10:自由への逃走
「――おおお、おおおッ!!」
檻の内側から沸き起こったエルフたちの咆哮が、収容所の夜空を震わせる。その瞳に宿ったのは、帝国への恐怖ではなく、自らの尊厳を勝ち取らんとする強い意志の光だ。
「王子様! いや、オーエ! 指示をくれ! 私たちはどうすればいい!」
先ほど私を睨みつけた若いエルフの男が、檻の隙間から叫ぶ。
「檻の閂を壊せ! 鍵は向こうの詰所だ。だが、探している時間はない。貴様たちのその細くとも強靭な腕は、何のためにある! 他人に開けてもらうのを待つな、己の権利は己の手でこじ開けろ!」
「――応ッ!!」
三人のエルフが同時に木格子に肩をぶつけ、力任せに押し放つ。パキィン! と乾いた音を立てて閂が弾け飛び、巨大な檻の扉が内側から勢いよく開かれた。
奴隷たちが、自らの足で一歩、檻の外へと踏み出す。
「な、何ごとだ! 裏手で暴動か!?」
正面広場で魔獣と戦っていたはずの帝国兵のうち、二人が異変に気づいて松明を手に駆けつけてくるのが見えた。抜かれた長剣が、火光を反射してギラリと鈍く光る。
「オーエ、危ない!」
市場で見かけたあの少女が、私の前に立ちはだかろうとした。だが、私は彼女の手を制し、すっと前に進み出た。
「戦うな! 彼らを殺してはならん!」
私の言葉に、エルフたちに衝撃が走る。
「なぜだ! あいつらは俺たちを家畜みたいに虐げた仇だぞ!?」
「暴力を暴力で返せば、それはただの新たな支配の始まりに過ぎん。我々は帝国と同じ泥沼には落ちんのだ! エルフの同胞たちよ、貴様らの真の武器は何だ! その神速の弓の腕は、他人の命を奪うためではなく、同胞の『自由』を守るためにあるはずだ!」
詰所の壁に立てかけられていた、没収されていた彼らの長弓を、私は一本掴んで若い男へと放り投げた。
「敵の足を止めろ! 殺すな、ただ一歩も追って来られぬように射すくめるのだ!」
男は空中で弓を掴むと、一瞬の躊躇ののち、鋭い目で兵士たちを見据えた。
「……分かった!」
矢筒からつがえられた矢が、夜の闇を鋭く引き裂く。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュババババン!
「ぎゃああっ!?」
「う、動けん! 足の甲を射抜かれた……!」
駆けつけてきた兵士たちの足元、そしてブーツの極薄い隙間を縫って、寸分の狂いもなく矢が突き刺さる。命は奪わない。しかし、彼らは激痛と恐怖でその場に縫い付けられ、追撃の意志を完全にへし折られた。
「今だ、走れ! 森へ逃げ込むのだ!」
私の号令とともに、五人のエルフたちは夜の闇へと一斉に駆け出した。私もまた、もつれる足を必死に動かし、彼らの後を追う。泥を跳ね上げ、風を切り、私たちは檻の向こうの、果てしない自由へと滑り込んでいった。
---
「ウルフの皆さん、そこまでだ! もう十分! 全員退いてくれー!」
収容所の正面広場。俺は木の陰から必死に叫び、【魔獣テイム】の意識をウルフの群れへと送った。
正面の木柵はすでにボロボロに破壊され、帝国兵たちは狂暴な獣の襲撃を前に、盾を構えて防戦一方になっている。幸い、ウルフたちも「適度に暴れて馬や食料を奪う」という俺との取引を忠実に守ってくれたため、深追いすることなく、ボスの遠吠え一発で一斉に森の深みへと撤退を開始した。
「はぁ、助かった……。マジで心臓止まるかと思った……」
冷や汗でびしょ濡れになったシャツを引っ張りながら、俺は急いで裏手の森の合流地点へと走った。
茂みをかき分けた先。
そこには、首輪を外した五人のエルフたちと、そして――ハァハァと犬のように舌を出して、地面に四つん這いになって息を切らしている白銀の髪の王子様がいた。
「ぜぇ、はぁ、フジワラ……貴様、遅いぞ……。私の、この完璧な、逃走プロットを……」
「いや、お前がただ運動不足でバテてるだけだろ! 大丈夫かよ!」
俺が苦笑しながら手を貸すと、オーエは俺の手を掴んで、どうにか立ち上がった。泥まみれでポンコツ全開だが、その顔には、これまで見たこともないような清々しい笑みが浮かんでいた。
エルフの少女が、俺たちの前に一歩進み出て、深く、深く頭を下げた。
「ありがとう、二人とも。私たちに、もう一度『生きる意味』を教えてくれて」
見上げれば、彼女の瞳には、市場で見たあの虚無はどこにもなかった。そこにあるのは、自らの足で未来を歩もうとする、一人の「市民」としての強い輝きだ。
「礼ならあの王子様に言ってくれ。俺はただ、あいつの口車に乗せられただけだからさ」
俺が肩をすくめると、オーエは泥を払いながら、誇らしげに胸を張った。
「ふん、これは始まりに過ぎん。私たちはこれから、あの巨大な帝国を相手に『思想の感染症』をばら撒いていくのだ。覚悟はいいな、フジワラ」
「あーあ。俺の静かな辺境スローライフ、本当に初手で完全に終わっちゃったな……」
俺はため息をつきながらも、どこか高鳴る胸を押さえきれずにいた。
チート能力は無双には使えない。魔法の通信機もない。だけど、現代日本の義務教育(知恵)と、この世界の天才王子の頭脳が合わされば、もしかしたら本当に、この世界をひっくり返せるかもしれない。
こうして、もぬけの殻となった収容所を背に、たった二人と五人の「反逆者」たちは、星明かりの照らす夜の森へと、静かに消えていった。
感想いただけると狂喜乱舞しますので感想くださいください




