5 王女アンジェリカの想い
アンジェリカ視点です
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驚きました。
目の前のあきらかに顔色の悪い騎士ギルバートが、泣く一歩手前の震えるような声で言ったこと。
『なぜ……街にゆかれるのです。……貴女様だけで……騎士を置いて』
言葉としては「なぜ」と問うているけれど、その声から言葉から、悲鳴のようなものが聞こえた気がしました。
置いていかないで、と。
同時に震える声を聞いて、あぁそうなのねと合点もいったのです。
私を一生懸命に守ろうとしてくれていた、少年騎士。私よりも三つほど年下の、まだ青年の肢体にもなり得ていない成長途中の騎士ギルバートは、ずっと苦しかったのね、と。だから時々苛立ちをみせていたのね、と。
きっと私によって誇りを傷つけられていたのです……警護を仕事をする騎士なのに、置いていかれて。
この半年、何よりも誰よりも私に親身になってくれたのは、この騎士です。
「この子」と子ども扱いしてししまうにはあまりに騎士の態度を貫いているし、かといって黙って立っていると綺麗な貴族の青少年に見えて「騎士様」と言うには不似合いに思えてしまいます。
騎士というとどうしても大きな体格をした男性を思い浮かべてしまうでしょう? その想像からすると、ギルバートさまはずいぶんと若くて、可愛らしい部分がまだまだ残りすぎている方なんです。
近衛隊の方がつくと聞いたときは、とても驚きました。
しかも巷でも人気のあの近衛騎士隊の「騎士ギルバート」が、私の警護にあたってくださるというのですから。もったいなさすぎて申し訳なさすぎて……。そして、結婚適齢期を過ぎようとしている私にも人並に人気の騎士様に憧れもあって、恐れ多くもお会いできることを楽しみにする気持ちもあったのです。
部屋に通されたギルバートに会ったとき、その天使のような姿に息が止まりました。
絵画から飛び出てきたようでした。ふわりとした髪も青い瞳も頬の線も薄紅をさしたような唇も美しくて。中性的なお顔をなさっているのに、すらりとした手足や首筋などはこれからの未来の成長を感じさせるしなやかさがあって不思議な魅力を感じました。
同時に、ちょっとだけ微笑ましい気持ちにもなったのです。
街での騎士隊の噂や姿絵から、騎士ギルバート様については「天のみつかい」という大人のイメージを思い描いていたのですけれど、年齢にふさわしい……というよりもちょっぴりとだけ幼いくらいの、天使か妖精かというような少年さがありましたから。
孤児院のこどもたちをふと思い出して愛おしいような気持ちもわきました。
……ただ、街で出回る「近衛騎士ギルバート」の人気の姿絵はもう少し背丈も肩幅も大人っぽく描かれているというのは、この先もずっと秘密にしておいてあげようと思います。
騎士ギルバート。
非常に優秀な人なんだろうということは、接していてすぐにわかりました。
稀に孤児院に来る子どもにもいるのです。天才というのでしょうね。
記憶力や計算力がびっくりするほど高く、天才と称するに値する子ども。知能だけにかたより運動がてんで駄目という性質の子どももいまるけれど、ギルバートは頭の回転が速いばかりか、器用に物事をこなしてしまうし運動能力もめっぽう高いようでした。
リュリス神はたくさんの祝福をギルバートに与えたのでしょう。
でも一緒に過ごすうちに、ギルバートは神からギフトを受け取っただけでなく、それを自らの絶え間のない努力によって磨いて磨いてきて今があるのだということがわかったのです。
馬鹿正直という品のない言葉を当てはめたくなるくらいに、ギルバートは真面目で一生懸命でした。
孤児院育ちの第十一王女という、どこからどうみても面倒事になる私の専属警護に嫌な顔ひとつしないし手も抜かないのです。
私などに尽くして、なんの得がありましょう?
でも、彼は損得勘定で見ないのです。それがまぶしく美しく感じました。
王城で過ごして窓から幾日か観察していて、たしかに近衛隊の騎士というのは精鋭なのだろうし乱れがないとは感じました。でも、やはりそこは人間なので適当に息抜きもしますし、警護する者の命に危険がないならば、ルールをやわらげたりして気楽にするところも出てくるものでしょう。
けれどギルバートは違う。
私に対しても、王女として接しつづけてくれました。無理をしてるわけでも表面的にというわけでもないらしいのです。心から、私が王の子で王女だからと、当たり前に接するのです。
ギルバートにとっては私の「育ち」よりも、私に流れる「血」の方が優先度が高いだけかもしれませんが、彼の誠実さは曇りのないものでした。
侍女たちも私に丁寧に接してくれはします。けれどやはり、貴族の流儀を知らず上流階級の流行に疎い私へは、他の王族の後ろをついている時のような緊張の端った面持ちはしていませんし、世話については後回しにされることもたびたびあります。
王城に勤める侍女はそもそも貴族令嬢がほとんですから、なかには孤児院育ちの私に形式だけでも「仕える」ということに抵抗がある者もいらっしゃるようでした。陰口も、まぁそれなりに、伝わってくるいくつかがありました。人が集まれば様々な評価が生まれるものです。
それに私自身もうまく侍女と接することができなかった。
慣れぬ王城では、人と人との距離をうまくとることができなかったのです。
王城のように長き歴史をもつ場所は、いくつもの慣習がしっかりできあがっております。
そこに現れた王城の慣習を理解していない存在、それが私です。なのに王女という立場だけがくっついている。
侍女をはじめ王城にいらっしゃる方々にとって、孤児院だとか庶民だとか、ご自分たちにはあり得なかった背景をもつ人間に仕えねばならない……。信用に値するかどうかの「信用の基準」すら、上流階級の方々と私たち庶民の持つ感覚は異なります。
意志疎通に時間がかかって当然とは当然なのです。
考え方や価値観、育ってきた背景の差異というのは、数日で埋まりはしない。
孤児院でも、赤ん坊を引き取るとき場合と、知恵のついた幼児を引き取るときでは対応が変わるものでした。食事にマナーに生活習慣、違って当たり前のことを一気に馴染ませようとすれば、無理が生じますから。幼児で孤児院に引き取られてきた場合、時間をかけて心を開くのと合わせて、生活のいろんな違い、価値観などをすりあわせていったものです。
だから王城の人たちが突如現れた「第十一王女アンジェリカ」を持て余すのもよくわかりました。私自身が「王女」の名をもてあましてるのですからね。
とはいえ、私はきっと「ここ」しか生きる場所はないのでしょう。
王城の内部や政治の仕組みはあまりまだわかっていませんが、この数か月観察していて、王の血というのは一定の保護下監視下の元においておきたい存在なのではないかと感じています。
歓迎する気はなくても、王城は私という王の血を引いた者を置いておかねばならないのです、きっと。
私の御父上でいらっしゃるという「王」にもお会いしたことがあります。
とても心の優しい方のようでした。第一王子がすでに四十近くの御歳でいらっしゃると伺っていますから、王はさらに御年を召して、白髪の好々爺という御姿。正直なところ、御父上というよりもおじい様という雰囲気でいらっしゃいました。
けれどお優しかったけれど、私が王城に住むのに躊躇するのに気付いておられつつも、それは見なかったことにされたようでした。王の血を引くとわかったからには、王城に住む、それがこの国の道理なのだと。
仕方がないことなのでしょう。
それに抗う力はありません。
ただ気がかりなのは、突然放ってきてしまったような形になった孤児院のこどもたちのこと。
孤児院のこどもたちは様々な生い立ちがあり、こども同士のすれ違いや、保育をしてくださる大人たちと子どもの気持ちの行き違いなども起こりやすい。孤児院を卒院した者が、その仲を取り持ったり、打ち解けにくいこどものそばについたりするのは、理にかなった伝統です。
私もまた昔は引っ込み思案なところがあったから、卒院したお姉さま方が来訪がどれだけ心待ちだったことか……。姉のように大らかにかまってくれたり、私が施設長に言い出せなかった本音をそっと伝えてくれたりと頼りにする存在だったのです。
ですから私は出来得るかぎり孤児院とのつながりは切りたくなかった。
お忍びという手段しか思いつきませんでしたが、とにかく子どもたちに会いにゆきたかったのです。
特に昨日は、孤児院でのお誕生月のこどもを集めたお誕生会があり、私はぜひとも昨日、孤児院を訪ねたかったのです。別日では駄目だったのです。
実はお忍びを頼めば許してくれる侍女には当たりをつけていました。
王城内に恋人を持つある侍女は、ちょうど私の担当のとき恋人が休みなのでうまく逢瀬が楽しめなくなっていました。だから私がお忍びで孤児院に出かけている間、恋人と逢瀬を楽しんできて良いから、簡素な町娘の服装の準備と当日馬車の用意をお願いし、今まで数回成功してきたのです。
今まではこそこそと動いて比較的順調でしたが、昨日はギルバートのお忍びへの制止が妙に強いと感じました。
たしかに回を重ねてしまっていましたし、毎回ギルバートを振り切ったりして出かけてしまっていましたから、怒らせてしまっているのだと感じていました。申し訳ないとも思っていました。
とはいえ、この王城には私のいる意味や役目はあまりないですし、戻ってくるのであれば問題がないように私は感じていました。
だから私も彼を説き伏せるようにして、そしてたまたま前回のお忍びで顔見知りになったゼノ殿下の助けもあり、昨日はギルバートの反対を押し切って孤児院を訪ねました。
でもそれは、こんなに彼を傷つけることだったのです。
彼の必死なくらいの制止は、正義感や生真面目さによるものだと思っていました。
けれど今、ギルバートの声を聞いて彼の哀しみが伝わってきます。
私が深く傷つけたのです。
彼の真面目な「職務」への姿勢、第十一王女を一生懸命に守ろうとする気持ちに対して、あろうことか私は彼を城に置いたまま孤児院に出かけてしまった。守るべき人がいなくなって彼はどんなに傷ついたか。
もちろん、誘ったとしてもお願いしたとしても、ギルバートはお忍びについてきてはくれなかったかもしれません。
でも、そもそも最初から私の頭の中に彼についてきてもらう前提がなかった……。それは、その言動はどれだけ彼を傷つけたでしょう。
私にすれば、近衛隊の彼は顔がばれているので引き回すわけにはいかないだとか、最初からお忍びにいい顔をしなかったので、一緒に来てもらうという考えが思い浮かばなかったとか理由めいたものもあります。でもそれらは、彼を傷つけた言い訳にしかすぎない。
だって、ようやく私は気づいたのです。振り返って考えてみたのです。
彼は……ギルバートは守るべき私がいなくなって、いったい城でどう過ごしたのだろうか、と。
私が孤児院でこどものそばにいた間、この騎士は守るべき者を見失って、遂行すべきお役目が宙ぶらりんになって、その間どうしていたのだろう。
たったひとりで、誰もいない……主のいない部屋の前で、警護をしていたのだろうか。
あぁ、きっとそうなのでしょう。
主のいない空っぽの部屋の扉の前で、彼は誠実に立ち続けていたのでしょう。
どんな顔をして?
それを想像すると、胸が苦しくなりました。
私にも孤児院を訪ねる理由はあります。私なりの思いもあります。
けれど……目の前の、私に尽くしてくれる彼をないがしろにしたのも事実。
ふわふわの白金の髪。澄んだ青空のような瞳。
いつもキリッとした表情を見せている小さな騎士は、今、捨て置かれた子犬のようです。
目が合うと、彼は青い瞳がまぶたによってきゅっと閉じられました。
泣くのかと思ったけれど、涙は見せなかった。
この人は騎士なのだ、と深く思い知りました。
国を、王を、王族を、私を……守ろうとして命をかけてくれている騎士なのだ。
同時に、手を抜くことを知らない成長期の子どもの部分も持ち合わせている、まだまだあやうい存在。
成長の途中というとても繊細で貴重な時期を、今まさに生きているのです。
この人が成長した暁には……どれだけの輝きをまとっていることでしょう。
きっとこんなに誠実な騎士に守られるこの国は、明るく発展するに違いないでしょう。
瞼を閉じて立ち尽くしている騎士を前に思います。
……何ももたない私に何ができるかしら。
孤児院にいるころから、私物は少ないのです。
私にあるのは、刺繍の技と医療院の手伝いをしていたときに身に着けた包帯の巻き方の技くらい。肩、手首、足首などの間接に包帯をまくのにはすごくコツがいりますが、訓練の賜物でたいていの部位に対応できます。
では、心は?
……この若き騎士の心にはどんな手当ができるかしら。
悩んだ末に、そっと声をかけました。
「……もし次の機会があれば、一緒に行きましょう」
誘っておきながら、変な話だなとも思います。
お忍びを止める騎士にお忍びを誘うなんて……私、不良行為に誘う悪いお姉様のようですね。
でも、それでよいと思いました。
青い瞳が見られるなら。
曇りのない透き通る青空の瞳が輝くならば。
この私を守ってくださる騎士様のそばにいられる間は。精いっぱい私は守られていようと思ったのです。




