、喉の奥で息を止めていた。

視界が開けた時、最初に見えたのは横転したM1エイブラムスだった。砲塔が半分地面に埋まり、履帯がねじれている。もう一両は道路中央で停止していた。左側履帯が吹き飛び、車体が斜めに傾いている。砲塔上部の|RWS≪リモートウェポンシステム≫のM2が射撃を続けていることで、いまだ生きていることがわかる。周囲にクウェート戦闘団の兵士が散り、建物の陰と車両の陰で火線を維持していた。

自身の位置を示すためかレッドスモークが上がっている。その向こうに、商業施設があった。戦前なら人が集まっていたのだろう。広い駐車場。ガラス張りの外壁。半分崩れた看板。吹き抜けの入口。今はそのすべてが遮蔽と死角になっている。


無線が入った。


『こちらサンドマン1-6。援軍に感謝する。正面ショッピングモール周辺で|HPT≪High Priority Tarrget≫と交戦中。レッドスモークにこちらは展開中。これ以上押されると負傷者置き場まで抜かれる』


「フェネック3-6、了解。そちらに合流する。誤射に注意してくれ。アウト」


小隊は王の獣と戦闘中の駐車場から、やや離れたところで部隊を下車展開した。これはコール小隊長が混乱のさなかにあるクウェート戦闘団の真っただ中に入っていくのをリスクと感じたためだ。総員降車という掛け声が聞こえ、後部ハッチが開いていく。榊は車外へ飛び出す。熱い空気が顔を打ち、砲煙、砂、血の匂いが強い。

部隊は同士討ちに注意しながら進んでいく。ついに現場にたどり着いたとき駐車場の奥で、黒い巨体が動いた。遠目に左肩に大きなひび割れがあるのが見える。間違いない。

王の獣は生きていた。アマーラで砕いた結晶冠は、歪な形で再生している。完全ではない。ひびの入った骨を無理に継いだような突起が、頭部から肩へかけてせり上がっていた。左肩の外殻は盛り上がっているが、そこだけ黒色が薄く、赤い熱が脈を打つように漏れている。完全には修復されていない。叩くならあそこだろう。榊はそう考える。

周囲のマザリモノとワレモノは、また揃った動きをしていた。王の獣が一歩引けば、群れが前に出る。王の獣が頭を下げれば、左右の個体が散る。指揮している。あるいは、命令に似た何かだ。

航空魔術師は広域への攻撃術式が使用できるものが選ばれるケースが多いです。

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