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九月一日

再就職 出勤一日目

帰宅した彼女の「ただいま」に、疲労困憊の色が伺えた。


芽生は嬉々として彼女に抱きつく。


靴を脱ぎ、愛娘に手を引かれて入室する。


食器を洗い終え、手を拭きながら振り向く夏生は、「おかえり」と言った。


向いている仕事だろうが、なんだろうが、初日は誰だって疲弊する。慣れるまでの辛抱である。


「どうだった?」


バッグをダイニングテーブルの椅子に置き、横の椅子に腰をかける。


顎をテーブルに置き、友良はこう答えた。


「いつも通りですよー」


「さいですか」


芽生は向かい合わせで座り、母親の体勢を真似た。


友良は上目で夏生をみる。目が合うと、こう尋ねる。


「ねぇねぇ、私が配属されたアノ病棟ってさぁ。新設?」


夏生はにっこり笑った。


友良はこめかみをヒクリとさせ、投げやりに言った。


「あーそうですかそうですか」


上半身を起こし、友良は続ける。


「謀ったでしょ」


夏生は澄ました様子で、キッチンに寄りかかりお茶を飲み一言。


「謀るなんて滅相もない」


「私の配属先知ってたでしょーよ」


「何処の病院でも企業でも、内情を外部に漏らすのは御法度だよ」


夏生は芽生の隣に座る。

そして少々前のめりになって、怪訝そうな友良に続けて言う。


「でもさ、選択肢は幾つもあったよね」


友良は数週間前の情事後の会話を思い出し、表情を歪ませた。


「あれは選択じゃなくて誘導(・・)って言うの」


芽生の手前、母親の苛立ちを見せるわけにもいかず、「お風呂入ってくる」、と、席を立った。


当の芽生は泰然自若として、こう言った。


「やっちゃったね」


夏生は眉尻を下げる。


「やっちゃったかもね」


芽生の澄んだ瞳が夏生の横顔を捉えると、トドメを指す。


「結婚、また遠くに行っちゃったね」


夏生は徐に携帯の画面を立ちあげ、芽生に渡した。

芽生はその画面を見た途端、爛爛とした声を発する。


「ピザ!辛いチキンも!」


大人の取り繕う行動に、芽生は素直な反応をみせた。


捻くれ者同士の間でこんな純真な娘が育つとは、子供というのは不思議なものだと、夏生は思った。


その後、お風呂から出てきた友良は気分を切り替え、ピザを食べてだいぶ機嫌も直り、暫し談笑をしてから床に就く。


右を向いて熟睡する友良の顔を夏生は見つめる。


そして直近の出来事を振り返った。


友良がオブラートに包んで言ったアノ病棟(・・・・)とは、ストロベリーガスの被害にあった特殊者専門の閉鎖病棟のこと。


全国で初にして唯一の病棟は僅か二十床だが、主に症状が重たい患者を看るため、スタッフも頑丈な人材を揃える必要があった。


そこには、俺や友良の様な同じ特殊も配属されている。


院長は特殊を欲していた。


皆も協力してくれと言われ、のらりくらりとやっている春を誘ってみたが、奴はあっさりと拒否をした。

一度拒否をしたら曲げない頑固さもあり、俺もあっさりと諦めた。


じゃぁ俺が、なんて絶対に考えられなかった。


万年人手が不足しているのにも関わらず、人事は人員の補充をしてくれず。産休のみやさんに代わって派遣でもいいから入れてくれと打診したが、それも聞き入れてもらえず。


一人でも欠けた場合、総務課の崩壊は目に見えていた。


看護師でも助手でも構わない、最低でも四人の特殊者が欲しいと言う要望に、三人はなんとか集まった。


人事のツテで女性の看護師が一名採用され、給料アップを約束した特殊者の院内採用を募ったところ、男性の看護師と看護助手、各一名が異動を希望した。


あと一人とあぐねる中、浮上したのが友良だった。


友良が特殊である事は、勿論、俺の口からポロっと、ということもない。

なら、何処でどうして、と考える間もなく二つの推測を立てられた。


百井が経営を引き継いだ、老人ホーム内部の人間が院長にリークをした。


友良は自分を特殊だと開示せず老人ホームに就職したわけで。

仕事仲間と親しくなったとて、自分のことを易々と話すことも考え難い。


恐らく、友良の過去を知る人間がいた。


接点のない相手が友良を知っているなんてこと、十代の時は頻繁にあった。


そこからもう一つの推測が立てられる。


院長が友良を一方的に知っていた。


百井の傘下に入るにあたり、組織再編という名の、友良の転籍を目論んだ。


組織再編で三名、北多摩総合病院に転籍してもらう。


二名はダミーだ。

それも、お金が喉から手が出るほど欲しい、シングルマザーを対象とした。


所長との面談はしっかりと行い。やはりその給料の高さから二名は転籍に応じた。


しかし、友良はそうもいかなかった。

友良をシングルマザーという上部だけで判断したせいか、上手くは行かなかった。


何故なら、友良と俺との間には見えない透明な壁がある。


俺が働く病院とは別の病院へ配属されるため、滅多に会うことは無いだろう。だが、ゼロではない。しかも老人ホームでさえ百井の息がかかるとなったら、転籍ではなく、転職の二文字が浮かび上がるのは当然の話だった。


悲しいかな、そんな透明な壁がある。


要老人ホームは介護職にしては高待遇な場所である。同じ水準の介護職を見つけるのは至難なことだろう。


では事務職に、と応募すれば、事務職は激戦区だ。ブランクのある友良は弾かれてしまう。


養育費は払っている。失業保険も出ているし当面の生活は維持できるだろうが、俺はそんな状況に釈然としなかった。


子供がいるのにも関わらず、俺がいると言う理由だけで退職する事も、上部だけでもいいから、籍を入れようとしない事も。


ちょっと意地の悪いことをしたかった。


子供を武器に、籍を入れるか、転籍するかを天秤にかけた。


「結局、俺は選ばれなかったけど」


友良の頬が枕に潰されて、頬骨のあたりがプクリと盛り上がっていた。


芽生は俺似だけど、寝顔は友良にそっくりなんだよな。

百井総合病院

総務人事部 総務課と人事課の間には深い深い溝がある。

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