10:ファクトチェックのカタルシス
コープ最高議事堂前の広場は、文字通りの暴風雨に晒されていた。
「今すぐ議会を開け!」「嘘つきの王子を引きずり出せ!」「コープを解体し、純人の権利を取り戻すんだ!」
サヴァランが巧妙に仕組んだ、コープを内側から崩す策に踊らされた数千人の民衆が、怒号の渦となって議事堂を包囲している。人間も、かつて手を取り合ったはずの亜人たちも、互いを猜疑の目で見つめ合いながら、その怒りの矛先を運営陣へと向けていた。
狂熱。ポピュリズムの恐ろしさが、そこには凝縮されていた。一度火がついた大衆の感情は、論理的な弁明など聞く耳を持たない。
その、熱気が最高潮に達した瞬間だった。
「――今だ、みんな! いっけぇーっ!」
遥か頭上、議事堂の急峻な屋根の上から、ミーシャの澄んだ号令が響き渡った。
次の瞬間、バサバサと無数の羽音が空を震わせる。ハルピュイアの戦士たちが一斉に飛び立ち、その両手から抱え切れないほどの「紙の束」を、広場全域へと放ったのだ。
数千枚、いや数万枚の紙の雪が、朝焼けの空を舞い、怒りに震える民衆の頭上へと降り注ぐ。
「ちっ、なんだこれは!?」「運営の言い訳文か!?」
誰もが鼻で笑い、王子の「自己弁護のチラシ」など踏み潰そうとした。だが、宙を舞う紙面に印刷されたインクの圧倒的な黒さと、何よりも中央に描かれた強烈なタッチの風刺画が、嫌応なしに彼らの視界を奪った。
それは、コープの制度設計アドバイザーとして誰もが信頼していた地味な男――サヴァランが、帝国の紋章が刻まれた金貨袋を不敵な笑みで受け取っている構図だった。
最初は嘲笑していた民衆だったが、一人の男が足元に落ちた紙を拾い、立ち止まった。
「……おい、これ、言い訳じゃないぞ」
隣の男が覗き込み、その後ろの女が肩越しに中身を確認する。
紙面に並んでいたのは、感情的な文言ではなかった。フジワラが動物たちの目と耳を通じて逆探知した、サヴァランの密会記録の正確な日時と場所。サヴァランの自宅地下から押収された帝国情報部の指示書の写し。そして彼がこの街を、人間と亜人とで潰し合わせようとしていたデマ計画の全容を示す『客観的な事実』の羅列だった。
「おい、これを見ろ……。どうやらこの新聞は、俺たちを騙そうとするいつものお偉方の広報誌とは違うみたいだぜ」
一人が呟くと、周囲の群衆からも驚きと同意の頷きが広がっていく。
これまで「広報=運営側のプロパガンダ」だと決めつけていた大衆の防衛本能が、この冷徹なまでの客観性を前にして、急速に霧散していくのがわかった。
広場の狂熱が、みるみるうちに冷めていく。
怒号は完全に止み、代わりにカサカサと紙が擦れる乾いた音と、周囲の人間と顔を見合わせる「静かな困惑」がその場を支配した。デマをデマで打ち消すのではない、圧倒的な『事実』の暴力が、大衆の脳内のノイズを払い落としたのだ。
その頃、議事堂の地下。
ガシャコン、ガシャコンと重々しい音を立てる輪転機の傍らで、ギルバートはインクで真っ黒に汚れた手を布で拭い、静かに呟いた。
「……信じることとは、盲目になることではない。事実を正しく知り、自分の頭で考え、正しく疑うこと。それができないならば、その民衆はただの群れに過ぎない。この『新聞』こそが、権力を監視し、大衆の目を覚まさせる第四の権力だ」
俺――フジワラは、静寂を取り戻した広場を議事堂の窓から見届け、そっと息を吐いた。
俺の肩の上で、ミニマム・ドラゴンが小さく「きゅいっ」と鳴き、満足そうに丸まった。相棒もこの情報戦の勝利を感じ取ったのだろう、得意げに尻尾を振っている。
俺たちが残したのは、権力者の都合のいい演説でも、大衆に媚びるための物語でもない。
何度でも読み返し、自らの頭で検証できる『ファクト』そのものだ。
完全な夜明けの光が、議事堂の石畳を白々と照らし出す。
コープの民主主義は、流言飛語という言葉の洪水に呑まれることなく、手にした確かなファクトと共に、今日からまた新たな一歩を歩き出す。
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