8 心を聴く
子どもたちが「アンジェ頑張って」「手紙書くよ」と駆け寄ってきたり、「バートさん、ぜったいアンジェのこと守ってね」と言ったり、「バートさん、アンジェ連れってっちゃやだぁ」と泣かれたりが繰り返す中でいつもよりも少し遅いお開きで、孤児院をあとにすることとなった。
いつも通りギルバートは食べ物を口にしなかったが、最後だからと院長が作ったジャムを瓶詰にして持たせてくれ、王女と馬車に乗り込んだ。
今日は侍女もおらず、ギルバートと王女二人で王城に帰る手はずになっている。
いつもなら孤児院を出るのは明るい時間だが、季節が変わり日が沈むがはやくなったのも手伝って、夕暮れの中を簡素なお忍び用の馬車が出発した。
馬車の小窓から、やわらかな夕暮れの光が差し込む。
しばらく車輪と御者の馬を引く音だけが馬車の中に響いていたが、日が沈みかけ庫内が薄暗くなったころ、御者がいったん馬車をとめ窓の傍にある馬車ランプに火をともした。
窓からぼんやりと灯りが差し込み、庫内に陽光とは違った揺れる陰影が伸びた。
馬車が揺れるたびに光も揺れる。
ギルバードは旅商人の頭から目元だけをあけて巻いている布の合間から、王女をそっと見ていた。
ランプの灯は王女の蜂蜜色の髪をことのほか煌めかせている。
王女は、もらったジャムの瓶をランプの灯りにかざして眺めていた。
赤味のあるジャムが入った瓶が光を受けて赤い宝石のように輝いているのを楽し気に見つめている。
ジャムの実は元は孤児院の敷地内にある果樹園にある木の果実だった。先ほど孤児院を訪ねたときに、一番最初に子ども達で収穫作業をした。そのとき果実はもっと黄味を帯びたものだった。それがなぜ今こんな赤味が加わっているのだろうか。糖分を加えて煮詰めるうちに赤味が濃くなるのか、はたまた赤味を出すほかの何かを加えたのを見落としたのか。果実からジャムを手作りしたことなどないギルバートにはよくわからなかった。
……そもそもジャムにした果実の名もこどもたちに聞きそびれた。
そんなことにふと気づいた。けれど自分の方から王女に必要以外の話題を投げかけるのに気が引けて、迷ったものの結局は口をつぐんで、黙って王女のことを見ていた。
王女はしばらくあかりにかざして楽しんだ後、瓶を両手で大切そうに包み込むように持ち、
「ジャム、まだあったかいんですよ」
とギルバートに声をかけてきた。いつにないすこしだけくだけた口調。王女がたった一つのジャム瓶とそれにまつわる時間を愛おしく思っているのかが伝わってくるようだった。
ふいに、斜め向かいに座るギルバートに、王女が若草色の瞳を向けてきた。
すでにじっと王女のことを見ていたギルバートの青い瞳と目が合った王女は、ギルバートに微笑みを見せた。
「ギルバート。私のわがままに、一緒にお付き合いくださってありがとうございました」
「騎士ですから」
「……お忍び、本当は反対でしたでしょう。けれど私を守るためにそばにいてくださった。無理をさせてしまいました」
王女の言葉に対し、ギルバートは少し考えてから口を開いた。
「無理はしていません。この孤児院でのお時間は、貴女様に必要な時間なのだと思うようになりましたから」
「必要と思われていたのですか? 私にとってお忍びで孤児院に行くことが?」
当初おしのびに強く反対していたギルバートである。その言葉は意外だという風な驚いた表情を王女は見せた。
ギルバートは王女の瞳と視線を合わせたまま、口を開いた。
「たしかに最初は……お忍びなんて危険なことを考えつくのが信じられませんでした。それに、そういうことを侍女に頼んだりすることで、あなたことを軽んじる人が増えることも許せなく思っていました。ですが……」
ギルバートは異国の装束を身にまとっている自分の腕に視線をうつした。
「共に孤児院を訪問させていただいて、貴女様のお顔やこどもたちの貴女を迎える姿を見て、考えをあらためました。……必要な時間なのだと思ったのです。それ以上説明するのが難しいほど、理屈ではなく、あぁ必要なお時間なのだと」
ギルバートの言葉を最後まで聞き終えて、王女は「そうですか……」と小さく呟いた。
蜂蜜色の髪がさらりと王女の肩でゆれるのがギルバートの視界に入った。
しばらく王女は何かを思案するように黙っていた。ギルバートもまたそんな王女の沈黙を破ることなく、ただ馬車の揺れの中で王女の一挙一動に耳を澄ましていた。
考えがまとまったのかそれとも話す気になったのか、王女は手にしているジャムの瓶を見つめながら、ぽつりぽつりと話し出した。
「ギルバートのおっしゃる通り、必要だったのだと思います。……区切りをつけて、顔を上げて生きていくために必要だったのだと思います」
若草色の瞳がジャム瓶からそっとギルバートの方に目線をうつす。ふたたび眼差しが交わった。
「私、あの孤児院で赤ん坊の頃から育ったんです。王の子を身ごもった母は、そのままあの孤児院に飛び込んで、父の名を明かさずに私を産んで死んでしまった。ギルバートはご存知でしょうけども……」
言われて、ギルバートは頷いた。王女が孤児院で育つことになった経緯については王女付きになる前に伝えられていた。
「おなかの父親について素性を明かさず出産し、そして母は死んでしまった。誰にも私の父はわからなかったのです。まさか誰も父が王だとも思わなかったのでしょう、私の血を聖教会の精霊の調べにだそうと思いつく者もいなかったのです。だから私は、本当にずっと……十九年、あの孤児院そのものが父であり母であるという気持ちで過ごしてきました。16で孤児院を卒院しても、卒院生として関わり続け、あの孤児院で育つ子のよき姉であろうとしてきました。医療院で働き暮らしも医療院の宿舎でしたが、週末や空き時間には頻繁に孤児院を手伝いに行っていました」
16という言葉を聞いて、ギルバートは王女が今の自分と同じ年頃に孤児院を卒院して医療院で働きだしたのだと気づく。きっとそのころから、今日のように仕事が休日のときには孤児院に立ち寄り、年下のこどもたちを慈しんでいたのだろうと想像がついた。
「そのように医療院で働いていたある日、精霊の呪いを受けた患者が運び込まれました。運悪く、解呪の技を持つ看護人が出払っていて人手がたりなくて。解呪の技を施さずに呪いを受けた方を手当すれば、手当者まで呪いをかぶってしまいますから、急遽私は聖教会から強力な守り札をもらってくることになりました。駆けつけた教会で札をいただく手続きのために小指の血一滴を差し出しました。その一滴の血が聖教会の精霊の調べに反応し、王の血を受け継いでいるということが判明したのです」
そこまで話して、王女はちょっと言葉に区切りをいれるようにして、もう一度「たった一滴の血です」と繰り返した。
「誰もが予想だにしなかったことです……。まさかその血が精霊の光をもっているなんて。きっと血を差し出すことがなければ、私は一生、父の存在を知らぬままでした」
王女はふっと笑った。
「いろいろな人が会いに来て、話し合いがもたれたんですけれど、実はあまり覚えていなくて……。驚きがさめないままに、どんどん話が進み、いつのまにか王城で父王にお会いできる運びとなりました。初めてお訪ねする王城は思いもよらぬほど広くて。街からみえるお城はそびえたっているだけですけれど、中に入ると迷宮のようなんですね。くらくらしました」
実際、城内で迷いでもしたのか、懐かし気に少し目を細めながら王女は話続けた。
「父王とお会いして……王城に引き取っていただくことになりました。その後すぐギルバートが私の警護についてくださることになり、今までずっと守ってきてもらいましたね。何も知らない私に、ギルバートはたくさんいろんなことを教えてくださいました」
王女の瞳がギルバートに向けられる。
「ギルバートは一番私に親身になってくださったのに……。お忍びで孤児院を訪ねたいだなんてわがままを言って困らせたり、ギルバートのこと振り回してきました。ごめんなさい」
「それは……私こそ……」
王女の謝罪を止めようとしたときだった。
若草色の瞳をゆらして、王女はギルバートを見た。
「本当のことをいうと……私……私、とても怖かったのです」
「怖かったとは……? お忍びが?」
問いかけると、王女は首を横に振った。
「いいえ……。王城にいることが、怖かったのです」
「王城が、ですか」
「はい」
王女の言葉の意味をとらえかねて、ギルバートが瞬きを繰り返した。




