1 第十一王女のお忍び
昼下がりのメーデル王国、王と王族が住まう城の中庭。
明るい陽射しを受けて赤や黄、桃色に薄紫といろとりどりの花々が華やかさを競うそこは、王室の者とそれらを守る近衛隊、一部の貴族のみしか許されていない場所である。
ゆえにいつもゆったりとした優雅な時を刻んでいる……はずであった。
パタパタパタ……
……カツカツカツ
異例の急ぎ足の足音。それを追いかけつつも靴音が響くのを極限まで抑えた気配。それらが花咲く中庭に突如として現れた。
さらに、響く女性の声。
「ギルバート、ごめんなさい……。でも、見逃してくれませんか」
女性は中庭の最奥、もう花々の壁で進めないということで足を止め、振り返りながらそう言った。若草色の大きな瞳は懇願を示すように自分を追いかけてくる男を見つめる
女は濃厚な蜂蜜色の長い髪をを一つにまとめ、王城の中庭には少々不釣り合いな質素で光沢のない生地のドレスを身に着けている。そのスカート丈はくるぶしほどで、美しさよりも歩行を主とするしっかりとした皮靴の先が裾から見え隠れしていた。両手には、中流階級の女性が外出時にかぶることの多い簡素な帽子をにぎる。
あきらかに上流階級――ましてや王城の中庭にはふさわしくない出で立ちの女性である。
「大切な用事があるの……お願いします。ギルバート」
女の若草色の大きな瞳は相手の出方を伺うように、自らがギルバートと呼びかけた者の瞳と視線をあわせ、ほんの少し朱の入った唇をきゅっと引き結んだ。
見つめられた者――ギルバートと呼ばれた者は、足を止めた。
長いブーツを履きこなし白と銀を基調とした近衛隊の制服を着こなした少年で、女性よりも明らかに二、三歳若い。
見た目としては、顎から首筋にかけてのラインはまだ少年らしさを残し、鍛えられた騎士というにはあどけなさも混じる。
ふわりとした癖のある白に近い金色の髪、晴れた空のような青い瞳。眉目秀麗、天の使いか妖精か……と表されそうな外見をしている少年騎士。その口のほんの少し笑みを浮かべれば、多くの者が釣られるようにして微笑んでしまうような、目を引く煌びやかさがあった。
だが残念なことに、今、その美しき少年が漂わせているのは険しさだった。
長いまつげに縁取られた青い瞳にのぼる苛立ちを隠そうともせず、蜂蜜色の髪の女を睨むように見る。
「王女が、単なる付き人の騎士に簡単にお願いなんてするものではありません」
「ご謙遜を。ギルバートは華ある近衛騎士様ですよ」
「王族を守るのが我々の役目です。ゆえに王女である貴女様が危険に飛び込むことを見過ごすこともできません!」
「でも、見逃して欲しいの」
噛み合わない会話に思わずギルバートは早口で切り返した。瞬時に心の内で、騎士たるものいかなる時にも取り乱してはいけない、心を静めて状況を見極めなければ……と気持ちを静めようとする。
だがその矢先、ギルバートの耳を震わせた女の言葉が、また彼の顔をひきつらせる。
「ごめんなさい、今日は、本当に大切な御用なの。行かせて欲しい」
帽子をぎゅぅっと握り、訴えてくる王女の姿はけなげそのものである。けれど絆されてはならないのだと、ギルバートは表情を硬くして答えた。
「……頼まれても聞き入れられないこともあるのです。お忍びで出かけて、あなたの身にもしものことがあったら取返しがつかないのですよ」
「……もしものこと?」
「あなたはれっきとした王女として認められたのです。我が国がいくら平和な小国であろうとも、誘拐に事故、怪我、その身になにが起こるのかわかりません。それなのに警護もまともにつけず庶民に紛れた形で街を出るなど、見逃すわけにはいきません」
騎士の声音は抑えつつも厳しい物言いだったが、女は怯えるでもなく小さく息をついた。
「王女っていっても、私、十一番目でしょう……。王の子という意味では、たしか二十二番目?」
「二十三番目です」
「……さすが愛多き王という通り名でいらっしゃって、子だくさんです。その中で、私なんて数に入らないのではないでしょうか」
「なぜです」
「最近、王女だってことが偶然判明して王城に迎えられただけですもの。……王女の数に入れてもらわない方がいいというか……他の王子王女様や王妃さまやたくさんの王の愛人の方々に申し訳ないといいますか……。王のかつての一時の恋の相手だった私の母。私を身ごもっていることを王はご存知ないままお別れされたはずですのに、今更……」
女性の言葉に、ギルバートは眉間に皺を寄せて応答した。まだ声の変化が途中のギルバートは長く話すと掠れた声になってしまう。それをできうる限り表にしないように、あえて絞ったような固いしゃべり方を続ける。
「王はたしかに王妃を早くに亡くされたあとは妃はお迎えにならず、愛妾や恋人を幾人も抱えられておられたそうです。……その愛妾、恋人、授かったお子様方には、今も変わらず分け隔てなく接しておられます。貴女様のことも、また貴女のご母堂様もご存命であれば、王は決してないがしろになさいません」
「たしかに王様は、愛情こまやかで大らかでありながら、愛情を与えることには非常にまめでいらっしゃいますね」
「まめ……。王に対しひとこと多いのはどうかと思います」
生真面目な少年騎士の指摘に対し、王女は肩をすくめて「すみません」とあやまった。
「とにかく王の血を軽視してはいけません。どうか王族のご自覚をお持ちください。お忍びで外に出て誘拐されたらどうするのですか? 最近出没したという物盗りもまだ捕まっておりません。軽率な行動はつつみ、どうぞ王女にふさわしいお衣装にお召し替えください」
ギルバートと呼ばれる騎士は、必死に言い募り、王女の方へと一歩近づいた。
王女は逃げるにも背後は花と緑があでやかな花壇であることに息をつき、少し近づいた騎士の顔を見た。
もし騎士にこれほど険しい顔と態度で近づかれれば、大抵の人は怖気づいてしまうだろう。
しかし今の場合どうにも騎士ギルバートは顔つき体つきに少年っぽさが残りすぎており、逆に迫られる王女は少々の荒くれに怒鳴られても毅然としていられるだけの経験に基づく豪胆さを持っていた。
二人の背丈はほぼ同じ、というよりも王女の方が指の関節ひとつ分ほど高い。――ゆえに、目線に高さの違いはなくがっつりとかちあう。二人の眼差しはそれぞれ強く、どちらも引く気配はなかった。
しばらく睨み合いのような状態が続いた後、王女は苦笑いを含ませたような表情で口を開いた。
「最近存在がわかった第十一王女……私の顔なんて誰もしらないでしょう。王女といっても半年前に判明して、さすがに王の血を引くものを庶民の街中に放っとけないからと”引き取ってくださった”。ただそれだけのこと」
「簡単なことではありません。王の子でいらっしゃると聖教会が認めたことなのです。貴女様の御血から、現王の守り人たる精霊マリスの光が確認されたのですから!」
「……とはいえ、貴族の皆さま方にとっては、後ろ盾もない孤児院あがりの私などご興味もございませんでしょう。その……ギルバートは私を王女として扱ってくださいますけども……それこそこの王城において、ギルバートのような感覚で私を扱ってくださるほうが稀だと思うのですけれど……」
王女が言いにくそうに言うと、ギルバートはギリッと奥歯を噛んだ。
他の侍女たちがこの最近判明して王城に来た第十一王女に対して軽率な態度であることは、彼も気づいていたからだ。
こうしてお忍びで出かけようとするのを黙認するほどに……侮っている。
だが、ギルバートは断言する。
「貴女様は王族の一員です。ご自覚を」
少年らしい断定的な物言いに、王女はほんの少し苦笑を浮かべつつ困ったような顔をして応じた。
「……ギルバートのご実家は王への忠誠心あふれる長く続く伯爵家と聞いております。ですから王族の方々への思い入れも格別とは思います。けれども、王族の自覚を求められましても、孤児院育ちの私にはうまく応えられません。私が王女であろうとしても、所詮は付け焼刃の振る舞い。笑いの種になるだけではありませんか?」
「そんなことはございません! 由緒正しきリュリス聖教教会運営の孤児院でお育ちであること、恥じる必要は微塵もありません!」
「そうでしょうか……」
「もちろん今まで王族としての教育は受けておられなかったのは仕方のないこと。それはこれから学べばよいのです。僭越ながら私も助力を惜しむつもりはありません。今は近衛隊の身ではありますが、私も伯爵家に連なるものとして出来得る限り情報と知識をお伝えいたします。……それよりも、そもそも王城からお忍びで街に出るというような行いこそ王族として問題が……」
ギルバートが必死に声がひっくり返りながらも王女を止めようとする言葉を再び言おうとした瞬間。
「八番目の王子様もお忍びがお得意と聞いております」
響いた王女の切り返し。
ギルバートは「八番目の王子様」の言葉に少しひるんだ。たしかにお忍びをよくする王子である。
「それは否定できませんが……」
「そうでしょう?」
「ですが、第八王子ゼノ殿下は剣術もお得意です。……身をまもる術をお持ちですし、男性ですし……」
ギルバートがそう言い連ねると、王女はまた口を開いた。
「あら。もう隣国に嫁がれました五番目の王女様や王の末の妹姫様も、ご結婚なさる前は、変装をなさってよく街においでになったとか聞きましたが」
「そ、それは……私が生まれる前の昔の話で……ち、治安も……」
お忍び上手な王族の名を並べられて、咄嗟に次の言葉を言いよどんだ。
ちょうどその時、中庭に出る小道に人の気配を感じた。
ギルバートは騎士の習性で王女を守れるよう片手をあけたままでひねるようにして後ろを振り返る。
「ほらほら、ギルバート、堅苦しいこといわないで」
大人の男性の声が中庭に響いた。
「ゼノ殿下!」
中庭に続く道に現れる人影が三つを認め、ギルバートは王女を守る体勢から王族に礼を尽くす姿勢へと即座にあらためた。
姿勢を正したギルバートに向かって、一番前を歩く人物がひらひらと手を振る。
たった今、王女との話題にも上った第八王子ゼノ殿下。その人は、二人の近衛と共にギルバートたちの方へと寄ってきた。
長身のゼノは、ギルバートを見下ろすとにっこりと笑う。
「今日は天気も良い。市場の日でもないから街はそれほど込み合ってもいない。お忍び、許してやってよ。王位継承権からもほど遠いし、今までの暮らしぶりと育ちから降嫁先だって国内の一定の貴族に限られる立場だしさぁ、堅苦しく王女王女と囲おうとするのはお前くらいのものだよ」
「囲っ!?……さすがに殿下のお言葉であってもそれは……」
「可愛い私の妹の頼みなんだ。私も一緒にいくからさ」
「!」
ゼノ殿下の「一緒に」の言葉に、ギルバートは瞬間目をわずかに開く。
すぐに元の表情に戻すものの、ギルバートの一瞬の変化をゼノ殿下は見逃さず、動揺を突くようにして再び「一緒にいくから、見逃してよ」と繰り返した。
礼を失さぬよう姿勢をあらためつつも、ギルバートは奥歯を噛みしめた後、絞り出すように答えた。
「……私は若輩者ではございますが、これでも王族をお守りする近衛です。見過ごすわけには……」
「私がお忍び変装上手いの知ってるだろ。侍女も連れていくつもりだし、私の護衛もちょっと距離を離して共に行動するよ」
あくまで明るく屈託なく第八王子ゼノ殿下は言葉を並べる。ギルバートはつとめて平静を装いながら言った。
「ならば、それならば! 王女付きの私が王女と共に護衛を……」
「無理だよ」
言葉をさえぎられ、ギルバートはまた口元に力をいれた。言い返したい気持ちを押しこむ。
「ギルバートは、街で顔を知られ過ぎだろう? 最年少の近衛騎士グレンバレー伯爵家第三子ギルバート・ヘイズ君。君じゃあ、お忍びにならないんだよ。逆に街で人だかりができちゃうよ。ね、アンジェリカ」
ゼノ殿下に同意を求められた蜂蜜色の髪の女――ギルバートの前にたたずむ王女――アンジェリカは一瞬ゼノの方を見てそれから小さくあいまいに頷いた。
ちらりと王女の方に目を向けたギルバートは、王女アンジェリカが自分ではなくゼノ殿下の方に向いているのを見た。
――貴女の付き人である私より、殿下を選ぶのか。
声にださない言葉を飲み込んでギルバートはゼノ殿下の方に目を向けた。
「人だかりなど、言い過ぎです」
「何をいってるんだよ、ギルバート。君は街でも大人気だよ! 君の姿絵がどれだけ若い娘たちに売れているか! ね、アンジェリカそうだろう?」
「え……えぇ、まぁ……」
アンジェリカがゼノの言葉を肯定するのをギルバートは無表情に徹して聞き流した。
「ギルバート・ヘイズ。君のその綺麗な顔立ち、中性的な肢体だけでも恵まれて目を引くっていうのに、王立騎士学校を飛び級で首席で卒業、その小柄な身を最大限に活かした俊敏で鋭利な剣さばき、地図を目視で記憶して再び描き出す能力、他国の言語の読み書きを自由に操る頭脳で先の南の国境争いで功績……リュリス神は君に幾つものギフトを付けたって感じだよね。そして、その能力によって異例の昇進、最速での近衛騎士としての採用、その若さにしてすでに華々しい経歴!」
「……」
「まぁさすがに国家の精鋭集まる近衛騎士隊の中では、まだ下っ端扱いだろうけどね。でも、今は第十一王女アンジェリカ姫付きだけど、今後、どんどん中枢部にいく近衛隊一の期待の新人であることには間違いない。街の老若男女にも大人気のギルバート15歳、だからねぇ」
「16です」
「あぁ、ごめんごめん。16歳ね。あともうちょっと背丈があれば迫力がでるのにね」
「……成長途中ですので」
「そうだ、まだ16だもんねぇ。これから伸びるといいね。でもそうだねぇ、年は16かぁ、アンジェリカより三つ年下だね。成長が本当に楽しみだね」
『年下』の部分をいやに強調してゼノは繰り返すと、にっこりと笑った。
「ま、とにかく、ギルバート。ここはアンジェリカのお忍びは見逃すべきだよ。ランドとネイトもそう思うだろう?」
ゼノは後ろ振り向く、二人の近衛騎士――黒い短髪に長身細身のランドと貫禄のある巨木のような体つき、岩もくだきそうな逞しい腕っぷしをしたネイトが、ギルバートを見た。
ランドは軽く頷いて見せた。ギルバートにゼノの言う通りにするように促しているようだった。ネイトは身振りはなにもしめさなかったものの、ギルバートの視線に一度だけ瞬きした。ゼノの言う通りにしろ、ということである。
彼らはギルバートにとって近衛騎士隊の先輩である。年齢や行動範囲などから第八王子に付くことが多い二人だが、騎士隊の宿舎に戻れば普段から世話になり、剣の稽古相手だけでなく指導や相談にものってもらう先輩騎士だった。その二人の態度を無視するのは難しい。ギルバートは息をついた。
頷きたくない――。
だが先輩に加えて、目の前の王女……アンジェリカの目がギルバートに向いたのに気付き、その大きな若草色の瞳とかち合った。
真っ正面から王女の瞳を見てしまい、ギルバートはさらに拒むことはもう出来そうになかった。
ゼノの言葉によって期待してギルバートを見る視線……そこには、あふれんばかりの気持ちが見えた。
見逃して、と。行かせて、と。
ギルバートは胸の中にうずまくさまざまな言葉と想いを封じるようにして、目を伏せた。
「……見逃します」
途端、アンジェリカの瞳が明るくキラキラとしたものとなる。
「ありがとうございます、ギルバート」
ギルバートは一礼をすると、目を伏せているように見せかけながら、王女アンジェリカから目をそらした。
アンジェリカの表情をとらえていたくなかった。
見逃して……と、つまりギルバートを城に置いてゆくことを当然としている主を前にして、平静さを装えるほどに大人ではなかった。




