グラナド辺境伯領 5、
「そんな、笑顔で」
「笑顔で問題無いのです。既にその婚約のお話は、白紙撤回されておりますから」
そう言ってカシルダは、自分がセグロラ侯爵家へ出向き、そこで嫁として認めらない場合は、その場で白紙撤回出来る書類を、国王に作成してもらっていたことを話した。
「そして予想通り、お邸内に入ることもなく終了いたしましたの。とても短時間で済みまして、その後、憧れのグラナド辺境領へ来られましたので、わたくしとしては幸運でございました」
「幸運。確かに、自分も幸運です・・が。もうひとつ。踏み入ったことを、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
憧れのグラナド辺境伯領、しかも、花まつりの時期に訪れる事が出来たうえ、最高の騎士と街歩きをしている。
本当に幸運だったと微笑むカシルダの目を見つめ、トリスタンは、こくりと息を呑んだ。
「はい。なんなりと、どうぞ」
「では。失礼ながら。アバスカル侯爵令嬢は、ご生家で、お辛い思いをされているのではありませんか?その、ご家族から冷遇されている、ですとか」
「は?」
あまりに突拍子もない話に、カシルダは、すぐには理解が出来ないくらいに驚き、令嬢らしからぬ声を出してしまうが、トリスタンは、真面目な顔で言い募る。
「王都からセグロラ侯爵領まで、馬車で十日はかかるうえに、セグロラ侯爵領へ入れば、宿屋どころか、休憩できる店も、食事を摂れる店もありません。そのような場所へ、宿も決めずにご令嬢を送り出すというだけでも信じられないのに、アバスカル侯爵令嬢は幌馬車で、侍女もひとりしか連れていませんでした」
「あ、ああ!そういう!」
悲壮な顔で根拠を説明され、カシルダは、思わずぽんと手を叩いた。
「それは、わたくしの希望なのです」
「アバスカル侯爵令嬢の、希望?本当に?本心での、ですか?確かに、着ていらしたドレスは、仕立ての良い物でしたが」
すべては自分の希望だと告げたカシルダだが、トリスタンの目は懐疑に満ちている。
それもそうだろう。
グラナド辺境伯邸へ招かれるにあたり、当日の宿の予定を聞かれれば決めていないと答え、ここまでもそうだったと明るく答えた記憶があるし、カシルダは、ドレスの替えの一着さえも、持っていなかったのだから。
「本当です。両親や兄夫婦、嫁いだ姉に至るまで、陛下からのご命令を不服に思ってくれていました。それでも、輿入れの準備はきちんと進めてくれていたのですが。どうせすぐさま引き上げることになるのだからと、わたくしが、身軽に行くと言って押し切ったのです。そのため、移動は乗馬服で過ごしていました」
「身軽。確かに、ドレスでは動きづらいかと推察しますが」
カシルダの言葉に、トリスタンが呟いた。
「わたくし、とにかくセグロラ侯爵家との縁談が嫌だったのです。ですので、素早く用事を済ませて、グラナド辺境伯領で花まつりを楽しむことに重点を置いておりまして。ドレスは、こちらへ来てから、皆様と同じようなものを誂えるつもりでおりました」
図らずも、グラナド辺境伯夫人グラシアナから素敵なドレスを借りられたので、これと同じような物を買いたいと、明るい笑みを浮かべて、楽しそうにドレスの裾を揺らしてみせるカシルダに、トリスタンは、漸く安心したように微笑んだ。
「それならば、母が懇意にしている店がありますので、後で案内しましょう」
「よろしくお願いします」
「ですが、その前に」
「はい!まずは、串焼き屋さんに、ご案内、よろしくお願いします!」
漂う、食欲をそそる匂いに誘われるよう、カシルダは、すっと出されたトリスタンの手を取り、共に屋台が立ち並ぶ通りへと歩いて行った。
「・・・うわあ。美味しいです!お塩加減が最高」
「それは、良かったです」
ふたり並んで広場のベンチに座り、野生動物の串焼きを食べる。
その初めての体験に、カシルダは、わくわくと胸を高鳴らせた。
「野生の動物のお肉ということでしたので、もっと臭うのかと覚悟していたのですが、全然。固くもないですし、本当に美味しい」
「それは良かったです。今でこそ、辺境でも物流が活発になりましたが、少し前までは大変でしたから。土地で手に入るものを美味しくいただく先人の知恵が、随所に生かされているのです」
そう言ったトリスタンは何処か誇らしげで、カシルダもじんわりと温かい気持ちになった。
「魔獣も多いこの地で、初代グラナド辺境伯は、開国の頃、数多の戦いに勝利して、現在の国土形成に大きく貢献したと聞きます」
「当時は、国境が未だ曖昧な時代で、闘いひとつで国土が小さくなる可能性もありましたからね。魔獣や数多の敵と戦い、土地を護り抜いた。そんな初代に倣い、今も我が一族は、辺境を護ることを誇りとしております」
そう語るトリスタンの瞳は凛として、揺れない。
今は、周辺国もある程度落ち着いているとはいえ、いつ何時狙われるかもしれない国境。
そして出没する、数多の魔獣。
その地を護る騎士の心意気を、カシルダは強く感じた。
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