4:闇夜の爪痕、あるいは最初のファクト
戒厳令の敷かれたコープの夜は、不気味なほどに静まり返っていた。
広場には松明を持った防衛隊の兵士たちが立ち並び、移動劇団のテントは包囲されている。人間と亜人の平民たちはそれぞれ自宅に閉じこもり、窓の隙間から互いを値踏みするような視線をぶつけ合っていた。
「……誰も悪くない。誰も悪くないはずなんだ」
誰もいない執務室で、俺――フジワラは机に両手をつき、奥歯を噛み締めていた。
ギルバートは不正のない正確な記録を守ろうとしただけ。レナードは商人の生活と市場の流通を維持しようとしただけ。ハインツは暴動からこの街の治安を守ろうとしただけだ。
全員が、自分の役割と正義に100%従っている。裏切り者や帝国のスパイが、あからさまに破壊工作をしたわけじゃない。
なのに、どうして全員の正論と最適解が、パズルのピースみたいに噛み合ってコープを破滅へ導くんだ?
「……まるで、最初からこうなるように、絶妙な角度で傾けられた斜面を転げ落ちているみたいだ」
そう呟いたとき、俺の膝の上が微かに動いた。
テイムしているドブネズミだ。その小さな瞳が、俺を見上げている。
『……フジワラ、オイラ、見た。聞いた』
ネズミのノイズ混じりの声が脳内に直接響く。
「どうした、何か掴んだのか?」
『あの綺麗な歌をうたう羽の女の子のところ。一昨日、夜遅く、変な男が来てた』
俺の背筋に電流が走った。ミーシャの歌。あの完璧なタイミングで「人間優遇」を訴え、亜人たちを煽り立てたあの歌だ。
『フードを深くかぶった男。顔は見えない。声、すごく低くて、でも……優しかった。女の子に、偽物の書類を見せてた。「開拓地で人間が亜人の家を焼いた。王子もそれを黙認している」って、悲しそうな声で言ってた。女の子、泣いて、怒って、それで昨日の歌を作った』
「やっぱり、誰かが意図的に燃料を投下してやがったんだ……!」
現代のネット炎上と同じだ。当事者の正義感や被害者意識を刺激するために、わざと偽の情報をリークする『裏サイト』の管理人みたいな奴がいる。
情報の発信源があるなら、それを辿れば、この見えない泥沼の底にいる「真犯人」を引きずり出せるかもしれない。
「そのフードの男は、どこへ行った? 足取りは追えるか!」
『オイラの仲間、何匹かで匂いを追った。男は劇団のテントを出たあと、裏路地を何度も何度もぐるぐる回って、足跡を消そうとしてた。……でも、最後は、この議事堂の近くの暗がりに消えた。そこから先は、足跡がぷっつり途切れてて、わからない』
「議事堂の近くで消えた……?」
俺は窓の外の暗闇を見つめた。
この街の、しかもコープの中枢システムを完璧に熟知し、誰がどう動くかをチェス盤のように見通して情報を送り込んでいる奴がいる。ギルバートか? それともレナードか? いや、もしかしたら防衛隊の内部に……?
誰を見ても怪しく思えてくる。サヴァランのように怯えて縮こまる事務官ですら、この猜疑心の渦の中では、何かを隠しているように見えてしまう。それこそが敵の狙いなのだ。
証拠が必要だ。
感情の暴走を止め、この見えない『播種者』の足跡を完全に逆探知するための、ぐうの音も出ないレベルの客観的な事実が。
「もっと網を広げるぞ。街中のネズミや鳥の耳を借りる。誰がどこで、誰と接触したか、すべてを記録してやる」
俺は静かに拳を握りしめた。
コープの民主主義を壊そうとする姿なきハッカーとの、情報戦が始まった。
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