第八話 美しきもの
「……覚えていなさい、この卑しい蛆虫が――ッ!!」
お決まりの捨て台詞を残し、二人組は人混みに飛び込んでいく。もう人ごみの中でぐっちゃぐちゃに揉まれちゃえばいいのに。ついでに足とか踏まれちゃって手荷物数個なくしちゃえばいいのに。
そんなことを思い、けれどすぐに気持ちを切り替えて、私は隣の少女に向き直った。
「ごめんね?」
「……何故、アカネ様が謝るのですか」
レティは俯いていた。柔らかい茶色の髪が顔を隠してしまって、表情は見えない。けれど、私はその小さい方をぎゅっと抱きしめて、もう一度謝った。
「一つは、レティを巻き込んじゃったこと。二つ目は、揚げ足を取るためにあえて公爵家の悪口、言い終わるまで止めなかったこと」
私がいなければ、この少女は自分の仕える家の悪口を聞くことも、悪意の視線を受けることもなかったのだ。
だが、私の謝罪にレティはキッ、と私を睨んだ。
「そんなことよりも!アカネ様のことですわ!!何故、あなたはあれだけの悪口に平然としていられるのですか!!何故!?私は、悔しくて悔しくて仕方ありませんわ。アカネ様のことを何も知らないくせして、黒髪だからと見下して、う、う、蛆虫などと……っ!」
レティの鳶色の瞳から、ぽろぽろと透明な雫が零れ落ちた。宝石のように美しい粒が、何粒も、何粒も。
私はハンカチを取り出して、彼女の涙を拭った。
「私は、レティが泣いてくれるだけで嬉しいよ」
この世界で、自分のために泣いてくれる人がいる。それはなんと幸せなことだろう。
「傷つかないわけでもない。辛くないわけでもない。でも、この世界に来てすぐに比べれば、大した苦しみじゃない。私のために泣いてくれる人がいて、私が頼れる人がいて、私は一人じゃない。だから、落ち込むほどにはならないんだ」
それに、と続けようとした言葉は、結局飲み込んだ。
昔から悪口には慣れてるんだ、などと言ったらレティはさらに泣きかねない。
「帰ろうか、レティ」
「……まだ、です」
レティは小さな声で呟いた。二度三度ごしごしと涙を拭った後、彼女は再び私を見る。
「こんなの、ダメです。私はアカネ様に、この世界の綺麗なものを、たくさん見せるために来たんです。だから、もう少し、私のわがままに付き合ってくださいませ。もっともっと、アカネ様に楽しいもの、綺麗なもの、面白いもの、見せてあげますわ」
そう言って笑う。彼女はとても、美しい。
だから、私もふにゃり、と笑った。
「ありがと、レティ」
「これは私のわがままなんですよ。これ以上のお礼は要りませんわ!さ、行きましょう!この先に、美味しい店がありますのよ」
「いいねぇ。私お腹すいちゃった」
レティの手を取り、再び歩き出す。
嫌いで嫌いで仕方ない世界が、また少し、好きになった。
「そうか、喧嘩を売られたか。また無謀で無能なお嬢ちゃんがいたもんだ」
夜。私の話を聞きながら、ウェンディさんがそう言って笑った。
「それにしても逞しいな、うちの娘は。そこらの小娘など相手にならないか」
「相手にならないけど疲れますよ、一応。それよりウェンディさん、聞きたいことがあるんです」
今日貰ったネックレスを手持ち無沙汰に弄りながら、私は言葉を紡ぐ。
「うん?あぁ、殿下への手紙ならしたため次第私のところに持っておいで。届けておいてあげよう。彼も会いたいと言っていらしたから、予定が合うようであればまた会っておあげなさい」
「あ、はい。ありがとうございます。って、それもあるんですけど、私が聞きたいのは、学園っていうやつについてなんです」
昼間、あの令嬢たちの言葉に出てきたものの中で、私はそれが気になっていた。
あぁ、とウェンディさんは笑って、私にその説明を始めてくれた。
「学園とはね、王立学習園のことだよ。貴族の子は大体十三歳になるとそこに入学し、基礎教養を身につける。二年目からそれぞれの専門分野に分かれてさらに学び、三年から七年で卒業する。学園の卒業生というのは一種の称号にもなるから、入学するものは多いが、余り真面目ではなく辞めていくものも多い。卒業するのは大体半数から三分の一。それが学園だ」
「専門分野は何があるんですか?」
「ルータスの通った魔術科や、騎士団エリートなら必ず通る武術科、文官に進むための政治科、貴族令嬢のほとんどが進む家庭科などだね」
「商業工業はないんですか?」
やはりそこは欠かせないのでは、と思ったのだが、どうやら違うようだ。
「商人は商人の下に、職人は職人の下につくのが一番効率がいいんだよ。だからその二つの学科はない。一応検討されていはいるけどね。あと教員を引き抜くのも難しいんだ」
それで、とウェンディさんは私の顔を覗き込んだ。
「どれか、興味のある学科があったかね?」
私はしばらく、腕を組んで考えた。
「まぁ、基本的には家庭科以外に進む女子生徒はいないから、愚問だがね。君ももう少し文字が読めるようになったら、入学手続きをとってあげよう。あそこは基礎知識を身に付けるのにちょうどいいだろう」
ウェンディさんには申し訳ないけれど。私も一応、自分の意見を言う。
「私は、武術科に行きたいですね。あと、魔術の才能があれば魔術科もいいな。家庭科はちょっと」
「……ほう」
にやりとした笑みを浮かべられて、私はたじろく。
「流石、私の養子だね。武術に興味があるのならば、入ることはできる。ただしそれは険しい道だろう。なんせ、武術科に入った女子生徒は今まででも数える程しかいないからね。それを通っていく勇気はあるかな?」
意外と大変らしかった。
しかし、険しいと言われるほど、挑戦したくなる。普通なら頭ごなしに消されるであろう可能性を、拾ってみたい。
「……まぁ、学科が別れるのは二年目からだ。一度入ってみて、考えてみてもいいだろうね。いつでも入れるようにしておいてあげるから、文字の勉強を頑張りなさい」
いつもどおり頭を撫でられて、苦笑する。
「はい。ありがとうございます」
レティがツンデレになった。どうしてこうなった。
忠告しておきますが。
この話は異世界に飛ばされてゆっくりと成長していく少女とその侍女の百合の物語。
で は あ り ま せ ん からね!
お相手が出てこないとこのまま二人で突っ走りそうで怖いです。




