9 守ること、仕えること
意外な言葉にギルバートは次の言葉が見つからない。黙ったギルバートに小さく微笑んで、王女は話を続けた。
「王城が……広くて。たくさんの方がいらっしゃって。ほら、王族の方ってたくさんの使用人をたくさん抱えてらっしゃるでしょう……。だから、王城には住んでいらっしゃる王族の方以外にも、騎士に侍女にメイドに洗濯婦にと、多くの人が出入りするでしょう。……私、廊下を歩いてもたくさんの目があることになかなか馴染めなかったんです」
王女は手の中のジャムの瓶を撫でながら、小さく苦笑した。
「騎士様方も侍女の方々も、視線も身振りもとても静かで控えめです。けれど、見聞きしていないようでいて、実はいつも細やかに王城の中の動きを敏感に感じ取っていらっしゃる。だからこそ王族をお守りしお仕えできるのだとはわかっているのですが……そんな皆様の鋭く優秀な目や耳がいつもある王城内で、わたし、どう過ごせばいいのかわからなくて、怖かったのです」
王女の言葉は、ギルバートの思いもよらないことだった。
伯爵家で育ったギルバートは使用人たちが常にそばにいる生活に慣れきっていたし、そういう「使用人達の気配を気にしない感覚」を持ち合わせていたからだ。
「ギルバート、驚いたって顔をしていますね」
「……部屋からあまりお出にならないとは思っていましたが、そんな風に思っていらっしゃるとは思いもよらなくて……」
「精一杯、虚勢を張っていましたから。私、孤児院でもよくたしなめられたんですけど負けず嫌いの意地っ張りなんです」
ギルバートの戸惑いを読み取ったのか、すこしおどけるように返事をしてから、王女は話を続けた。
「孤児院のこどもたちは、それぞれみんな自分を見てほしい、自分をかまってほしいと心のどこかで願っています。放っておいてと叫ぶ子どもも、干渉されるのが嫌なだけで、関心はもっていて欲しいと願っています。そういうところで育った私は、相手に心を寄せようとすることこそが『善』だと思ってきました。人に関心を持ち、会話を交わし、気持ちを分かち合ったり一緒に泣き笑いすることこそが人との『良い』関わり方だって信じこんでいたのです」
先ほどまでいた孤児院を思い浮かべ、たしかに王女とこどもたちは自ら喜びや悲しみを仲間といっしょにわかちあっていた。相手に関心をもちあい、心をわけあおうとしていたことを思い返す。
王女は小さく吐息をついた。
「孤児院育ちのせいでしょうか、それとも庶民だからなのでしょうか。実際、そうやって一人ひとりと話して時間を積み重ねていくことで、孤児院でも医療院とでも関係が良くなることはあっても悪化することはなかったのです。……けれど、王城で王女として暮らすには関心を持って話しかける、相手を知ろうとする態度ではうまくいかないことに気づきました」
「……うまくいかないとは?」
「たくさんの方が出入りする王城で、私が孤児院や医療院で生きてきたように、出来得るかぎり一人ひとりと知り合いと願って時間をとろうとすれば無理が生じてしまうのです。王族貴族の立場の者は、隣に控える使用人や侍女の存在を気にしすぎてはいけないことが、城で暮らすにつけてわかってきました。使用人の気配は極力無視をして、無関心を装い、必要なときだけ呼びかけるようにしないといけない……」
王女はそこまで言って、すこし肩をおとした。
「私は失敗してしまいました。私は親しくなりたいと思って、信頼を築こうと思って……使用人や侍女が部屋に入ってくるたびに気にかけたり、視線をむけて声をかけたりしていました。それが私の人との関わり方だと思っていましたから……。でも、それは王族が侍女と信頼関係を結ぶ”関わり方”としてよくなかった。侍女は私が声をかければかけるほど、他に仕事があっても私を優先せねばならないからそばを離れられないことになるんです。私が彼女たちに関心をよせると、なにか御用があることになってしまって、彼女たちの手を煩わせ、仕事を増やし知らず知らずのうちに時間を拘束してしまうことになるのだと、後になって気付きました」
過去を悔いるように小さく息をついて、王女は苦笑を浮かべた。
「……適度に存在を無視して、必要な人と必要でない人というのを選んでゆかねばならないこと。必要でないところでは無関心を装うことこそが、逆に仕えてくださる方々を自由にするということ……。人の職種や階級によって態度を変えることが『善』の場合もあること、無関心は罪ではなく過剰な関心こそが足かせになる場もあることを、王城に住まうことで初めてしりました」
王女の言葉にギルバートは相槌をうつしかできなかった。
毎日王女の警護につき、毎日守っているつもりでいたが……王女が王城に対して、そんな気持ちを抱いていることにすこしも気づかなかったからだ。
たしかに貴族というものは人を無意識に選別して応対を変化させている。
王に対しては王に対する態度、王族・貴族、同じ階級の者、目下の者……こまかく分かれており、対応する相手によって立ち居振る舞い、時に衣装も連れのものの人数も変化させながら応じていく。
その対応を間違うことで自分の身があやうくなりもするし、常に適した応じ方をすることで評価があがり平穏が保たりもするのだ。
上流階級の社交場では、立ち居振る舞いこそが、会話よりも雄弁であることは多々あった。
そして、上の位にある者は人を仕えさせている以上、目下の者に同等を求めすぎることも悪手だった。
親しくなろうと上の者が目下の者に関わろうとすればするほど、互いが息苦しくなり関係性がくずれ、本来あった真心をもった関係すら失ってしまうということはよくある。
王女と侍女は対等になりえないのだ。
いくら親しみをもったとしても、上下関係が完全に成立している以上、上に立つものがその自覚を持たないと仕えるものが振り回される形になる。
当たり障りのない挨拶までなら良いが、例えば王女アンジェリカが侍女に「私はこのお菓子が好きなの」と世間話のつもりで話したとしても、侍女側は「仕事として覚えておくべき主の好み」になってしまう。王女本人はそんなつもりがなくても、立場上、お役目上、そうなってしまうのだ。
だからこそ、上に立つものは自分の言葉がどういう影響を与えるかも把握したうえで言葉を発する必要があった。上下関係を抜きに会話をするのは、到底無理な話なのだった。
そして貴族出のギルバートにとって、これらの上下関係ありきの人間関係はあまりにふつうのことであった。ゆえに、王女が、人と人の関わり方そのもので無理をしているだとか、つらさを感じているだとか――考えたこともなかった。
だがギルバートははっとする。
逆に、もし仮に自分が突然、先ほど尋ねていた孤児院で暮らすことになったらどうだろうか。率直に想いを伝えあい、感情をわけあう暮らしを突然することになったら……。きっと、どうやって人とやりとりしたらよいのかとわからなくなってしまうことだろう。
考えてみれば、簡単なことだった。
立場を置き換えてみれば――想像できたはずだった。ただ自分は、その想像力に欠けていた。
愕然としながらも、ギルバートは王女に話の続きをうながした。
王女は目を伏せて、続きを話し始める。
「出来得る限り皆に等しく心を開いて交わる……今までの善と思ってきた接し方が、王城では歓迎されないばかりか逆に混乱をまねき、侍女などの手をわずらわせてしまうことがわかってきて、私は人との接し方に迷い、難しいと感じるようになりました。気にしないようにすればするほど逆にあれこれ考えてしまって。いつのまにか王城そのものに怖さをもってしまったのです」
王女は自嘲するように口角をほんの少しあげて、うつむきかげんで瞬きした。ギルバートには、揺れるまつげが寂しげに見えた。
「こんな私だから……本当は、王城で暮らすのにくじけそうでした。私、庶民育ちだからと陰口をたたかれるのは、気にならなかったのです。当然だろうと思うからです。王城に関わる方々から見れば、私の振る舞いや存在はあまりに貴族から外れ嫌悪感を抱くのも当たり前です。突然現れた王女をそう簡単に信用できるわけでないと思います。だから軽蔑されるのは、受け流せたのです」
王女はジャムの瓶をぎゅっと握り、しばらく口を閉じたあと、また開いた。
「……私が辛かったのは、人がいるのに人がいないふりをしなければいけないことでした。人として『同じ』とみず、職種や立場によって対応を変える……それは今までの価値観を変えねばならなかった。私にとってすごく難しいことでした。今までの自分じゃなくなってしまうようで……怖くて辛くて……。きっと私、孤児院を訪ねる時間にきっと自分の心を癒していたんです。孤児院の手伝いや子どもたちに会うことを装って……本当は、私は、王城で生きていく以上自分自身が変わっていかねばならいのに、それを受け入れるのが怖くて逃げて孤児院を訪ねずにいられなかったんです。あの子たちの優しさを、あたたかさを、逃げ場にしてしまっていた……弱い人間でした」
王女はそこまで言って、息をついた。それから一度、ゆっくりと呼吸してから、自分自身に確認をとるようにはっきりと言った。
「でも、そんな逃げ方、もうおしまいにしないといけません」
王女は数度ジャムの瓶を撫でた。
「私に流れる血を他のものに入れ替えることができない以上、自分の居場所で出来得るかぎりのことをするしかないのだと、やっと、決心することができました。ギルバートのおかげです」
「……私のおかげ?」
意味がわからず、戸惑いを隠せずに聞き返した。
すると、王女は深く頷いた。
「あなたのおかげです。一生懸命、王城での暮らし方を教えてくださいました。生き抜いていけるように、王族貴族のことを教えてくださった。いつもいつも私を守ろうとしてくれました。私は貴方を傷つけたのに、お忍びにもついてきてくださいました。貴方にとって不可解な行動のはずでしたのに、私を尊重しようと、わかろうとしてくださいました……そのことに、どれだけ安心できたことか」
「……」
「そうして守っていただくうちに、やっとすこし理解できたのです。私自身の王女としての資質はどうであれ、人に仕えていただく『立場』を得てしまったからには、それに見合うふるまいを精一杯せねばならないと……。たとえば私が変な行動をすれば、私に付いてくれているギルバートが怒られたり笑われたり巻き込んでしまう……。私が自分の立場を理解し行動しなければ、巡り巡って自分の周囲の方々を不幸にしてしまうのだとわかってきたのです。かつての自分の”善”を押し通すのではなく、今いる場所での最善を尽くすようにならなければと思わせてくれたのは、貴方です」
王女が顔を上げて、ギルバートに微笑みかけた。
その澄んだ眼差しにギルバートは息をのむ。
そうして王女の笑みを目の当たりにしているうちに、先ほどの王女の言葉が自分の心にどんどんしみこんできたのだった。
ギルバートが必死に王女を守ろうとしてきた気持ちは、王女に伝わっていたらしい。
守れていなかったのに。
王女の孤独に少し気付くことができないでいたのに――。そんな不甲斐ないギルバートを、王女は責めもせず、逆にギルバートがギルバートの価値観で右往左往しながら王女を守ろうとしていることに気づき、それを認め必要としてくれていたのだ。
そのことに胸が震えた。
意志を尊重してくれていたのは、ギルバートではなく、王女のほうだったのだ。
ただ、こんな情けない自分でも、一点曇りないことがあるとすれば――それが王女の言ってくれた、ギルバートの中にある王女を守ろうとする気持ちだった。
ランドがギルバートにした、かつての問いかけ。
「王女の考えはなにか」ということ。また、王女の考えをわかろうとしないギルバートこそ、王女を侮っているのではないかという指摘。
今もなかなか答えは得られずにいる。育ちも違う、見えている世界も違う、なにも想像がつかない王女の考えを知るのは難しい。
けれども今、王女の言葉と笑顔を得て、痛烈に一つわかったことがあった。
前はギルバートが王女を守る守ると決意するばかりで、王女は守られようとはしていなかった。すくなくとも、お忍びに連れていく考えが浮かばないくらいに、守られようという意志がなかった。
けれども今は、王女はギルバートに守られようとしてくれているのだった。
このちっぽけな不甲斐ない騎士に守られてきたと話し、これからも守られようとしてくれているのだ。
それを知ってようやくギルバートは、ランドの問いの深いところの答えを得た気がした。
……そうか。近衛騎士が守ろう守ろうといくら叫んでも、主が「守られて」くれなければ、真の関係は成立しないのだ。
守ろうとする意志があり、それが相手に伝わり、相手もまた守られようとしてくれるからこそ気持ちがつながり、信頼は成り立つのだ。
仕える主の想いとはなにか、考えとはどういうものか、どういう視点で世界をみているのか。それを真に理解するには、自分はまだ幼い。
けれど今、ギルバートは、騎士が誰かに仕え真に主を守るには、主にも「この騎士に守られよう」と思ってもらう必要があることだけは、確信したのだった。
あぁ、そうか……そうなのだ。
ギルバートは感慨深く、自分の主を見つめかえした。
ちょうどその刹那―――。
ガタンッ
大きく馬車が揺れ、傾いた。
馬のいななきが響く。
同時に、金属が触れ合う音と、人が争う怒鳴り声が馬車を包んだ。




