九月五日
遡ること二十日前であった。
朝八時に響く携帯のコールに、春は起こされる。
髪の毛先は四方に跳ね、瞼は思う様に持ち上がらない。
枕横を手探りし、携帯が指先に触れると手に持った。
なんとか薄目で画面の通話ボタンをタップする。
「はい」
喉も開いていないせいか、掠れた声で応答する。
右耳でキャッチした相手の声に、寝覚めの悪い朝が確定された。
そして今日、午後一時に家のチャイムが鳴らされる。
春はインターホンを確認する。
そこに佇んでいたのは、世間でお馴染みの宅配業者であった。
取り寄せていたアイスが届いたと、心を弾ませながらドアを開ける。
受け取りのサインを済ませ、小包を受け取り、「ありがとうございます!」と、宅配便のお兄ちゃんに礼を言った。
扉が閉じていく途中、施錠するために、扉に背を向け、大事に抱えた小包を玄関の廊下に下ろす。
再び扉に向き直ると、二十日前に寝覚めの悪い朝を運んできた張本人がそこにいた。
どうやら今日は、面倒ごとを運んできたようだ。
「あのさお巡りさん、やってることフツーに犯罪」
「残念ながら、お巡りさんはとっくに卒業したんだよ、桧村春くん」
「じゃぁ、ただの犯罪者」
春は珍しく溜め息を吐く。
夏生と友良の気持ちが少し解った気がした。
「電話でも話したでしょ?忘れちゃったの鶴おじいちゃん」
春の皮肉に乗っかり、鶴羽はこたえた。
「いやぁ、この歳になると物覚えが悪くなって仕方ないんだわ」
ヘラっと笑う鶴羽に、春は無言で鶴羽の両肩を掴み、外へ押し出そうとする。
「おいおい」と言いつつも、鶴羽は右の口角を上げた。
そして鶴羽は、ズボンから例の手錠と取り出し、春の左手首と自身の右手首に輪っかを嵌めた。
「はい、確保」
肩を掴む手が緩んでいくのがわかる。
「マジかよ」
鶴羽は踵を上げ、状態を少し左手に倒し、春の肩越しを覗き込むと、小包に視線を落とした。
「アイス溶けるぞ」
「だぁっ!コレ外してよ!」
鶴羽は目尻の皺を深くして、ニヤっと笑った。
「一緒に運んでやるよ」
有益な情報を引き出せるまで、手錠を外す事は考えられない。
抵抗したら、と、想定してみる。
大袈裟な声を上げ、オーバーリアクションで近所の目を引く。それか、お構い無しの腕力に訴えるか。
前者は、なんだかカオスな状況が生まれそうだし、近所に厄介者のレッテルが貼られて家を追い出されそうだ。後者であれば勝ち目はあると過ったが、先程まで触れいた肩に現役を感じた。
結局、春は大人しく鶴羽に従うことにした。
小包は片手で足りる重さだったため、一緒に運ばずには済んだが、手錠で繋がれているため、もれなく鶴羽は着いてくる。
開封作業は手錠が解かれたらと、小包ごと冷凍庫に突っ込んだ。
1Kの部屋に設置されている二人がけソファに、親族でもない屈強な爺さんと並んで腰をかける。
「でっ。何が聞きたいです?」
さっさと話を進めて、さっさと帰って欲しい。という空気感を作る。
鶴羽は携帯を取り出し、目の前のローテーブルに置くと、録音開始のボタンをタップした。
「五月三日、事件前後のことも含めて話して欲しい」
「前ってどこから、後ってどこまで」
「すまんな、抽象的だったか。じゃぁ質問を変える。五月三日、起きてから寝るまでのタイムスケジュールと、一日で起こった…、春、お前の視点で起こった出来事なんでもいい、教えて欲しい」
春は天井を仰ぐ。
「あーもう長くなるじゃん、聞かなきゃ良かった… やっぱ、アイス食いながら話すわ」
そして春は鶴羽と繋がれたまま冷蔵庫へ戻り、冷凍室からチョコレートアイスを一つ取り出した。
繋がれていない方の腕を伸ばし、シンク上の棚から、スプーンを摘んで抜き取る。
鶴羽はその間、黙って春に着いていく。
春は一切、鶴羽を見ない。
その珍妙な二人の行動に羞恥が湧く春は、ソファに座ってこう言った。
「話すからこれ外して」
鶴羽は、やはりこう返した。
「話し終わったら外してやるよ」
わかりきっていた返事だが、少しの期待が邪魔したせいか、肩を落とす。
片手が思い通りに動かない状況で、左手にアイス、右手にはスプーンを持ち、春は食べ進めた。
左手を持ち上げると、鶴羽の右手も持ち上がる。持ち上がる毎に手錠が皮膚に食い込んだ。
鶴羽は煩わしそうに、春を見た。
春はそんな鶴羽の目をじっと見据え、口元にアイスを運ぶ。
ゆっくりと飲み込み、春は口を開いた。
「起床したのは、午前十時頃。歯磨いて、パン食いながらSNSを徘徊してたら、煉瓦通りにある黒猫の喫茶店が開店してるっちゅう情報がアップされてた」
「あれか、お前さん達がデッカい兄ちゃんと出てきたアノ喫茶店か」
「そうそこ。だからソッコーで夏生の娘に連絡して、夏生くんを驚かそう大作戦を決行したわけ」
「はっ?」
以前より、夏生の娘、芽生と、喫茶店のパフェを食べにいく約束をしていた。
そこは営業日が決まっておらず、SNSをチェックする必要があった。
夏生と芽生の母親が揃っていれば尚良かったが、母親は日給が出る割の良いバイトに行くとかで、夏生と芽生、春が揃うアノ日がベストなタイミングだったと言った。
その際、ちょっと夏生にサプライズをしようと、芽生と計画し、見事サプライズは成功したらしい。
十四時三十五分から四十分ごろ、カフェのテーブル席に通される。
店に入るまで、入ってから待っている間、変な動きをしている奴もいなかったし、違和感も無かったと春は言った。
「それで、黒猫パフェ食ってる時に、デッカい兄ちゃんと小柄でデカイ姉ちゃんが入店してきて、カウンター席に着席してたわ」
アイスを舌に乗せる。舌に溶け染みていくバニラとチョコレートの甘さを味わう。
鶴羽は急かした。
「で?それから?」
スプーンの頭を鶴羽の目の前で上下にゆらゆらと振る。
「それ、人に物聞く態度? つーか、この前電話で話したのと一緒だって。この後ストロベリー撒かれて、四人で外に出て心マしまくった。んで、次の日の朝九時頃に帰宅ができて、即行で寝た。はいお終い」
鶴羽は頭を掻く。
「あーわかったわかった。じゃぁ質問形式でいく。その凸凹夫婦、入店したあとの会話とか聞いてないか」
「知らねーし - 」
誰かさんじゃあるまいし、という言葉を咄嗟に飲み込む。
この一言は地雷だと判断した。夏生という存在が浮き彫りになるからだ。
鶴羽がこの一言を聞き逃すわけがない。夏生に飛び火するのは全然構わないが、火の粉が芽生と友良に降りかかる可能性があると、春は懸念した。
そしてこう続ける。
「あーでも、姉ちゃんの方。アカボシがストロベリー耐性あるって知ってた感じだった。テレビかなんかで言ってたっけ?」
「過去にそんなこと言ってた気もするが、今回は何処の報道局も特殊者の耐性について触れてないな」
「まぁ、そんな感じで耐性のある俺らがお手伝いした感じ」
「外の様子は?」
「外ね。えっと -」
アイスを口に運び、スプーンを咥えたまま数秒間、目を瞑って当時起こったことを整理する。
目を開けて、「うん」と言うと、話しを進めた。
春の証言はこうだ。
外に出る直前、夏生は店主に救急と警察への通報をお願いし、拡声器は有るかと尋ねた。
店主は防災用の拡声器をカウンターの下から取り出し、夏生に向かって放り投げた。
外に出ると、既に倒れてる人が七名いた。
呻き声をあげている人が十五名、更に胸を押さえてグッタリしている人が十三名いた。
応急処置に取り掛かっている人もいた。
後から聞いた話しだが、医療や介護の従事者だったようだ。
喫茶店のドア前で倒れていた五十代くらいのおじさんに、姉ちゃんが心臓マッサージを開始した。
夏生は拡声器でこう言った、
煉瓦通りにいる者はここから一歩も出るな、煉瓦通り沿いの建物の中にいる者は待機、そして煉瓦通りの外にいる者は絶対に入ってくるな、と。
そして煉瓦通りにいる者で、且つ、身体が動く者を募った。
付近で倒れている人の呼吸の確認と心臓マッサージの開始、煉瓦通り内にあるAEDを持って来て欲しい指示をだした。
春はAEDを、兄ちゃんには、まだ意識がある人への応急対処法を教え、取り掛かってもらった。
夏生もまた、拡声器を置き、今まさに意識を失った女性への心臓マッサージを開始する。
防護服を纏った救急隊と警察が到着したのは十五時二十五分ごろ。
春がこうしてAEDで蘇生を試みている間にも、意識を失う人が続出した。
助けが来るまでのこの十分が長く感じたと春は言う。
「あっ、そうだ」
「なんだ?」
「無症状でもさ、この状況を飲み込めなくて、呆然としちゃってる人とか、心理的に具合が悪くなっちゃってる人とかいるじゃん」
「おう」
「そんな無症状の人は、煉瓦通りの北アーケードを抜けて直ぐの道路に誘導されてた。ブルーシートが地面に敷かれてて、皆んなそこに座らせてたり、寝かされてたり」
「それで?」
「誘導後、アーケードに目隠しの衝立が設置されるんだけど、そのぐらいのタイミングで見えたんだよね。気休め程度の防護服を着た風間凛アナが」
「ん?」
「風間アナだけじゃないよ、花村キャスターに、鳥飼アナも。無症状者のいるブルーシートに通されてた」
春が違和感を覚えたのと同じく、鶴羽もまた、共鳴する。
そしてその違和感を鶴羽は口に出した。
「二次被害が出る可能性を全く考慮していない」
春はアイスを掻き寄せ、最後の一掬いを、惜しそうに口に運ぶ。
「ごちそうさまでした」と小さく言い、空になったカップをテーブルの上に置くと、鼻から息を吐き、肩を脱力させ、鶴羽の方を向く。
そして言った。
「その部外者。共通点があるよ」
鶴羽は、「ん?」と、瞳を斜め上にやり、五秒ほど考え、閃いたように「あぁ」と言うと、こう答える。
「風間も花村も鳥飼も、全員二十代だ」
春はソファに凭れかかった。
「知ってか知らずか、どっちなんだろうね」
「後者だとしたら、許可出した上の奴が今頃責任を問われてる。今の今までテレビもネットも騒いで無いってことは、前者だろうな」
そして警察の指示に従い、成分が解析されるまで待機させられ、約一時間後、「ストロベリーガス」と特定される。
無症状で身体の動く者は、男女別れて整列し、衝立の向こう側へ誘導された。
衝立の向こう側の道路は完全封鎖、報道陣も撤退させられていたという。
男性は東側、女性は西側の仮設テントに入り、除染を行なった。
下着以外の服は、青い袋に詰めて密閉し、貴重品は透明な袋に入れて名前を書いて白いトレーに乗せる。
テントの奥に進むと、シャワー室になっており、頭から洗い流すこと、爪の間まで優しく入念に洗浄することなどを細かく指示がされた。
「服はさ、何となく解ってたよ、処分だろうって。でもさ、お気に入りの靴まで処分ってないよ。しかも貴重品が返却されたの次の日の早朝だったし」
「仕方ないだろ。お前らは無症状だったかもしれんが、これは細菌兵器を使ったテロだ。もっと想像力を働かせろ」
「ココは平和ボケ万歳の日本だよ。元警察官でない限り、想像にも及ばないのが現実なんです」
春はぶつぶつと文句を言う様に続けた。
除染した後の検知器チェックに引っかかると再除染になる。出荷前の豚になった気持ちだと言った。
しかも渡された服がガウンタイプの病衣で、デカい兄ちゃんに至っては合うサイズが無く、つんつるてんのまま恥ずかしそうに次の指示を待っていたとか。
そして七人の除染が終わると、マイクロバスに乗り、そのまま病院へと運ばれた。
病院で精密検査を受け、三名と四名に別れ大部屋の病室へ案内されると、ここから朝が明けるまで経過観察と言い渡される。
鶴羽は気付く。
「そういや、夏生の娘はどうした?」
「あーっ。芽生ね。夏生がナースステーションの電話借りて芽生の婆ちゃんに連絡取ってた。迎えに行ってもらったってさ」
「そうか、室内にいた人間は、屋外から持ち込まれた可能性がない限り、感染の疑いがないとかたっだな。でも何で婆ちゃんなんだ?割りのいい仕事してる母ちゃんで良くねぇか?」
「夏生の判断だから知らんけど、婆ちゃんの家、母ちゃんの仕事場より近いんだと思う。第一地区に住んでるし」
「おぉ、そうか」
上手く濁せたか。
婆ちゃんが住んでいる場所は第一地区ということには嘘はない。
だから嫌いなんだお巡りさんは。
そして春は続ける。
その後、二名の警察官が病室に入ってきて、任意という名の隠れた強制力を持つ取り調べを受けたという。
取り調べに関しては、春も夏生もデカい兄ちゃんも、見たままを話したそうだ。
まともな服と靴が支給されたのは夜七時を回った頃であった。
大手ファッション企業の粋な計らいらしいが、アノ兄ちゃんだけは例外だった。やはり入る服がない。
「明日の迎えのついでに、父が一式持ってきてくれるそうです」と、悲しそうな表情で言った。
入院医療費は食事代とベッド代も合わせて全て国と都が負担すると、夕飯提供時に看護師より通達があった。
皆疲れが取れずに朝を迎え、各々の家路に着く。
春が帰宅できたのは午前九時。
ベッドにダイブして落ちるように寝たそうだ。
「はい、これで終わり。輪っか取って」
鶴羽は尻ポケットから鍵を取り出し、手錠を外す。
携帯の録音機能を停止し、手に持つと、すくっと立ち上がった。
「ご協力有難うございました」
「はいはーい、もう帰ってー」
「言われなくとも」
二歩足を進めると、春に振り返り、鶴羽は言った。
「墓のガーベラ、春、お前か?」
「なんの話し?」
「いや、なんでも-」
再び背を向け、玄関まで歩き出す。
扉が閉まる。
鶴羽の摺り足が遠のいて行く。
花村キャスター(男)
若手実力派のフリーキャスター
元お天気お兄さん
鳥飼アナウンサー(男)
国営放送のアナウンサー




