エピローグ:夜明けの足音
奴隷収容所の襲撃から、さらに三日。
辺境領の街は、文字通りひっくり返ったような大騒ぎになっていた。
『エルフの奴隷たちが全員脱走』
『警備の兵士たちは、誰一人命を奪われることなく、足だけを完璧に射抜かれて戦闘不能』
『現場には魔獣の足跡のみが残されていた』
街の至る所で帝国兵が血眼になって捜索を行っているが、まさか逃げ出したエルフたちが、目と鼻の先にある場違いに長閑な孤児院の地下室に匿われているとは、夢にも思っていないだろう。
エルフたちは、俺が森の魔獣たちと交渉して集めてきた果物や木の実を食べながら、少しずつ体力を回復させていた。彼女たちの顔には、もうあの家畜のような諦めの色はなかった。
夕暮れ時。俺は物置小屋の屋根に登り、赤く染まっていく地平線を眺めていた。
肩の上の小竜が、寒そうに俺の首元に顔をすり寄せてくる。
「……はぁ。本当に、とんでもないことになっちゃったな」
ただの居候として、子供たちと静かに暮らすはずだった異世界生活。それが、たった一人の「山から拾ってきたゴミ王子様」のせいで、帝国への反逆という大犯罪に手を染めることになってしまった。
だが、後悔は不思議となかった。あの檻の向こうで、エルフの少女の目に灯った炎を思い出すと、今も胸の奥が熱くなる。
「何をゆったり黄昏れているのだ、フジワラ」
下から、聞き慣れた自慢の美声が響いた。
見上げると、オーエがハシゴをよじ登ってこようとしていた。……が、案の定、途中でマントの裾を踏んづけたらしく、「おっと、トと、と!?」と派手にバランスを崩している。
「危なっかしいな! ほら、手ぇ出せ!」
俺が慌てて腕を伸ばし、彼の細い手を掴んで屋根の上へと引き張り上げた。
「くっ……。この世界のハシゴというやつは、どうしてこうも私に対して反抗的なのだ。設計思想が旧時代的すぎる」
「ハシゴのせいにすんな。お前の運動神経が幼児並みなだけだろ」
オーエは不満げに鼻を鳴らし、俺の隣に腰掛けた。泥に汚れたボロ布ではなく、院長先生が仕立て直してくれたまともな服を着た彼は、夕日に照らされて息を呑むほど美しかった。
「エルフたちの様子はどうだ?」
「順調だよ。みんな、お前が言った『みんしゅしゅぎ』って言葉を、まるで宝物みたいに何度も口にしてる。自分たちが国を動かす仕組みを作るんだって、目を輝かせてさ」
「ふっ……。当然だな。一度でも『自分自身の尊厳』に気づいた人間は、二度と家畜の首輪には戻れん。思想とは、一度感染すれば決して治ることのない最強の感染症なのだからな」
オーエは不敵に微笑み、遠く、帝国の中央がある方角へと青い瞳を向けた。
「今はまだ、たった五人の小さな火種だ。だが、この火種は確実に風に乗り、帝国の圧政に喘ぐすべての亜人、すべての平民へと燃え広がる。いずれ、イル・ソンガの玉座を焼き尽くす巨大な業火となるだろう」
「壮大な計画だけどさ……。具体的に、次はどうするんだよ? ここにずっと隠れてるわけにもいかないだろ」
「まずはこの辺境領の平民たちを味方につける。彼らに『対等な一票』という大義名分を与え、内側から自治組織を作るのだ。そのための精緻なプロットは、すでに私の頭脳の中で組み上がっている」
オーエは立ち上がり、夕日に向かって堂々と手を掲げた。その姿は、やはりどれだけポンコツであっても、天性のカリスマを持つ本物の王族のそれだった。
「行くぞ、フジワラ。貴様の異界の知恵と私の頭脳で、この腐った世界を根底から書き換えてやる。まずは明日の――」
「明日の?」
「洗濯物の干し方から、私に教授したまえ。あの布の絡まり方は、どう考えても私の知略を超越している」
「……お前、あんな大演説ぶちかましておいて、まだ洗濯物干せないのかよ」
俺は盛大にずっこけ、それから、呆れ果てて笑った。
オーエもまた、つられるようにしてクツクツと上品に笑う。
たった二人で始めた、世界で一番無茶な革命。
俺たちのスローライフは完全に終わったけれど――新時代の足音は、確かにここから響き始めていた。
(亡国の王子とチート転移者は〈民主主義〉で圧政に反逆します 第一話・完)
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