6:第四の権力、あるいは不都合な真実
「大衆が愚かなんじゃない。事実を知らされていないだけだ」
床にへたり込むオーエの前に片膝をつき、俺は彼の真っ青な顔を真正面から見据えた。
「騙されている人を責めちゃいけない。騙している奴を、そのシステムごと暴くんだ」
「システム……? だが、私たちの言葉はもう届かない……」
「届かないのは当然なんだよ」
俺は立ち上がり、執務室の窓から外の混沌を見下ろした。
「今のオーエの言葉は、大衆の目には『権力者の自己弁護』に映ってる。お上が『俺たちは潔白だ、信じろ』と言ったところで、不満と恐怖を抱えた民衆からすれば、都合の悪い真実を隠すための綺麗事にしか聞こえないんだ。行政のトップであるオーエの言葉そのものが、今は『届かない構造』になってる」
オーエが額の血を拭いながら、怪訝そうに俺を見上げる。
「なら、どうすればいい。力で黙らせるハインツのやり方しかないというのか」
「逆だよ。行政から完全に独立した、もう一つの『目と口』を作る。三権分立だけじゃ足りないんだ。民主主義には、権力を外側から監視し、誰もが疑いようのない事実を突きつける『第四の権力』――報道機関が必要なんだよ」
「報道機関……」
「ああ。お上が発行する『官報』じゃない。政府の都合のいい情報も、逆に不祥事すらも包み隠さず書き連ねて街に配る、民間主導の『新聞』だ。権力から独立した第三者が『これが事実だ』と発信するからこそ、大衆は初めてそれを信頼できる」
オーエの目に、微かに光が戻り始める。だが、彼はすぐに眉をひそめた。
「しかし、そんな大役を誰に任せる? 行政から独立していると大衆に信じてもらえるような、偏屈で、絶対に権力に日和らない人間など……」
「心当たりなら、一人しかいない」
一時間後。俺とオーエは、議事堂の地下にある記録保管庫を訪れていた。
カビとインクの匂いが立ち込める薄暗い部屋の奥で、無数の帳簿に囲まれて黙々とペンを動かしている男――記録官のギルバートだ。
「……何の御用ですか、オーエ様、フジワラ様。私は見ての通り、暴動で議会が停止している間も、コープの正確な財務記録を整理せねばならんので忙しいのですが」
ギルバートは眼鏡の位置を直すことすらせず、冷淡にそう言った。
俺は彼に向かって、あらかじめ用意しておいた「新聞」の企画書を机に置いた。
「ギルバート。お前に、この街の初代新聞編集長になってほしい」
ギルバートの手がピタリと止まった。彼は不快そうに眼鏡の奥の目を細め、企画書を一瞥する。
「お断りします。私は記録官だ。過去の事実を寸分の狂いもなく書き残すのが仕事であり、あなた方行政の政策を大衆に宣伝するスピーカーになるつもりはありません。私は王子の犬ではない」
「宣伝なんかするな」
俺は身を乗り出して、彼の目をまっすぐに見つめた。
「むしろ逆だ。オーエの失政やドジ、コープの都合の悪い裏側まで全部書いていい。行政を徹底的に監視し、批判するのがお前の仕事だ。条件として、記事の検閲権は一切オーエに持たせない。お前に『報道の自由』を完全に保証する」
ギルバートの眉がピクリと動いた。
「権力を徹底的に嫌い、事実に対してのみ忠実なお前にしか、この新聞の信頼性は作れないんだ。感情論で狂いかけたこの街を、お前の『冷徹な事実の刃』で正気に戻してくれ」
沈黙が部屋を満たす。ギルバートはしばらく俺と、そして泥を被ったまま並び立つオーエを交互に見つめていた。やがて、彼はフッと冷ややかな、しかしどこか好戦的な笑みを浮かべてペンを置いた。
「……いいでしょう。そこまで言うのなら、受けて立ちます。ただし、本当に検閲はさせませんよ? 創刊号のトップニュースは、すでに決まっていますからね」
「へ? もう決まってるのか?」
ギルバートは厚い帳簿の中から、一枚の書類を抜き出し、俺たちに見せつけた。
「オーエ様が先日、開拓地への融資予算を徹夜で算出された際、単純な桁の繰り上がりを間違え……結果として『三百ゴールド』の使途不明金(赤字)を出した件です。そしてそれを、次回の予算で補填して誤魔化そうとした事実です」
「えっ!? ま、待て! あれは決して私腹を肥やしたわけではなく、ただの純粋な計算ミスで……!」
オーエが顔を真っ赤にしてうろたえる。
三百ゴールドといえば、平均的な平民一家の『一週間の食費』よりも安い額だ。コープの国家予算規模からすれば文字通りポケットの小銭であり、ぶっちゃけどうとでもなる程度の被害でしかない。
だが、ギルバートは眼鏡の奥を鋭く光らせた。
「額の問題ではありません。理由がどうあれ、大衆が血税の使途を疑っている今、これを『混乱を避けるため』と独断で隠蔽し、事後処理で誤魔化そうとした。この不透明さこそが、今の大衆が最も憎悪する『お上の驕り』に他ならない。これを容赦なく、街中にバラ撒かせていただきます」
オーエは反論できず、「うぐっ……」と頭を抱えてしゃがみ込んだ。
俺はその様子を見て、思わずニヤリと笑った。最高だ。被害自体は可愛いものだが、態度は最悪。この身内の恥すら隠さない「不都合な真実」こそが、大衆の信頼を取り戻し、狂った街を救う最強の武器になる。
「なら、さっそくこの『不都合な真実』を大量に刷らなきゃな。……せっかくだ、先日ドワーフが持ち込んだ『活版印刷』の技術、あれを使おう」
俺の言葉に、ギルバートが片眉を上げた。
「あの、金属の小さな文字盤を並べるという奇妙な機械ですか。たしかにドワーフの彫金技術なら、金属活字を作るのは簡単でしょうが……」
「油性インクだって、洞窟生活で俺がすでに作ってる。この二つの技術を組み合わせれば、手書きとは比べ物にならないスピードで、一夜にして何千枚だって同じ紙面を作れるぞ」
ルネサンス期に情報革命を起こし、世界を劇的に変えた歴史的発明。それが今この異世界で、人間と亜人の技術の結晶として産声を上げようとしている。
俺のいた現代の歴史よりも、少しばかり文明の進み方が早くなってしまうかもしれないな。
「頼んだぞ、ギルバート編集長。コープの未来は、お前のペンとドワーフの機械にかかってる」
ギルバートはふっと口角を上げ、新しいノートを開くと、力強い筆致で見出しを書き始めた。
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