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3 寝つけない夜


『一番王女を侮っているのは誰になるんだろう?』


 近衛隊の先輩であるランドの言葉が何度も頭に響く。


 ギルバートは、今宵、何度目になるかわからない寝返りを打った。

 

 今ギルバートが使用している近衛隊の宿舎は王城内にあり、いつでも王城に居住している王族の警護に駆けつけられるようになっている。普段なら二人使用の部屋であるが、今晩は相方が王城の夜間の見回り担当のため不在だった。

 何度も寝返りをうってしまう今夜は、同室者の不在がありがたかった。



 ……王女を侮っているなど、そんなつもりは一切ないっ。

 

 そう悲鳴のように心の内で思う。

 けれど、自分が今までお忍びを止めてきた態度を思い返すと、ただ王女を追い詰めていただけではないのかと気付く。


 ……王女のこれからの立場を考えるからこそ、お止めしているつもりだった。けれど、王女が今のご自分の状況をどう思っておられるのかと問われれば……答えられない、知らないわからない。


 ギルバートは布団の端をぎゅっと掴んだ。


 ……わからないということ。つまりそれは、私が王女のご意志を理解せぬままに、ただ一方的に外出を止めてきたということを示しているわけで……。それは、私が王女を侮ってきたということになるのだろうか。

 ……近衛隊としてまた貴族出身の立場として、王女の振る舞いに今後の危うさを感じずにいられなかったからお止めした。自分の行いの正しさを、私は信じていたし、王女のためになると思っていた。


 でも、違うのだろうか。

 先輩のランドがあぁいう風に考えさせる問いを残していくということは、ギルバートの行いに欠けたところがあるということだと思い、ギルバートは眠れなくなる。

 自分の思ってきた正しさが正しくないとすれば……正しさはどこにあるのだろう。

 

 

 困り果てたギルバートは、自分にとっての王女とはどんな存在かを振り返ってみることにする。


 ……私から見た、王女アンジェリカ様。


 思い返すと、最初に浮かぶのは若草の瞳。蜂蜜色の髪。落ち着いた声音。驚くような速さで器用に刺繍の運針をすすめる爪の短い手指だった。初対面のときささくれていた指先は、この半年でつるりと綺麗になっている。

 本人の要望なのか侍女の見立てなのかはわからないが、鎖骨まできちっと包まれた古風なタイプの長袖のドレスを着ている。夜会にも出たことがないため、手首から上の肌も晒したところをみたことがない。


 女性らしいたおやかな外見だが、言葉のやりとりを思い出すと真面目で印象を受ける。 

 話すと、よどみなく言葉を連ねる。

 頭の回転がよいのか、王族の歴史などを説明すると理解した上で鋭い質問を投げかけてくる。

 ただ、暗記はあまり得意ではないらしい。

 貴族の系図を説明した折、なかなか人名と関係性が一致しなかった。あの時だけ、「ギルバートが暗記能力が高すぎるのです……。同じにはなりえません」とめずらしく弱音をこぼしていた。

 困ったように眉を寄せた顔が、いつもより幼く見えた。ほんの少しだけすねてるような口調だった。記憶に残っている。


 振り返ると、自分は王女に付いて数か月であるがたくさんの王女の行動と言動を覚えているものだと痛感する。

 そもそもあえて記憶にのこしてきたといっていい。

 もともと自分は、物覚えが良いほうだ。幼い頃から目にうつる地図や絵や状況などは面で覚えてしまう。だいたい復元できる。言葉なども字面にしてしまえば、頭の中に写してしまえる。

 そんな自分の特性を、守るべき方のために使わないはずがない、とギルバートは思う。


 すこしだって、王女の姿を取りこぼしたりはしない。

 王女のことは、覚えている。

 すべて覚えている。


 目裏に王女の姿を映し出せば、若草色の瞳が自分を射貫く。

 その瞳は、いつもまっすぐにみた。

 これには、少し困った。嫌じゃないけれど、戸惑った記憶も強い。


 淑女は……特に未婚の貴族の女性は、そうそう長く一人の他者と見つめあわないのがこの国の文化だった。

 目を伏せるたり、礼をしながら、視線を落としたりする。会話のあいまあいまでほんの少し視線を交わしても、ゆるりと目線を移ろわすものが優雅とされた。じっと見つめあうのは少し特別な関係になってからの行為といえた。

 その流れもあって、高貴な者は自分に仕える者とわざわざ目線を合わせ、対等に物言いを交わすということもあまりしない。


 だから、近衛隊の上官から新しく王城に来る第十一王女アンジェリカ姫に付くように指示を受け対面したとき、困ったなと思ったのだ。

 子どものように目をそらさず話すところ、自分のような目下の者にも丁寧に接するところ。それは中流階級ならばいざしらず、貴族王族の女性としては稀なしぐさといえた。

 実際、ギルバートにとっても異性と目線をそらさず会話するのは慣れぬことだった。侍女は同性ゆえにそれほど支障はないかもしれないが、それでもやはり戸惑う者もいるだろうし、王女の振る舞いとしておそらくは歓迎されないだろうとも思った。

 ただ、ギルバート自身に関しては、嫌悪は微塵も感じなかった。

 この方を守るお役目をいただいたのだと思うと、この方をとにかくお守りしなければとただそれだけを思った。

 

 王女アンジェリカの背丈はギルバートと変わらない。……いや、正確にいえば、ギルバートの方がわずかに小柄である。

 年は三つほど上のはずだから、この国であれば結婚適齢期にあたる女性。この年齢で突然「王女」となっておそらくとても戸惑ったことだろうと思う。いくらこの国が小国で地域の経済格差があまりない穏やかな国だったとしても、王族と庶民ではあまりに暮らしていた世界が違うというものだろう。

 初対面のときの王女は、若草色の瞳ははっきりと前を見据えていたが、唇は通常より赤味がなく顔も青白く震えていた。

 それでも、震えを押さえるようにして目をそらさずに、王女につく近衛騎士として紹介されたギルバートに対し、はっきりとした声で話しかけてきた。


「これからお世話になります。アンジェリカといいます。私をお守りしてくださるとのこと。よろしくお願いいたします。ご存知かと思いますが、私はこちらのことについて何もしりません。慣習的なことおろか、基本的な過ごし方も……。どうかいろいろとお教えくださいませ」


 少女の声というのは高いものだと思っていたが、王女から発せられたのは天鵞絨を思わせるしっとりした聞き心地のよい声だった。

 お守りする王女は一見して成人した”女性”だとわかる体つきだったが、声や話し方でさらに少女でなく女性なのだと、強く認識したのを覚えている。


 王女の話し方は、庶民育ちと聞いていたゆえに覚悟していた「訛り」や下町の省略語がなく、聞き取りやすかった。

 まるで騎士学校の先生の朗読の如く、基本に忠実な発音だった。さらに立ち姿や会釈などの振る舞いも凛として無駄な揺れがなかった。


 後から知ったが、王女が育ったリュリス神聖教会が設立した孤児院は躾けが厳しいらしい。

 良家の子女としての振る舞いを幼き頃から徹底して教育されるため、孤児院を出た後の就職口や結婚崎に困らぬとのことだった。細やかな指導と教育は、集団生活の中では窮屈さもあったろうが、結果的にこの王女を救っているのだろうなと思った。

 何気ない立ち居振る舞いというのは、なかなか後から矯正できるものではない。王族貴族の女性に求められる優雅さ優美さの不足はともかく、基本的に美しい振る舞いができるということは王城で暮らしていく最低条件は満たしていると思った。


 庶民から王城に来た王女が、賑やかながさつさをまとっていないことにギルバートは少しほっとした。

 自分は貴族としての知識や情報で王女をある程度守ることができても、女性としての振る舞いのフォローをしエスコートをして「守る」には、体型的に背丈という点においても……足りないと初見からわかっていたからだ。彼女より小柄な自分が、王城に慣れぬ彼女のふるまいをかばおうとしても、よけいに目立つ結果になりそうだと思った。

 

 この落ち着いた大人の王女をかばえば、周囲からは「年上の女がこどもに世話されている」と揶揄されかねないだろう。

 自嘲めいた思いが心に絡みついたのは、王女の部屋の豪奢な縁で飾られた鏡に、王女と侍女と自分の姿が映っていたからだった。

 

 鏡の中の三人の姿、王女と侍女と自分。その中で一番小柄で幼さを残す者、それが己であることに気づいてしまった。「男」というまだどこか足りないと思わせてしまう「少年」を残した姿が妙齢の女性二人の前で騎士の礼をとっている。

 鏡は現実を映す。

 見た目というのは時に残酷だ。


 ……この方を守るのが、お役目。全力をかけて守るのが、仕事。私は、それを果たす。


 強くそう思いながらも、目線を少しあげて王女の顔を見なければならないことが寂しい。

 成長の遅い自分自身がうらめしかった。

 

 それまでは、近衛隊の中で年若くまだ小さいことを歯がゆく感じることは今まででもあったが、実際に年齢に差があるので、成長を待てばよいのだという納得しているところもあった。

 けれど王女付きと決まり、初めての面会を行ったとたん、焦りが生まれたのだ。奥歯をぎゅっと噛むしかない悔しさだった。

 

 それ以後の半年間、体格の悔しさは常に抱きつつも、それを他で覆さんとする勢いで、ギルバートは全身全力で仕えてきたつもりだった。

 夜間の警護は寝室なので女官に交代したが、それ以外は毎日ついていた。頼めば休日として別の者に交代できる日もあったが、あえて頼まなかった。また近衛隊のほかの者も庶民上がりの急遽王女になった女性の警護など何の利益もないと思ったのか、交替を名乗りでてくる者もいない。それはギルバートにとって好都合だった。


 毎日警護しているが、基本的に王城は平和だ。

 緊張感は常にもつべきだが時間を有効活用するのも大切なことだろうと、侍女長と近衛の上官に許可を得て、定期的に王族貴族や王家の歴史についての勉強の時間も取り入れることにした。ギルバートも伯爵家において貴族として学んで来たことを惜しみなく王女に伝えた。話題の振り方、会話運び、基本的なマナー。上流階級で常識とされる些細なものごとについて。

 王女は真面目に取り組んだ。

 数か月を経て、王女の居室内では侍女に対してもギルバートに対しても貴婦人的な態度をとれるようになった。意識すれば立ち居振る舞いにも優雅さも加味できるようにもなられた。夜会のダンスなどは無理だったが、座って歓談するなどのお茶会のような貴族的交流であれば十分可能なくらいに「王女」となられた。


 けれども……。


 王女は王との面会なお必要に迫られないかぎり居室からいっこうに出る気配がない。

 他の王族や貴族と交流しようとする気配を見せない毎日が続いていた。

 華やかさにも刺激にもかける平坦な王女の毎日ゆえに、侍女たちもアンジェリカ王女に仕えることに手を抜きはじめ、所詮は庶民育ちと侮る雰囲気を持ち始める。

 

 そんな中、唯一やっと王女が能動的に動いた希望といえば……孤児院への「お忍び」に関してだった。

 どうにか孤児院を普段着で訪ねられないかということについての相談。

 

 簡素な服が用意できないかと頼まれてひきつった顔を見せる侍女を下がらせ、「危険きわまりない」とギルバートは跳ねのけた。 

 すると予想外にも王女は別の少々開放的な感覚の持ち主の侍女にこっそりとお忍びの手引きを頼んでしまった。


 ……そんなことをすれば、王女の陰口がまた広がるのに。


 苛立ちだけが募った。

 そう、王女が自分を貶めてしまうようなことを自らしようとすることにイライラしたし、見ているのが辛かったのだ。



 思い返している内に、ギルバートはふと自分の思いに気付く。

 

 ……見ているのが辛かった?


 なぜ辛かったのか。

 それは、王女がどんどん王城での生活を狭めて、居場所を失っているように見えたから……。

 そんなことでは、王女がこれからますます苦しむのではないかと思って……。

 

 そこまで気持ちを辿ったとき、ようやくギルバートは心の底にあった想いに行き当たった。

 

 ……もしかして、心配だったのか、私は。


 心の中で苛立ちが「心配」という言葉のかたちを持ったとたん、すっと苛立ちのような哀しみのような心の靄が引いた。


 ……あぁ、そうか。私は、王女がまた貶められる、侮られる、と心配で気がかりで、どうしようもなかったのか。もどかしかったのか。

 

 すとんと心に落ち着くものがあった。


 王女が正当な『王女』として認められた今、もう市井にもどり街で暮らす日常を取り戻すことは絶対にあり得ないことがわかっていた。

 いくら孤児院のこどもたちや街のひとたちに素性を隠したとしても、王女自身に流れる血が王の守護精霊の光を持つ血だということが分かったのだ。王城は王女を街に戻すことはしない。

 それはお忍びを黙認する緩さとは一線を画した、確実なことだった。

 王女が認める認めない問わず、もうその血によって王女の居場所はほぼ決められてしまっている。王城かせめて離宮で未婚の王女として暮らし続けるか、王の目の届く上流貴族の妻の座におさまるか。その二択だろう。

 どちらにせよ王族貴族の者たちのはざまで生きていくしかないのだ。

 それなのに、王女はその居場所を自ら居心地悪いものにしていっているように見えた。

 王女が立場を自覚せず、対応によっては孤立がすすむ現状を理解せずに、ただかつての自分の故郷たる孤児院に固執しているように見えて、心配で不安だったのだ。


 ……もちろん、自分の苛立つ気持ちの源が、王女への心配と不安だったことがわかったとしても、王女の気持ちや考えを知らないという現実は変わらない。 

 

『一番王女を侮っているのは誰になるんだろう?』

  

 ランドの声がこだまする。

 侮るつもりなど、一切なかった。それは真実。

 でも自分の気持ちはどうであれ、自分がとってきた態度あるいは理解を怠ってきた事実は、王女を軽んじていたということになってしまうのだろう。

 

 ……どうすればいいんだろう。私は……僕は。


 ギルバートは、いくら時間が経っても寝つけそうになかった。




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