9:王家の落日、大憲章の誕生
議事堂前の広場。帝国軍を退けた直後の熱狂と、憲法草案というあまりに過激な理想を突きつけられた困惑が、入り混じったどよめきとなって空間を支配していた。
オーエは壇上に立ち、集まった数万の民衆を見下ろしている。その佇まいは、数万の帝国軍を退けた直後とは思えないほどに、静かで、そして酷く冷静だった。
「──静粛に」
オーエの放った一言が、ざわめきに満ちていた議事堂の空気を一瞬で凍りつかせた。
「昨日、我が領土へ不法に侵入した帝国の軍勢は、一本の剣を交えることもなく敗走した。我々は誰一人として血を流さず、誰一人として前線へ立たなかった。……これを見てもなお、お前たちはまだ、かつての帝国と同じ『軍隊』という名の野蛮な牙を欲するか?」
議場を埋め尽くす人間の若者たち、そしてドワーフの戦士たちが、一斉に気圧されたように視線を落とした。彼らが「弱腰の丸腰法」と罵った平和憲法の草案が、どれほど無慈悲で完璧な『防衛システム』として機能したか、その目で見たばかりだったからだ。
「我々は剣を持たない。だが、この国を一歩たりとも、他者に踏みにじらせはしない。……その絶対の約束を、私はこの『憲法』という名の法に刻んだ。だが、これには抜くべき最後の棘が残っている」
オーエは懐から、黄金に輝く重厚な印章を取り出した。ナァノ王国の正統な王位継承者たる証、王家の紋章が刻まれた、権力の象徴だ。
「民草は平穏が訪れた時、再び神輿を欲しがる。私を『王』として崇め、思考を放棄し、すべての判断を特権階級へ委ねようとするだろう。……だが、それでは駄目なのだ。誰か一人の天才に依存する国は、その天才が死ねば瓦解する。お前たちが自らの頭で考え、自らの足で立つ法治の国を作るには、首座に就く者の首に、民自身が縄をかけねばならん」
オーエはそう言うと、右手を高く掲げた。
そして──。
ガギィン! と、硬質な破砕音が議場に響き渡った。
彼が躊躇なく石床へと叩きつけた黄金の印章は、無惨にも二つに叩き割れ、火花のような金の破片を周囲に撒き散らした。
「──オーエ様!?」
旧王国の遺臣たちが悲鳴のような声を上げる。だが、オーエの青い瞳には、一切の未練も、感傷もなかった。
「私はここに、ナァノの王位継承権、およびそれに連なるすべての支配特権を恒久的に放棄する! 私は王ではない。お前たちと同じ、この国を背負うただの一人の『国民』だ!」
割れた印章を踏み越え、オーエは冊子を高々と掲げた。
「主権は民に在る! 種族の尊厳は法の下に平等であり、我が国は永久に侵略の戦争を放棄する! この『憲法』を、我らが新しい国の、誰にも書き換えられぬ法として発布することを──ここに提案する!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、議事堂の天井を突き破らんばかりの、地鳴りのような大歓声が爆発した。奴隷だったエルフが、虐げられていたドワーフが、そして自らの足で立つことを覚えた人間の農民たちが、涙を流しながら拳を突き上げている。
それは、亡国の王子が自ら『王』を殺し、民衆という名の無数の主役を誕生させた、歴史的なデモクラシーの瞬間だった。
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