4 こぼれおちる本音
早朝、夜間寝室の警護をしていた女官と警護を交替する。
窓から見える風景はまだ薄暗く、夜露に濡れた草木もまだ半ば眠っているかのようだ。それでも、王城の末端の厨房や洗濯処、城に住み込みの者たちの宿舎は、今日のお役目のためにすでに動き出している。
王族の方々はまだ睡眠中のため、城でも王族の居住区の階は静まり返っている。けれど廊下の窓から階下を見れば、城の下部や末端の小部屋に明かりが灯り、廊下を足音を消して移動するメイドたちの動きが感じ取れる。
結局、夜一睡もできなかったギルバートは、窓から見える人々のささやかな動きを見つめながら、小さく息をついた。
眠気は少しあるが、今のギルバートは睡眠よりも、答えが欲しかった。
どうすればいいのか。
今、自分が警護する主の胸の内を聴くにはどうすればいいのか。
近衛騎士たる自分が、問われもしないのにこちらから「なぜお忍びに行きたいのですか」など尋ねるのは憚られた。
昨日、お忍びにそっと出ようとした王女を追いかけて、問い詰めた勢いでなら、あの時ならば「なぜ」と問えたかもしれないが、あの時はまったく思い浮かばなかった。王女がお忍びをする理由を問うより、お忍びを止める使命感でギルバートの心はいっぱいだった。
また「王城での貴女様の悪評をご存知ですか」なども、もちろん聞けない。そこまでギルバートは厚顔無恥ではない。
そもそも騎士の方から不必要に話しかけるというのも問題なことだ。
王女の方から話してくれれば、もちろん会話としてある程度すすめても良いだろうが、騎士の方から不躾に心の内を尋ねるわけにもいかない。
王族に専属で付くお役目をいただく者たちは、どうやって主の意志を理解するに至っているのだろう。
主から説明してくれるならばよいが、そんな饒舌な主ばかりではないだろう。
何を考えているか説明しない主を前に、どうやってその主の意志を理解して仕えたら良いのだろう。
少しずつ日がのぼりはじめる。窓の外もうっすらと明るくなってくる。
しばらくすれば、王女が呼び鈴で侍女を呼ぶことだろう。第十一王女は目覚めが早い。
着替え支度が済めば、ギルバートも朝の挨拶をすることになる。
ギルバートの心は早鐘を打った。
自分はどうやって王女の意志を確かめたらいいのか……その手立てが何もみつからないのに、このまま王女を前にして、平静でいられる自信がない。
今までの無知をあやまるのも状況として違う気がするし、ずけずけと心の内を問いかけるのもはばかられる。
けれど挨拶のみで黙ったままでいれば、いつもの日常と何も変わらない。
……どうすればいい?
……顔を合わせるのが、怖い。
ギルバートは、王女の警護について半年、初めてそんなふうに思ったのだった。
そして、そんな風に思ういつもと違う自分に、あの王女は気づいてしまう気がした。
あの若草色の瞳はあまりに澄んでいる。
こちらの戸惑いも気後れも見透かしてしまうのではないかとギルバートは怖気づいた。
一刻後。
案の定、朝、身支度を終えた王女の部屋に、朝の挨拶と今日の一日の予定を伝えるため入室した際、ギルバートは王女に呼び止められた。
「ギルバート。……夜、眠れなかったのですか?」
心配するように気遣う声音。
こちらを伺うような若草色の瞳。
視線が交わった瞬間、ギルバートは咄嗟に目を伏せていた。
「いえ……」
歯切れの悪い返事に自分自身で反吐が出た。こんな軟弱な答え方は、騎士としても貴族としても美しくない。
けれど、どうしてよいかわからない。
知らず知らずのうちに手を握っていた。
「そう? 顔色が少し悪いように思うわ。唇の色も。大丈夫?」
王女が言葉を重ねる。王女が、少し身体を折るようにして、ギルバートをのぞきこむ。まるで姉が弟を心配するような仕草。
その所作が、物言いが妙にギルバートの気に障った。
……まるで、まるで子どもの身体を気遣うみたなことするなっ! やめてくれっ!
心の内でカッと沸きおこった思い。瞬間、その心の中で吹き荒れた嵐のような自分の想いに、自分自身で驚いた。
……今、私は。心配してくださる王女様に対して、なんて不敬な。僕は……。
「ギルバート?」
優しい声音。いつものしっとりとした声が、さらに気遣うように呼び掛けてくるのが苦しかった。ギルバートはぎゅっと手を握り込み、声を絞り出した。
「……大丈夫です。何も問題ありません」
冷たい声だと自分でも思った。
感情のこもらない、相手を拒絶するみたいに壁をつくる声だと思った。
そんな失敬な話し方を自分が主にしてしまうことに、ギルバートは衝撃をうけた。
何よりも守りたいと想ってきた方に対して、冷たく拒絶するような態度を見せてしまうとは。
けれど、弟妹に接するように心配してくる王女の態度にイライラする自分が止められないのだ。
癇に障るのだ。
ギルバートは自分が自分でないみたいに感じた。
心が善と悪で引き裂かれて、自分が何処か大切な部分を失ったかのようにヒリヒリした。
ギルバートの硬質な態度に対し王女がどう感じたのか、ギルバートには読めない。
ただ王女は、
「そう……。もし不調を感じたら、すぐに言ってくださいね」
と言った。
その声はどことなく寂しげに聞こえた。
小さな声。悲し気な雰囲気。
ギルバートは自分の不敬のせいだと感じ、今度は息がつまった。
……こんな風になりたくないのに。
気持ちがあちらこちらを行き来して落ち着かない。
目の前の蜂蜜色の豊かな髪が風にそっとなびくのすら、なぜか辛く思えた。
妙な沈黙が痛い。
王女の脇に控える侍女が無言なのはいつものことなのに、今はその侍女の無言がギルバートを責め立ているように思えた。
何か言わねば。この場の雰囲気を和らげるような、気の利いたこと。
貴族の男として当然の貴婦人への接し方……。騎士としてもうすこししっかりとした態度で……。
頭の中でぐるぐるまわり、そこに昨夜のランドの言葉も混じる。
『王女の考えを知らないとね』
『一番王女を侮っているのは誰になるんだろう?』
……駄目だ、なんて言ったらいいかわからない。
ギルバードはぎゅうぎゅうと自分の手を握り締めた。
立ち尽くすばかりで、どうしていいかわからないのだ。
十六年、ギルバートは生きている中で、こんなに焦ったことはなかった。
騎士学校でも、国境の小競り合いのときも、同僚の深い怪我や痛みを前にして悲しみは何度も覚えたけれど、常に理路整然とした「何をすべきか」はある程度見えていた。
自分はこの処置をして、この技術をつかって、この問題をこのように解決して……。
と、持っている能力で目の前に横たわる問題に取り組むのだと、努めて冷静な自分というものがいつもどこかにあった。
方法論に悩むことはあれど、焦って思考がまとまらなくて、息がつまって……胸が痛むなど経験したことがなかったのだ。
たった一人だけの表情と声を前にして、自分を見失い常識ある態度を失念し考えがまとまらず、言葉がでないなど、ギルバートには経験がなかった。
黙り込んで立ち尽くすギルバートに、王女はまた心配になったのか顔をのぞきこむような仕草をした。
カツン。
王女の靴音。
近づく一歩、その間合い。
騎士の習性で王女の動きをいち早く察知したギルバートは、あろうことか一歩後退っていた。
思わぬ自分の動き。
後ろに下がった自分の左足。王女を避けるように後ろにうつった重心。
自分の手足でさえ今のおのれには制御不能なのだと実感し、愕然とする。
ありえない自分の身体の動きに焦り、ギルバートは言い訳するように口を開く。
「……大丈夫ですのでっ!……放置してくだされば……落ち着くはずです」
言ってからしまったと思った。
なんていうことを自分の口は言い出すんだろう。
主に向かって『放置して』とは何事だ。何を言ってるんだ自分は!? 王女の気持ちを理解するべきときに、逆をしてどうするんだ!?
頭の中の半分が、自分自身への呆れと怒りでわめく。
けれど、もう半分の自分が悲鳴をあげる。
……だって、それが本心だ。自分でもどうしようもない。だって、何を問いかけたらいいのかわからない!
後退したまま、ぼろぼろの心でそう思った。
「放っておいてくだされば……大丈夫ですから」
上ずるように言って、ギルバートは懇願するように王女を見た。
けれど、目の前に迫った若草色の瞳の王女は、ふうっと小さく笑んだ。優し気に、まるで駄々っ子のわがままをふうわりと受け流すように。
「……放っておけませんよ。私をいつも守ってくださる騎士様ですのに」
天鵞絨の布のようなすべてをあたたかく包み込むかのような声音。それは気遣いに満ちていた。
そしてその気遣いは今、騎士……たった一人の近衛騎士ギルバートにすべてを向けられているのだった。
……私に、私だけに向けられている、気遣い。
ふいにギルバートは泣きたくなった。
情けなくて。
不甲斐なくて。
こんな焦燥も失態も生まれて初めてで。言い訳も言い返しも逃走もできないまま、責められるどころか、心を包まれてあやされているのが恥ずかしくて。
なのに、ほっとしている気持ちもあって。
よくわからない。
自分のことも、王女のことも。
どうして……。
「何か困ったことが? もしよければ話してみてください、ギルバート。放ってなんておけません」
どうして王女はそんなふうに言う。
放っておけない、なんて。
どうして……だって、王女は。
そのときギルバートは自然に口を開いた。意識をなにもしていなかった。
ただその若草色の瞳、あたたなか王女の声、蜂蜜色のやさしげな髪の色。それらに促されるようにして口を開いていた。
「そんな……放っておけないなんておっしゃるのに……」
ギルバートの口から、ふだん出ないような震えた声がすべりでる。
「なぜ……街にゆかれるのです。……貴女様だけで……騎士を置いて」
……私を置いて。
言葉にした瞬間、ギルバートは自分の言葉に愕然とした。
同時にもう自分は駄目だと思った。
近衛騎士ギルバート。
最年少で近衛隊に登用されたなんてもてはやされたけれども。
賞賛を浴びてきた剣も技術も記憶力も、羨まれてきた出自も容姿も――……すべて無意味じゃないかと思った。
所詮それらは自分の表面を覆うものにすぎなくて、内側には、こんなちっぽけなものしかない。
自分なんて、こんなうすっぺらくて小さい者でしかない。
そう、自分は、自分が置いて行かれるのが……。なぜおいて行かれるのかと……。
王女はなんのために私を置いてまでして、街へでかけられるのかと……。
その真実を知ることは……怖かった。
「ギルバート……」
戸惑ったような王女の声に、ギルバートの心は軋む。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、王女様……。
私は僕は、貴女を守れるほどの人物じゃなかった。
ただのただのいけ好かない子どもだった。
悲しくて悲しくて、ギルバートは瞼を閉じた。
涙だけはにじませるものかと抵抗するのが、せめてもの矜持だった。




