4:丸腰の咆哮
どんよりとした曇天の下、コープの中央広場は、すし詰めの群衆が放つ熱気と殺気で満ち満ちていた。
数日前まで豊かな実りを祝っていたはずのその場所は、今や「帝国への復讐」と「灰の村の屈辱」に血気立つ人間の若者、ドワーフの戦士、そして各種族の民衆によって埋め尽くされている。
「オーエ様が出てこられたぞ!」
誰かの叫び声を合図に、広場のざわめきが怒号のような地鳴りへと変わった。
議事堂のバルコニー。その壇上に、最高執行官としての厳かな礼服を纏ったオーエが姿を現した。その隣には、分厚い紙の束を抱えたセクレタが影のように控え、少し離れた位置で、俺――フジワラもミニマム・ドラゴンを肩に乗せて推移を見守っていた。
オーエが手を上げると、民衆は一瞬だけ静まり返る。誰もが、待望の「帝国への出撃命令」が下されるのだと信じて、その口元を凝視していた。
「――コープの同胞たちよ。集まってくれたことに感謝する」
拡声の魔導具を通したオーエの声は、驚くほど平坦で、冷徹だった。
「帝国の姑息な略奪、そして我々を内から揺るがそうとする挑発に対し、執行部、および議会は一つの『絶対的な解答』を導き出した。我々は、これまで勝ち取ってきた人権と主権を永久に固定し、誰も侵せぬ国にするための最上位コード――『憲法』の草案をここに発表する」
憲法、という耳慣れない言葉に、民衆が小さくざわめく。オーエはセクレタから紙の一枚を受け取り、それを高々と掲げた。
「条文の詳細は追って告示するが、本日、私はこの国の根幹となる最も重要な条文を導入することを提案したい。……セクレタ、読み上げろ」
「は、最高執行官」
セクレタが一歩前へ出、硬く澄んだ声で紙を読み上げる。
「――憲法、第九条。我が共同体は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
広場が、奇妙な静寂に包まれた。民衆は、エルフの秘書が発した言葉の意味を、自らの脳内で処理しきれずにいた。
セクレタは冷徹に、しかし明瞭に、最後の致命的なコードを告げる。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。……以上です」
次の瞬間。
静寂は霧散し、広場は文字通り「爆発」した。
「……はぁ!? なんだって!?」
「戦争の放棄!? 軍隊を持たないだと!?」
「バカな! じゃあ俺たちが作った義勇軍はどうなるんだ! せっかく打った剣や槍はどうするんだよ!」
最前列にいたドワーフの親方や、揃いの腕章をつけた義勇軍の若者たちが、顔を真っ赤にしてバルコニーに向かって怒号を浴びせる。その怒りは波及し、広場全体が暴動寸前の怒りに染まっていく。
「丸腰で死ねと言うのか! オーエ!」
「帝国が攻めてきたら、誰が俺たちの命を守るんだよ! 法律が守ってくれるとでも言うのか!?」
「腰抜けめ! やっぱり亜人と結託して頭がおかしくなったんだ!」
罵声。怒号。足元の石畳を剥ぎ取って投げつけようとする者すら現れる。
これまで奴隷から解放され、対等な権利を与えられてオーエを「英雄」と讃えていた亜人たちすらも、守るための牙を取り上げられる恐怖から、裏切られたという絶望の目を彼に向けていた。
「市民フジワラ、民衆の暴動係数が危険域に達しています。即座に治安維持隊を――」
セクレタが青ざめた顔で俺の袖を引く。だが、俺は動けなかった。
孤立無援のヘイト。数万人の「怒り」の矢面に立ちながら、オーエは一歩も引いていなかったからだ。
「――静粛に!!」
オーエが魔導具の出力を最大にし、鼓膜を突き破らんばかりの声で咆哮した。
そのカリスマの残滓に気圧され、民衆の声がわずかに引く。その隙を逃さず、オーエはバルコニーの手すりを掴み、身を乗り出すようにして叫んだ。
「お前たちは勘違いをしている! 武器を持つこと、軍隊を持つことが『強さ』ではない! それは帝国と同じ、力で他者を踏みにじる野蛮の証明に過ぎん! 我々が同じ牙を持てば、イル・ソンガの用意した血の盤面に引きずり込まれ、この瑞々しい国は跡形もなく蹂躙されるのだ!」
「理屈はいいんだよ! じゃあ誰が俺たちを守るんだ!」
義勇軍の若者が涙を流しながら叫ぶ。
「――私が守る!!」
オーエの放った一喝が、広場を引き裂いた。
「この憲法を掲げることで受ける国内外のすべての非難、すべての矢は、最高執行官たるこの私が、このオーエが、その身に受けて盾となろう! だからお前たちは剣を捨てろ! 鍛冶師は農具を打ち、若者は泥に塗れて畑を耕せ! お前たちはただ、自らの勝ち取った『日常』に戻るがいい!」
王子の、命を削るような咆哮だった。
私が盾になる。だから、お前たちは人間に戻れ。そのあまりにも不条理で、しかし圧倒的な覚悟の言葉に、広場を埋め尽くす群衆は、言葉を失ったように立ち尽くした。
罵声は止まない。不満の種火は消えていない。
だが、民衆は確かに目撃していた。自らが手に入れた『主権』の重みと、それを守るために、あえて全ての悪意を買い、丸腰の咆哮を上げた孤独な為政者の姿を。
バルコニーの陰で、俺は拳を強く握りしめていた。
(……耐えてくれよ、オーエ。お前が政治的な地獄を引き受けてる間に、俺は裏のシステムを完璧に組み上げてみせるからな)
肩の上のミニマム・ドラゴンが、静まり返った広場を見下ろしながら、切なげに「きゅぅ……」と鳴いていた。
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