6 孤児院にて
「……こうして、森の姫さまと隣の国の王子様はともに世界を旅して、末永くいっしょにすごしました」
王女の声がゆっくりと「めでたし、めでたし」と締めくくると、拍手が起こる。
ギルバートは広間の入り口に立ち、その拍手の中心でお話の本を閉じる王女の姿をじっと見つめていた。
ここは王女がお忍びできている孤児院である。
石造りの堅牢な建物の大きな窓からは、あたたかな日差しが差し込んでいる。
ぬくもった部屋の中には籠に寝かされた赤ん坊からよちよち歩きの子ども、学齢期のこどもまで、いろいろな年齢層のこどもたちが集っていた。
こどもたちの真ん中には、蜂蜜色の髪を町娘のように大きな三つ編みで結わえた王女がいる。光沢のない綿のドレス、丈も床を引きずらない動きやすいもの。
――そう、今、ギルバートは王女のお忍びについてきていた。警護という名目でギルバート自身も装いを変えて。
本をバスケットに片付けている王女を目で追っていると、
「バートさん、拍手しないの?」
とふいに言われた。
王女の方に向いていたはずの子どもたちの一人が振り返り、ギルバートの方を向いていた。その子どもの声につられるようにして他の子たちもどんどんギルバートの方を振り向きはじめる。
「え、バートさん、拍手してなかったの?」
「はくちゅ」
「拍手は、読んだり歌ったりしてくれた人に、良かったよ、嬉しかったよ、ありがとうの気持ちをつたえるものなんだよ」
たくさんの目を向けられて、ギルバートは布を巻いて隠している口元をひきつらせた。
対応に困っていると、王女がくすくすと笑い声をあげた。
王城ではあまり聞けぬ軽やかで明るい笑い声の王女。ギルバートは布の合間に見せる青い目を少しだけ細める。
「バートさんはね、遠い地からいらしてる方でしょう。拍手はあまりなさらないのよ」
「えーっ」
「それにバートさんは、最後まで聞いてくださったでしょう。あれが何よりも、私には誉め言葉よ」
「ふーん。ま、いっつもバートさん、ふらっと部屋から出て、廊下で立ってるもんね」
「廊下が好きなんだよね」
「今も出入り口に立ってるし」
「きっと悪者が来ないように見張ってくれてるんだよ」
「そう? ただアンジェのことを見てるだけかも……」
子どもたちの並ぶ言葉に、普段の自分の行動範囲が知られているようで、布の中でギルバートは汗をかく思いがした。
時折こどもは鋭い。
「ほらほらお茶の時間にしましょうね。みんな、テーブルを並べるのを手伝って」
てきぱきと王女は指示し、こどもたちも「はい」と従う。躾けが厳しい孤児院というだけあって、動き出すと子ども達の手際はよく、走り回らずに協力して準備を進めていくのだった。
隣に院長である老婦人が近づく気配を感じた。
姿勢を正して院長の方を向くと、院長――リュリス神聖教会運営孤児院の院長は、しわくちゃの顔にさらに皺を寄せて微笑んだ。聖教会に一生を捧げている者特有の濃い灰色の頭から肩までを覆う布、同色のワンピース、そのいでたちは色味がなく暗いが、表情が明るいためか年齢を感じさせない強さがあった。
「バートさま、よくおいでくださいました。……お忙しいことでしょうに」
「付きそうのがお役目ですので」
「ありがたいことです。……あの子は……毎日、あそこで元気にやっておりますでしょうか」
声を小さくして問われたことに、ギルバートは少し考えてから頷いた。
「はい。ひとつひとつ楽しみを見つけて暮らしていらっしゃいます。……ここでお見せになっているほどの笑顔はまだなかなか見られませんが」
ギルバートの答えに、院長は目を細めた。
「バートさんは、素直でいらっしゃる。貴方様がそばにいてくださり、あの子も安心なことでしょう」
言われてギルバートは戸惑うようにして目を伏せた。
「それはどうかわかりません。……まだ私は未熟ですので」
「そうですか? 未熟……未熟ねぇ……」
院長はしばし言葉を止めて、それから眼差しを広間に映した。視線のさきでは、子ども達がテーブルを並べかえ、年の大きなこどもたちは果汁の入った器を配り、小さなこどもたちはテーブルをふきんでふいたり菓子を運んだりしている。
こどもたちをに王女や他の数人の年長者がうまく声かけしながらテーブルセッティングしているのは、微笑ましい穏やかな昼下がりの眺めだった。
なごやかな風景をいつくしみをもって目守る院長の隣で、ギルバートもまた子供達と王女を見遣った。
二人してしばらく黙っている後、院長が言った。
「でも、人間すべて……未熟でありましょう」
「すべて?」
「えぇ、老いた私もまだまだ未成熟、完成には程遠い」
そう告げて、院長は「まぁゆっくりとしていってください」との言葉とともに微笑んだ。
*****
あの日。
ギルバートが生まれて初めて取り乱して焦って失態をして、自分でも制御のきかない言葉を口にしてしまった日。
もうだめだと思った日。
王女は天鵞絨のようなやわらかでしっとりした感触を思わせる声で、こういった。
「……もし次の機会があれば、一緒に行きましょう」
その言葉はしんみりとギルバートの心に入ってきて、そしてぎゅっと閉じていた瞼を開かせた。
目に入るのは若草色の瞳。
すこし微笑んでいた。
その瞳はじっとギルバートのことを見ていた。
返すように、ギルバートもまた王女の瞳を見つめた。
じっと見ているうちにギルバートは気づいた。
王女の瞳、若草色の瞳と思っていたが、うっすらと金色ような茶色が混じっていた。
綺麗だなと思った。
ずっと瞳を合わせているのは貴婦人としてはいかがなものかと思うけれども。自分も騎士としてその視線からそらさず見返して、見つめあい続けるなんでどうかしているとも思うけれども。
何かをじっと見つめることは、時にとても美しいことに気づくこともできるのだとわかった。
そして清らかできれいなものを見つめていると、昂っていた気持ちも静まってくるものなのだと知った。
気持ちが落ち着いてくると、この目の前の王女の言葉の意味がわかってきた。
そうか。自分の先ほどの呟きを汲んで、この目の前の人は「一緒に」と言ってくれたのだと理解したのだった。
一緒に街に出かけるということ。お忍びに自分も加担するということ。
それではなにも解決していないといえば、その通りだ。
ギルバートまで一緒にお忍びに参加してしまえばさらに悪評がたつのではないか、とか、結局王女の心は何もわかっていないじゃないか、とか、考え始めればきりがない。
問題解決には何もつながっていないと思うと、「冷静な判断は一体どれなんだろうか」とぐるぐるしそうになった。
けれども、
「一緒に行きましょう」
という誘いをはねのける気持ちには少しもなれなかった。
声をかけて誘ってくれていたとたん、守るべき人が行く先々に、自分も一緒に行く。ついていく、その当然のことに対して何を躊躇しているんだという気持ちになった。
そうなのだ。
声をかけてもらえたとたん、自信がついたのだ。
そして自身がついた途端、はっとした。
……そもそもなぜ今までついていかなかったのだと。なんてことをしていたのだ、と。
お忍びをするといって、それを止めるばかりで。
それじゃいけないと、王女を制止するばかりで。
いくら王女からお声がかからなくても、後からつけていくとか。無理に自分もいきますとか。
無理やりの変装でも、荷物に隠れてでも……なぜしなかったのだろうかと、後悔の念がおしよせてきた。
なぜ、私は王女と行動を共にしようとしなかったのか。
王女付きの近衛隊として、王女を守るべき行動を共にすることに、なにを憂いていたのだろう。
今の自分ならついていく、と断言できる。
この顔じゃあお忍びにならないと言われれば隠すまでだ。
騎士の存在がいらないと言われるならば、樽のなかだろうと麻袋のなかだろうと隠れてやる。
とにかく王女の傍にいて、王女を守ることを遂行する――そうすることが当然だと思えるようになっていた。
たった一言、王女が声をかけてくれた。
それがギルバートの心を救ったのだった。
一か月後、王女がギルバートにそっと声をかけた。
「引き取ってくださる家庭が見つかった子がいるのです。その子の門出のために……孤児院に一緒に行ってくれませんか」
「はい」
即答だった。
お忍びであっても王女についていく覚悟ができていた。
その後いちおうランドにだけ伝えた。「お忍びについていく」というと、ランドはニヤニヤと笑って、
「いいねぇ」
と言った。
ギルバートにとって何が「いいね」なのかはわからなかったが、ランドがギルバートに与えた指導に関して……王女の考えを知るということに関して……このお忍びについていくことは何か解決の糸口になるのかもしれないなと思った。
ギルバートが素顔でついていくのは無理があるので、ランドの提案によってギルバートは異国の旅商人の格好をすることにした。
海の向こうからの商人の中には、頭から首元まで布を巻、目の部分だけ出すという衣装をした者達がいるからだ。
ランドがうまく手配してくれてギルバートは生まれて初めて変装というものをした。
だが着てみると、背丈のこともあり「旅商人そのもの」を演じるのには無理があるだろうとランドに指摘され「旅商人の息子」ということになった。
息子、つまり子どもということか……と幾分かは傷ついた。だが落ち込んでもしかたがないので、ギルバートはパナーニャジュースをがぶ飲みすることで苛立ちをやり過ごすことにした。
食堂で口元を青くしているギルバートをみて、ランドが大笑いしていた。
王女アンジェリカは、まさかギルバートが旅商人の格好をするとは思っていなかったようで、近衛騎士にこんな特殊な変装をさせてごめんなさいと繰り返していた。が、ギルバートにとって変装は通過点であり、大した問題には感じない。
それよりも身がばれて街中で騒動になったり、アンジェリカの身に何か事故や怪我が起こる方が問題である。いつもより慎重に確実に警護をせねばならない。
ギルバートは旅商人の姿の中に小ぶりの武器を隠しに隠して、準備した。
いずれロングソードを扱う騎士になれるようにと願ってきたが、このときばかりはダガーや針の武器の扱いが長けている指先器用な自分を一生分褒めてやりたい気分だった。
一度目、アンジェリカにつきそって孤児院を訪ねた。
旅商人の装束に身をつつんだギルバート、通称「バート」と町娘の格好のアンジェリカはそれはそれで目立つのではないかと心配したが、城から孤児院まで馬車だったため問題なかった。
しかも孤児院では、旅商人というと妙にこどもたちが大喜びし、「バートさん」の話を聞きたがった。
時間が経ってくると、商人なのに売り物を持ってないだとか。目元から見える肌が白いだとか妙にこどもたちの指摘が鋭いものになっていき困ったので、得意のダガーで的当てをして見せた。
武器で果物の的当てをしたのは初めてだった。もちろん、的となった果実すべて適格に刺し当てた。子ども達の興奮と歓声が最高潮に達したころ、引き取りてがみつかったこどもの門出の会が始まり、その後はギルバートは警備に徹した。
付き添ってみて、王女の表情が王城の中とは違うのだということに気づいた。いつもは微笑みをうかべているが、こどもたち相手には満面の笑顔をうかべていた。
興奮しすぎて度がすぎて暴れ出すこどもに対し、アンジェリカは注意するときもあったが、端的でわかりやすい注意と注意後はさっと寄り添うあたたかさ、その口調や表情の変化は見ていて飽きなかった。
警備しながらも子どもと接する王女を見て目に焼き付けているうちに少しわかった気がした。
こどもたちも「アンジェリカ」が必要で、アンジェリカにもこどもたちが必要なのだ。
いずれこの子たちは孤児院を別れてゆく。巣立ってゆく。同様にアンジェリカも巣立っていったのだし、こどもたちは別れを覚悟していないわけではない。
けれど、王の血によって突然現れた別れでは、こどももアンジェリカも納得がいっていないのだ。今はまだ「その時」でなくて、こどもはアンジェリカから離れがたく、アンジェリカもまたこどもたちと離れられない。
それは、まだ互いに支え合っているからなのだと思った。
引き取りてがみつかった子どもが、激励会のような門出の会をして、涙をふきふき最後は笑顔で孤児院を巣立っていったように。
きちんと別れをするためには、互いが納得して別れを告げられる、なにかのけじめが必要なのだろう。そしてまだ、アンジェリカとこどもたちに横たわる無言の絆が別れを受け入れていないのだとギルバートは悟った。
門出の会が終わり、馬車に乗り込む前に、少女の一人がそっとバートに近寄ってきた。
「……バートさん、アンジェのこと大切?」
聞かれて、ギルバートははっきりと頷いた。
その頷きを見て、少女はほっとしたような顔をする。
「よかった……。わたし、前にアンジェと一緒にきた男の人、苦手。友人っていってたけど、男性の友人なんて連れてくるの初めてだったよ? だから、その人とアンジェがそのまま結婚しちゃったら嫌だなと思って不安だったの。そりゃ背は高いし、格好良かったけど……アンジェをその人の”特別”にしてくれそうじゃないんだもん。なんかアンジェのこと観察してるだけっぽくて。結婚してほしくない」
「……その男が来たのいつのことですか?」
「一か月くらいまえ? リノの誕生日会のとき」
ギルバートの頭の中で、王女と前に来た男というのがゼノ殿下だということが結びつく。もちろんゼノ殿下と王女は母は違うが兄弟なので結婚や恋人はありえないだろうが、訪問する形としてそういう風なものを装った可能性はあった。
面白くないな、と思った。
自分は「旅商人の息子」で、ゼノ殿下は王女の男友達(恋人候補?)。その格差は体型なのか、年齢なのかわからなかったが、妙にこめかみがぴくぴくした。
けれどどうしようもない。ゼノ殿下が現れたあの日は、自分は王女を止めようとばかりで追い詰めたわけで、後ろに控える資格もなかったのだから。
ただあまりにもやもやしたので、お忍びから戻ってきたギルバートは食堂でパナーニャジュースの一気飲みを三連続した。唇は青くなったが、もしもジュースの効果がでるならばと考えるとちょっとだけすっきりした。
ランドにはお腹の心配をされた。
お忍びにつきあっても、王城の中での王女の立場の改善には何もつながらないだろう。
けれど、一緒に孤児院を訪ねたことで、王女とこどもとの絆を見ることができた。
ギルバートは変装してただそばで警護していたにすぎないが、その場にずっと付き添っていることで、城で待っているときにはわからなかったものがなにかつかめる気がした。
王女に王城での暮らしや、侍女たちからの態度や評価、なぜお忍びで出かけるのか……直接尋ねたら、もっとすんなりと王女の考えや思いがわかるのかもしれない。
でも、王女の目で何を追っているのかを自分なりに共に追おうとすることで、見えてくる新たな世界があるように感じ、ギルバートはもう少し尋ねずにいようと思った。




