5:石を投げる手、あるいはオーエの絶望
翌日、コープの広場は、熱病に浮かされたような熱気に包まれていた。
戒厳令によって防衛隊が主要路を封鎖しているにもかかわらず、その包囲網を破って集まった人間と亜人たちが、互いを激しい罵声で怒鳴りつけている。小競り合いはすでに街のあちこちで同時多発的に発生し、小さな炎が燻るように暴動の足音が近づいていた。
「私が、みんなの前で直接話す。言葉を尽くせば、きっと分かってくれるはずだ」
議事堂のバルコニーの前に立ち、オーエは青い瞳に悲壮な決意を宿して言った。
俺――フジワラは、「待て、オーエ。今の大衆は論理的な思考回路が遮断されてる。直接行くのは危険だ」と必死に止めた。だが、若き指導者は首を横に振った。
「ここで私が隠れていたら、それこそデマを肯定することになる。私は、彼らに『対等な一票』を与えると誓ったんだ。彼らの知性を信じたい」
オーエは防衛隊の静止を振り切り、広場を見下ろす演台へと力強く進み出た。
その高潔な姿が民衆の目に留まった瞬間、地鳴りのような怒号が広場から湧き上がった。
「静粛に! コープの同胞たちよ!」
オーエが喉が張り裂けんばかりの声で叫ぶ。その凛とした声には、大衆を惹きつける確かなカリスマがあった。一瞬だけ、広場に静寂が戻る。
「現在、街に流れている噂はすべて誤りだ! 開拓地の農具も、配給の物資も、種族の区別なく完全に公平に行われている。私の言葉を信じてほしい。私たちは互いに手を取り合い、新しい国を作るために集まった仲間ではないか!」
オーエの、一点の曇りもない正論。
だが、その言葉が響いた直後、民衆の返答は――冷酷な嘲笑と、より凄まじい怒号だった。
「口先だけの綺麗な言葉は聞き飽きたぞ、王子!」
「お前が亜人どもを贔屓して、俺たち純人を切り捨てようとしてるんだろ!」
「いや違う! 王子は人間の味方だ! ミーシャの歌の通り、私たちの果実を奪うつもりなんだ!」
誰も、オーエの言葉を「事実」として受け取らない。それどころか、自分たちの被害妄想を補強するための「敵のプロパガンダ」として解釈し、さらに怒りを燃え上がらせていく。
――その時だった。
ひゅん、と風を切る不快な音がして、演台のオーエの足元に何かが叩きつけられた。
ぐしゃり、と嫌な音を立てて弾けたのは、腐った木の実だ。黄色い汁が、オーエの仕立ての良い衣服を汚す。
「……え?」
オーエが呆然と目を見開いた瞬間、それを合図にしたかのように、民衆の手から次々と石礫や泥が投げつけられた。
「嘘つきの王子は引っ込め!」
「俺たちの生活を返せ!」
ガツン、と小さな石がオーエの額をかすめ、赤い血がたらりと一筋、彼の頬を伝った。
「オーエ!」
俺は叫び、飛び出してオーエの身体を強引に引き剥がし、バルコニーの影へと引きずり込んだ。すかさず人間の防衛隊員たちが盾を構えて演台を塞ぐ。
執務室へと逃げ込んだオーエは、壁に背を預けたまま、ずるずると床にへたり込んだ。
衣服は泥と腐った果実で汚れ、額からは血が流れている。だが、彼の身体を一番深く傷つけていたのは、物理的な衝撃ではなかった。
「……どうしてだ、フジワラ」
オーエは自分の血で汚れた手を見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。その瞳からは、かつての輝きが完全に消え失せ、底知れない絶望の闇が広がっている。
「私は……彼らを信じて、平等の権利を与えた。一人ひとりが、自分の頭で考えて正しい選択をしてくれると信じて、民主主義のシステムを作ったんだ。なのに……彼らは事実を見ようともせず、ただ感情のままに怒り、私に石を投げた……」
オーエの身体が、微かに震えていた。
「大衆とは、これほどまでに愚かな存在だったのか……? 言葉を尽くしても届かないなら、私たちは、最初から間違っていたんじゃないのか……?」
信じていた「民衆」という存在そのものに裏切られ、若き指導者の心は、今完全にへし折られていた。
虚ろな目が、すがるように俺を見ていた。
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