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9:権利という名の感染症

「――怯えるな、誇り高き森の同胞たちよ。そして、よく聞きたまえ」


 正面広場で響く魔獣の咆哮と帝国兵の怒号を背景に、私は檻の鉄格子を掴み、中へ向けて自慢の美声を響かせた。

 檻の中にうずくまるエルフたちは、突然現れた私を、ただぼんやりと見つめている。市場で見たあの少女もいた。その瞳は完全に濁り、生きることを諦めた死人のそれだ。


「私はナァノ朝第三王子、オーエ・ド・ナァノである。半年前、ソンガの反逆によって国を追われた、無力なる亡国の徒だ」


 その名を口にした瞬間、檻の奥で微かなざわめきが起きた。しかし、一人の年老いたエルフが、乾いた声で自嘲気味に呟いた。

「……王子、様……? ならば、私たちを助けに軍勢を率いてきてくれたのですか? 帝国の騎士たちを、その剣で切り伏せてくれるのですか……?」


「違う」


 私は、はっきりと拒絶の言葉を返した。


「私には貴様たちを檻から救い出す武勇などない。剣を持てば己の足を切り、馬に乗れば三分で振り落とされる。これが私の真実だ。私を救世主だと思ったのなら、今すぐその妄想を捨ててもらいたい。私は、貴様たちを救う『王』にはなれん」


「だったら……何をしに来たんだよ!」

 若い男のエルフが、絶望を怒りに変えて叫んだ。

「俺たちを嘲笑いに来たのか!? 帝国に勝てるわけがない! 誰が戦ったって、あの圧倒的な暴力の前にすり潰されるだけだ! 王様だって守ってくれなかっただろ! 結局、俺たちみたいな弱者は、誰の奴隷になるかを選ぶことしかできないんだ!」


 その言葉を、私は待っていた。

 私は檻を掴む手に力を込め、彼ら一人一人の目を真っ直ぐに見つめながら、朗々と、しかし魂に叩きつけるように語りかけた。


「――ならば、選ぶのをやめよ」


「え……?」


「なぜ貴様たちは、常に『誰に従うか』を考えている? なぜ、自分の上に新たな主人を据えることしか思考できんのだ。ソンガ帝国が強いのは、イル・ソンガという一人の怪物が国家のすべてを支配しているからではない。貴様たちが、民草のすべてが、『自分たちは支配されるだけの駒だ』と、その思考を放棄しているからだ!」


 私は一歩、檻に歩み寄った。私の白銀の髪が、遠くの火の手を受けて怪しく揺れる。


「私の父は優しかった。だが、国を守れず死んだ。イル・ソンガは冷酷だ。だから今、この世界を支配している。……いいか、歴史が証明しているのはただ一つ。『完璧な王』などこの世に存在しないということだ! ひとりの天才に国家の命運を委ねるシステムそのものが、すでに破綻しているのだよ!」


「じゃあ……どうしろって言うんだ……。王がいなくて、どうやって国を動かすんだ!」


「仕組みで作るのだ」


 私は、異界の少年から授かった『悪魔の知恵』を、この世界をひっくり返す至高の劇薬として、彼らの脳髄へと流し込んだ。


「私の知る異界には、王のいない国がある。そこでは、国家のすべての権利――『主権』は、地を這う民草、一人一人の手にある。農民であれ、エルフであれ、ドワーフであれ、誰もが対等な一人一人の権利を持ち、自分たちの代表を自ら選び、自分たちの法を自分たちで決めるのだ。そこには貴様たちを縛る首輪もなければ、平伏すべき玉座も存在しない!」


「民全員が、王の代わりに……? そんなこと、できるわけが……」


「できる! やるのだ! いいか、私は貴様たちに『私のために戦え』などとは絶対に言わん! 支配者がイルから私に変わるだけの戦いなど、泥棒の分け前争いに過ぎんからな! 私は、そんなくだらんもののために命を懸けろとは言っていない!」


 私は、檻の隙間から、市場で見かけたあの光を失った少女の手を、強く、強く握りしめた。泥にまみれた、冷たい手だ。


「私が貴様たちに求めているのは、他人のためではない。貴様自身のため、貴様自身の尊厳のため、そして貴様たち自身が国を支配するという『権利』のために、その命を燃やせということだ! イル・ソンガの独裁を、我々全員の『権利』という名の刃で、内側から引き裂いてやるのだ!」


「……私たちの……権利……」


 少女の細い指が、微かに震えた。

 その濁りきっていた瞳の奥に、小さな、けれど決して消えない「拒絶の炎」が灯るのを、私は確かに見た。

 ざわざわと、檻の中のエルフたちの目の色が変わっていく。絶望に塗りつぶされていた彼らの胸に、かつてこの世界の誰も提唱しなかった、恐るべき反逆の感染症――『民主主義』が、爆発的な速度で広がっていく。


「立て、エルフの戦士たちよ! 首輪を外せ! 己の主権を他人に委ねるな! 我々全員が、この国の主となるのだ!!」


「――おおおおおおおおおッ!!」


 檻の内側から、地鳴りのような咆哮が沸き起こった。

 それは、奴隷が主人に噛み付くための、獣の鳴き声ではない。

 自分たちの尊厳を取り戻し、新たな時代をこの手で掴み取るための、歴史上最初の『市民』たちの産声だった。


感想いただけると狂喜乱舞しますので感想くださいください

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