言葉になった夜
あれから一週間——
私の日常に、一つの癒しが加わっていた。
「ハムオ~行ってくるね」
そう声をかけると、ハムオは眠そうに目を数ミリだけ開け、小さく返事をする。
(今日も可愛い)
ペットショップから帰ったあの日。
この子が雄だと分かってから、いろんな名前を考えた。
けれど、最終的に落ち着いたのは『ハムオ』だった。
本人はどこか不服そうな顔でこちらを見ていたけれど、私の中では、ハムオ以外の候補はすべて塵と化していた。
(それにしても、ハムオ……本当に人間の言葉がわかってるみたいだし、なんだか動きも人間っぽいよね……)
この一週間、いろいろなことがあった。
私が家を空ける時はケージに入れているけれど、帰ってくると決まって扉の前でじっとこちらを見つめている。
だから今では、帰宅すると真っ先に外へ出してあげるのが日課になっていた。
試しにそのまま様子を見た日もあった。
けれどハムオは、何度見ても扉の前から動こうとしなかった。
(出さないと、夜も、寝ないしね)
苦笑しながら、さらに思い返す。
本来なら夜行性のはずなのに、ハムオは夜になると私と一緒に眠り、朝になると起きて活動している。
体は大丈夫なのかな、と心配になって病院にも相談してみたけれど、特に異常はないらしい。
本人の意思があまりにも固く、結局その生活を続けている。
それに、私の枕元じゃないと寝る気もないようで。
意思表示がはっきりしすぎていて、良いのか悪いのか、正直よくわからない。
他にも、不思議なことはまだある。
私が仕事でくたくたになって帰宅すると、決まって頬をぺちぺち叩いてくれる。
(慰めてくれてるんだろうな)
寝坊しそうな日には、私の顔の上に乗って、ぴょんぴょん跳ねて起こしてくれる。
(全力で起こそうとしてくれてるんだろうな)
本当に、小さな同居人が増えたみたいだ。
(癒やしだし、しっかりしてるし……なんだかファンタジーな出来事にあったみたい)
それにハムオは、野菜や果物はよく食べるのに、市販のハムスター用フードはあまり口にしない。
そのことも、相談してみたけれど、体重に変化はなく、元気だから、もう少し様子を見てみましょうとのことだった。
(痩せこけないといいんだけど……)
ハムオのことを気にしながらも、私は、仕事を始めた。
帰宅後——
私は、一週間前と変わらないトーク画面を眺めていた。
画面に表示されているのは、緒方 一颯。
「……」
ため息をつき、そのままベッドへ突っ伏す。
すると、ハムオがとことこと近寄ってきて、私とスマホの間へ割り込むように座った。
「どうしたの?」
問いかけると、ハムオは、スマホへ視線を向ける。
「…返信がね、来ないんだよね~」
返信どころか、既読すらついていない。
ハムオが静かにこちらを見つめている。
なぜだろうか。
私は、そのままぽつりぽつりと話し始めた。
「転職して二か月目くらいまではね、返信が来ないことも割とあったの。その頃は、三日とか一週間くらい経っても返ってこなかったら、『無事かっ!?』みたいな感じで送ってたんだけどね」
少し前のことを思い出し、また苦笑する。
「あのまま何も送らずに終わろうとも思ったんだけど……振られてたしね。でも、その時の私は、それが嫌でね」
自分でも困っちゃうよ、と笑ってみせる。
「最近は、私が送りすぎてて、多分彼も、流れ作業のように返信してくれてたんだろうけど…また、忙しいのかな……」
最後の言葉は、少しだけ震えていた。
何度も言い聞かせてきた。
大丈夫。
もう何も期待しない。
そもそも彼は、私のことをどうとも思っていない。
私から送らなければ、彼からメッセージが来ることなんてない。
そんなこと、とっくにわかってる。
それでも、私が彼とちょっとでも話してたい、つながっていたいから。
だから、会えなくてもいい。
返信が遅くてもいい。
待つ間がしんどいなら、彼が返しやすい時間帯付近で返信をしよう。
忙しいなら、それでいい。
重ね続けた思考と、予防線。
一度出てしまった感情は、抑えようとしても溢れて止まなかった。
「……けど…声にすると、思ったより……きついね」
ぽつりとこぼれた最後の一言。
今まで、誰にも話さなかった。
話してもなにも変わらないから。
だからこそ、言葉になった瞬間、その重さを初めて思い知った。
ハムオが、そっと私の頬へすり寄ってきた。
ふわりと木くずの香りが鼻をくすぐる。
温かい温度。
「励ましてくれてるの?」
自然と、口元が緩む。
「ありがとね。でも、本当に大丈夫なんだよ」
ハムオの背中を、指先でなでる。
「望んだ結果がなくても、自分が好きになっちゃったものは、どうしようもないって思ってた。でもね、騙し騙し過ごしてたら、不思議と本当にその通りに、なっていっちゃうんだよね」
それは、これまでの自分の心情の変化が、何よりの証拠となっていた。
「だから、しょうがないんだよ。一人じゃ始められないことだから。あとは、私の中で少しずつ消化していくだけ」
強がっているつもりはなかった。
悲観しているつもりもない。
ただ、荒れ狂う感情をどう受け止めればいいのか。
何度も考えて、何度も迷って。
ようやく辿り着いた、今の私なりの結末だった。
「さて…もう寝ようか。涙がこぼれる前に」
ハムオをそっと枕元へ移し、部屋の明かりを消す。
「おやすみ、ハムオ」
力を込めて声を発し、目を閉じた。
閉じた瞼の奥から溢れたものは、静かに頬を伝い、枕へと染み込んでいった。




