5:囚われた絶望
翌日、俺とオーエは孤児院の買い出しのために、この辺境領の中心街へと向かっていた。
「おい、フジワラ。なぜ私がこのような薄汚いボロ布を頭から被らねばならんのだ。不快極まりない。王族の肌にこの粗悪な麻は刺激が強すぎる」
「贅沢言うな。お前、自分が国一番の指名手配犯だって自覚ある? その無駄に目立つ白銀の髪を隠すには、このフード付き外套しかないんだよ。文句があるなら歩いて帰れ」
深いフードを被り、不満げに口を尖らせるオーエを宥めながら、俺は古い荷車を引いた。
中央の凄惨なクーデターが嘘のように、辺境街の市場は活気に満ちている。色とりどりの野菜や果物、家畜の鳴き声、商人たちの威勢のいい声。この世界に転移してきた当初、俺が「ファンタジーっぽくて綺麗だな」とのんきに感動していた、ありふれた異世界の日常風景だ。
だが、その平穏な空気は、市場の中央広場に差し掛かった瞬間に、文字通り凍りついた。
ジャララ……ッ、ジャラリ……。
楽しげな喧騒を切り裂くように響いた、重苦しい鉄の擦れ合う音。
周囲の買い物客たちが、腫れ物に触れるかのように一斉に道をあけ、その場に深く頭を下げて平伏し始める。歩みを止めた俺とオーエの視線の先から現れたのは、真鍮の鎧に身を包んだ、三人のソンガ帝国の兵士たちだった。
鉄が擦れる不快な音と共に、彼らが太い鎖で「モノ」のように引きずっていたのは――。
「……っ!」
俺の隣で、フードの奥のオーエが息を呑む気配がした。
そこにいたのは、五人のエルフたちだった。
『亜人』。現代日本では有り得なかった、様々な人種たち。
物語に出てくるような、透き通るような白い肌と、長く尖った美しい耳。しかし、彼女たちの身体には生々しい無数の鞭の痕が刻まれ、衣服とは名ばかりの、泥に汚れたボロ布を纏わされているだけだった。
首には、肌を黒く変色させるほどきつく締め付けられた、重厚な鉄の首輪。それが一本の太い鎖で繋がれ、帝国兵が乱暴に鎖を引くたびに、彼女たちは前のめりに石畳へと倒れ込んでいた。
「おい、ぐずぐず歩くな、この家畜どもが!」
一人の兵士が、倒れ込んだ若いエルフの少女の背中を、容赦なく鉄のブーツで踏みつけた。
「あぐっ……!」
少女が苦痛に顔を歪める。だが、周囲の人間たちは誰も助けようとはしない。それどころか、「これだから亜人は」「気味が悪い」「さっさと収容所へ連れて行け」と、冷淡な、あるいは関わり合いを恐れる視線を向けるだけだった。
「ひどい……」
俺の口から、現代日本の倫理観が悲鳴を上げて漏れ出た。
奴隷。言葉では知っていた。だが、目の前で、自分と同じように思考し、涙を流す知的生命体が、ただ生まれが違うというだけでモノのように、家畜のように蹂躙されている。昨日まで孤児院の子供たちと笑い合っていた平和な日常が、一瞬で遠くへ吹き飛ぶような感覚だった。胸の奥がキリキリと焼けるように痛む。
踏みつけられたエルフの少女が、痛みに耐えかねて、ほんの一瞬だけ顔を上げた。
その瞬間、俺は彼女と目が合った。
――衝撃だった。
そこには、怒りも、恨みも、悲しみすらもなかった。
ただ、底知れない、無限の虚無。すべてを諦め、自分の尊厳がすり潰されることを『仕方のないこと』として受け入れてしまっている、完全に光の消えた死人の目だった。
「おのれ……イル・ソンガ……! 亜人を人間以下の奴隷とし、富を貪ることで自らの権力を誇示するか……!」
フードの奥で、オーエの絞り出すような声が聞こえた。
見れば、彼の細い拳は、爪が皮膚に食い込んで血が滲むほどに強く握りしめられていた。その瞳に宿るのは、両親を殺された私怨だけではない。自らが愛したナァノ王国の民の尊厳を、徹底的に踏みにじる帝国への、剥き出しの憤怒だった。
「おい、そこのボロ布のガキども! 何を凝視してやがる、文句でもあるのか!?」
俺たちの視線に気づいた帝国兵の一人が、不機嫌そうに長剣の柄に手をかけた。
「い、いえ! 滅相もないです! すみません、田舎者なので珍しくて!」
俺は咄嗟にオーエの肩を掴み、無理やり引きずるようにしてその場を離れた。ここで騒ぎを起こせば、オーエの正体がバレて二人とも即座に処刑されかねない。
背後からは、再びエルフを罵倒する兵士の声と、重い鉄の鎖の音が遠ざかっていく。
孤児院への帰り道、俺たち二人は、一言も口を利かなかった。
市場の賑やかさも、青い空も、今の俺たちには酷く白々しく感じられた。
あのエルフの少女の、光の消えた絶望の目。
それが、俺とオーエの胸の奥に、消えない消し炭のような重りを残していた。
物置小屋へと戻り、夕闇が室内を包み込む中、俺たちは再び、あの狭い空間で対峙することになる。
目の当たりにした帝国の圧倒的な「暴力」と「現実」。それを前にして、俺たちの反逆への歯車が、決定的に回り始めようとしていた。
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