10:新しい国の名前
憲法採択の大歓声がようやく収まりかけた議事堂で、オーエが再び、掲げた手を静かに下ろした。
広場を埋め尽くした数万の民衆、そして議場に並ぶ各種族の代表たちが、息を呑んで壇上の彼を見つめている。王位を捨て、ただの一人の『国民』となった男の青い瞳は、黎明の光を反射してなお、誰よりも強く輝いていた。
「最高法規たる憲法は承認された。だが、我々にはまだ足りないものがある。かつて帝国に焼かれ、泥にまみれた共同体ではない、我ら主権者が集う『新しき国家』の名前だ」
議場がざわめきに包まれる。
「新しい、国の名前……?」
「ナァノ共和国、ではないのか?」
旧王国の名を残すべきだと囁く遺臣たちの声を、オーエは柔らかな笑みで遮った。
「その名はすでに決めてある。ここに至るすべてを、知恵を、不屈のシステムを我々に教えてくれた、遠き異界の、彼の国。独裁を排し、民が主権を持つという果てなき理想の礎となってくれた偉大な先人に、私は最大級の敬意を表したい。その名を、この国の名として戴く」
オーエはそう言うと、壇上の端、いつものようにノートを開いて控えていた俺の方へと、まっすぐに視線を向けた。
その青い瞳の奥に宿る、どこか悪戯っぽく、しかし真摯な光に、俺の心臓がドクンと跳ねる。
「フジワラ。その国の名は何だ? ……貴様の、誇り高き祖国の名は」
まさか、ここでそんな球が飛んでくるとは思わなかった。
数万の視線が、一斉に俺の身へと集まる。エルフのセクレタが羽根ペンを止め、ドワーフの戦士たちが身を乗り出し、ハルピュイアの少女がパタパタと羽を揺らして俺の答えを待っている。
喉が、にわかに熱くなった。
俺がこの世界に落っこちて、こいつに流されるままに語り紡いできた現代の知識。それが、この世界の、目の前の天才王子の手によって、本当に一つの国を創り上げてしまったのだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、胸を張って、自分の世界の、大好きなあの国の名前を口にした。
「──日本、だよ。にほん。……にっぽん、とも言うんだ」
「ニホン、か。良い響きだ」
オーエは深く頷くと、民衆の待つ広場の方へと、高らかに両腕を広げた。その背中には、もう見栄えのための麗々しいマントはない。だが、その姿は、どんな絶対君主よりも偉大に見えた。
「フフ……。ならば、いま産声を上げんとす、我らが新しき国の名は──『ニホン共和国』とする!」
一瞬の静寂の後。
先ほどまでの憲法採択をも遥かに凌駕する、大地を揺るがすような大歓声が爆発した。
種族の壁を超え、国の一歩たりとも他者に踏みにじらせぬと誓い合った民たちが、自らの新しい国の名前を、喉が張り裂けんばかりに叫んでいる。
「ニホン! ニホン共和国万歳!」
「俺たちの国、ニホンだ!」
地鳴りのような「ニホン」の連呼が、盆地を、そして夜明けの空を包み込んでいく。
俺の肩の上で、ミニマム・ドラゴンが「きゅいきゅいっ!」と嬉しそうに翼を羽ばたかせ、俺の頬を舐めた。視界が、少しだけ熱い涙で歪む。
「ニホン共和国、か……。悪くないな、オーエ」
「当然だ。これが、不条理な世界へ放つ、我らの最初の、そして最強の矢だからな」
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