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「どうして、あの方はあぁも軽率なんだ」


 騎士隊宿舎の食堂でこらえきれず、ギルバートは小さく呟いた。

 夕食時間よりも遅い食堂は、食事を摂っている者たちよりも歓談を楽しんだりカードゲームに興じているお勤め後の騎士たちのくつろぎの場と化していた。その片隅のテーブルについているギルバートは、もう何度目かわからないため息をついた。

 呟きとため息を聞いて、ギルバートの向かい側に座っていた騎士ランドは、柑橘の皮を剥いていた手を止め、ギルバートに目を遣った。


「まだ気にしてんの?」

「お忍びですよ!? しかも、もう3回目です!」

「……前々回も前回も今回も置いてかれたもんな、ギル」

「そういうことじゃないんです!」


 ギルバートは先輩騎士ランドの言葉に反発するように、目の前のコップの中身を一気にあおった。

 中身は酒……ではない。

 パナ―ニャという実のしぼり汁で、真偽はともかく成長期のこどもの背丈を伸ばす効果があると言われている飲み物だった。騎士隊宿舎内食堂勤務の料理人は、まるで示しあわせているかのようにギルバートの食事トレーにはパナーニャジュースをつけてくる。遠まわしに、ギルバートの体格が小柄なのを心配しているらしい。

 気遣いはありがたく受け取るものの、ジュースそのものは味は苦くてドロリとして不味い。しかもなぜか真っ青な色をしており食欲の湧きにくい見た目をしている。匂いがあまりしないだけが救いというジュースをギルバートは息を止めるようにして飲み込む。これで効果がでなかったら辛い。


「飽きずに毎食パナーニャジュース飲めるねぇ」

「……習慣ですので」

「俺も十代の頃は飲んけどさ。 まぁ……効いて背が伸びてるといいね。応援してるよ。今年はギルバートの背が伸びて『隊服を新調する』側に賭けてるしね」


 最後の一言が余計だと思いつつ、ギルバートはランドをひと睨みしてから唇についた青みをハンカチでぐいっと拭う。

 ギルバートのこういった荒々しいしぐさも、彼の天のみつかいと称される巻き毛めいた癖毛のふわふわの白金の髪と青空のような瞳、少年らしさの残る頬の線とふっくらした桃色の唇にまだ節ばっていない手指で行えば、ただの不貞腐れた美少年くらいにしか見えていなかった。

 しかも本人に自覚はないが、実家での伯爵家での躾けの賜物で所作に無駄な動きや雑音が皆無なため、品の良い貴族の雰囲気を常に漂わせている。

 

 ランドは年離れた弟を見るような眼差しでギルバートを見やりつつ、口調だけはからかうように軽く声をかけた。


「何が不満なの? 王女様は無事に帰っていらっしゃったし、何も事件はおこってないだろ? ゼノ殿下が王女と行動を共にしたのはいつもの気まぐれだろうし、殿下も王女もまったく身分がバレてなかったとの報告だから、問題ないんじゃないの?」

「……」

 

 ランドの問いかけにギルバートは口をつぐんだまま視線を落とした。

 そうなのである。

 先ほどお忍びで出かけたアンジェリカは、庶民に変装したゼノ殿下と侍女、警護にネイトをつけて街にでかけ、無事に帰ってきたのである。

 日が沈む前まだ明るいうちに安全健全に、もちろん誘拐どころか怪我も事故も無し。何も問題なく城に戻り、何もなかったように侍女が用意した王女の普段着にふさわしい上質なドレスに着替え夕食を摂っていた。


 廊下で待機していたギルバートの前を通りすぎるとき、一度だけ若草色の瞳を向け、

「ご迷惑をおかけしました。……行かせてくれて、ありがとう」

と小さく告げて、侍女と共に自室の寝室へと戻っていった王女。

 今頃は、剣の心得のある女官の警護の元、寝る前の読書でもしているかすでに夢の中にでもいることだろう。

 『お忍び』としても、たしかに問題はおこっていなかった。しかも行き先は、今まで同様彼女の育った孤児院のみだと報告が来ている。


「行先明瞭、事故無し、怪我無し、問題なし。何が不満?」

「……不満があるわけじゃありません」

「そう? それにしちゃイライラしてる顔だし、気にしてるみたいだし」

 

 ランドの言葉にギルバートは口ごもった。


「それにさ、王女は孤児院でこどもたちに本を読んで歌を聴かせてやって、手作りした刺繍のハンカチを贈って、庭で鬼ごっこ、夕食の材料の下準備を手伝って帰城。リュリス神がお喜びになる”善行”だと思うんだけど? でも、ギルはアンジェリカさまの健全なるお忍びであっても嫌そうだよね。なぜ?」


 なぜと問われて、ギルは一瞬息を詰めた。食事の皿ののった木のトレーの端を持つ手に力が入る。

 理由は自分の中ではっきりしているが素直に口にするのに躊躇した。

 黙っているギルバートに対し、ランドは促すようにトントンと机を二度指先で軽くたたく。

 親しくしていても先輩の催促をさすがに無視できず、ギルバートは逡巡した後、小さく吐息してから口を開いた。

 

「……善行ならば……なおさら、お忍びでなく王女の慰問として行けばよいと思うからです」

「はあ?」

「お忍びなど……それがいくら孤児院の訪問であっても善行であっても、回を重ねれば重ねるほど王城の勤める者たちは第十一王女アンジェリカ様を軽視するようになります。『王女は街育ちだから王城には合わぬのだ、町娘の格好の方が似つかわしい』と今もたたかれている陰口が止むことなく侮られ続けられるでしょう」 


 ギルバートの言葉にランドは首を傾げた。


「お忍びだと陰口を言われ続けるから、やめたほうが良いと? 王女の慰問活動として行動すれば王女の評判もよくなるのに、と言いたいのか?」


 ランドの言葉にギルは小さく頷いた。理知的な青い目を伏せて、言葉を紡ぐ。 


「……あれでは、自ら自分の評価を下げているだけです。王城ではほぼ自室にこもったきり、刺繍と読書、歌を口ずさんでいらっしゃるだけ。侍女を気の合う数人を最低限の人数で回しています。おそらく人らしい会話といえば、数名の侍女と私が貴族の基本的な慣習をお教えする時くらいでしょう。……自分から籠の鳥になっているようなものです。その上、やっと部屋からお出ましとなったら、”お忍び”の準備を侍女に頼むようでは……。さらに立場は悪くなる」


 ギルバートの言葉にランドは考えるようにして、手を組んだ。


「なるほどね。アンジェリカ様付きのギルとすれば歯がゆいってわけか。自分の主がみすみす陰口をたたかれるのは、たしかに悔しいものではあるね」

「……」

「けどなぁ……お忍びで出かけようとするのも理由があるだろ? たしか、孤児院のこどもたちには、元孤児院にいた”お姉さん”が実は王女アンジェリカだったってこと知らされてないんだろ? お忍び姿で訪問するしか、仕方がなくないか?」


 ギルバートはランドの言葉を黙って聞いていた。

 たしかにランドの言うとおり、アンジェリカが元暮らしていた街の人々、孤児院の院長と働いていた医療院の理事長以外はアンジェリカが王の子であり王城に引き取られたことを知らない。

 街を離れたのは、縁あって貴族のところで住み込むことになった、くらいの知らせ方になっているようだった。


 もちろん王城務めの者たちや、王の子であると認めた聖教会、王族貴族らには第十一王女の身上について通達されている。

 孤児院で育ち、16歳からは孤児院に隣接している医療院で手伝いしながらつつましくくらしているところを、偶然王女の血が聖教会がわたったことをきっかけに王の血統を引くことが確認されたこと。またその後、王の願いもあり王城に引き取られたことについて知らされている。秘匿次項の指定もない。


 単にアンジェリカの希望により、孤児院や手伝いをしていた医療院には、王女であったことを知らせていないのだった。

 もともと孤児院や医療院に勤める者が王城に住まう王族と関わることなど皆無といっていい。

 つまりアンジェリカが城に住むようになったことなど、孤児院の子ども達が知るよしもなかった。

 孤児院のこどもたちがアンジェリカが王女であるとしらないのだから、質素な姿に身をやつしてお忍びで訪問するというのも一理あった。


 ……でも、それが結果的に王女自身の首を絞めてるのではないか。 


 ギルは息をついた。


「……公表すればいいのです」

「それって、孤児院とか生まれ育った地域の人に、自分は王女だったんだって知らせるってこと?」

「そうです。王女として王城に住むことになったのだと事実を知らせ、今後は孤児院を訪ねるのにも王女として慰問訪問の形にする。たしかに、孤児院のこどもたちは驚くでしょうし、訪問の形も慰問であればそれなりに供や警護もつけて道中の体裁を整える必要はでてくるでしょう。けれど、いったん訪問して敷地内に入ってしまえば、本を読み聞かせしたり共に歌ったり遊んだりすることまで制限がかかるわけではない。そう考えると、お忍びという形をわざわざとる必要はないのではないかと思います」

「そんなものかなぁ……」

「公式に訪問するという形をとらない限り、お忍びという形になってしまう。それでは、孤児院のこどもたちとの関係は今までどおりを維持できても、王城内での王女の軽くみられる立場は何も変わらない。王城内で王女様方や貴族との交流ははからずに、ただ質素な身なりをしてお忍びで街にでかけてゆく……回数を重ねれば重ねるほど、軽率な行動をする王女と侮られてゆくように思えてなりません」

「ゼノ様も、よく変装して街に出かけちゃうけど?」

「ゼノ殿下の場合は、貴族や他の王子たちに街に情報や土産を回すなど交流の糧にし、結果的に殿下の評判にも良い作用をもたらしています。個人的には王族方のお忍びは奨励したくありませんが」

「……ま、たしかに、ゼノ様とアンジェリカ様では性別も生い立ちも立場もまったく違うしな」

「はい……アンジェリカ様は特殊なお立場です」


 ギルバートの言葉に、ランドは「あぁ……そっか」と小さく呟いた。

 彼の苛立ちの下に、アンジェリカを非常に心配している心があることがよくわかったからだった。

 それと同時に、ランドはギルバートの今の状況を厄介だなとも思った。

 ギルバート自身に王女の身を案じているという自覚がないように見えたからだ。無意識のうちに王女のことを気にかけ、孤立の原因となる問題だけは気付いてしまい苛立ちだけが募っているようだった。しかも、王女の「お忍び」を自分の言葉がけだけで止めようとして失敗し、さらに護衛にも引き連れてもらえず置いておかれて焦っている。

 日中、丁寧に警護についているがゆえに王女の孤立の可能性という問題に気づくことができていながら、ギルバートは自分の思考の中だけであがいてしまっているようにランドからは見えた。


 ……なんやかんや言っても、こういうところは年相応というか若いんだよなぁ。 

 ……さあて、どうしようかな。


 ランドは頬づえついて、長い脚を組み替えた。

 後輩ギルバートを眺めつつも、その美少年が毎日警護している王女の姿を思い浮かべてみる。

 王女アンジェリカ。

 貴族であれば社交界デビューをしてすでに婚約結婚が決まっているであろう19才。庶民でも一児の母であることなど珍しくない年頃のはず。その年齢に見合った、いやそれよりも落ち着いていそうな雰囲気。そもそも、今日の日中も、ギルバートに問い詰められてもあまり動じていなかったように見えた。か弱い女性ではない気がする、とランドは思った。

 あと蜂蜜色の豊かな髪はなかなか美しく、聖教会直下の孤児院で育った者らしい姿勢のよいきびきびとした所作、態度も小気味良かった。優雅さはあまりないかもしれないが、無駄のない凛とした佇まいは、基本的に同性からも異性からも好ましく思われるだろうなと想像する。


 ……ギルバートの予想、王女の孤立もたしかにこれからの状況によっては考えられるが……。あの若草色の瞳。あのギルバートに詰め寄られても曲げなかった意志。ゼノ様の前ではしゃしゃり出ない場所と人間関係の状況を把握した態度。

 ……城の一部の者から”侮られている”ってこと、わかってると思うんだけどなぁ。悪評が立ってもなお、それを実行しているのだとすれば?


 ランドは頬づえをついたまま向かいに座るギルバートの顔をのぞき込むように見た。


「王女様はどう思ってらっしゃるんだろうな」

「え?」

「ギルの読みはたしかに当たってる部分もあるけど……王女様の気持ちはわからないだろ? お忍びの理由にしろ、ご自分への陰口や侮りにしろ、どうお考えなのかなと思ってさ」

「……」


 ギルバートの青い瞳が不安げに揺れる。ふるりと震える長いまつげ。怯えが表情に浮かんだ――その瞬間。

 唐突にランドは頬づえをついていた腕をざっと真向かいに伸ばし、ギルの左肩に手刀を振り下ろした。

 一瞬の刃に似た風。金の髪の揺らめき。

 刹那。

 パァンッ……とギルバートの腕がランドの手刀を跳ね返した。


「なにするんですか!」

「いや、隙が見えたから、いけるかな、と。止められちゃったなぁ。腐っても悩んでも近衛だねぇ」

「……馬鹿にしないでください」


 ギルバートが盛大に眉を寄せる。青い瞳が凍てつく湖のような冷たさを帯びる。だが、後輩のそんな冷えた目線にもランドは肩をすくめただけで笑いながら口を開いた。


「馬鹿になんてしてないよ。……ギルのこと馬鹿じゃないと思うからね、指導するんだよ。ちゃんと近衛として行動しなさい」

「どういう意味です?」


 怪訝な表情を見せたギルバートに、ランドはヘラっと笑った。


「王と国を最優先で守護。国家に害無き最善の形を探求、実行。並びに王族付きの任務では主の意志を理解し尊重。君の場合は、まず王女の考えを知らないとね」

「……王女の考え……」

「そう。主の考えを知らずして行動する。それこそ軽んじている、侮っていることになるんじゃない? 指示・命令から主の意志を理解するのだとすれば、ギルは王女様のどんな意志を理解しているの?」

「……」

「答えられないとすれば、”王女付き近衛騎士”でありながら主の心を読んでいないことになるね。……と、すれば。一番王女を侮っているのは誰になるんだろう?」


 ランドの言葉に、ギルバートは目を見開いた。

 その後輩の表情を確認してから、ランドは大げさに「あぁ痛かったぁ! 俺は医務室にでもいくよー。じゃあね、ギル」とギルバートに払われた手をさすりながら立ち上がったのだった。

 


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