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1:見えない毒、あるいは夜の囁き

「……おかしいな」


深夜の執務室。灯の下で、俺――フジワラは紙の山を前にして眉をひそめていた。

俺の膝の上には、この街の裏路地を根城にする一匹のドブネズミが丸くなっている。そして俺の肩の上には、宝石のような鱗をきらめかせたミニマム・ドラゴンが、配給の干し肉の切れ端を小さな前足で大事そうに抱えて、せっせと口を動かしていた。

俺のチート能力『手懐ける(テイム)』によって会話が可能となる小さい仲間たちは、ここ数日、コープの酒場で囁かれる不穏な噂を拾い集めていた。


「どうしたんだ、フジワラ。そんなに難しい顔をして」


対面のデスクから顔を上げたのは、コープの若き指導者であり、亡国の王子であるオーエだ。疲れの見え始めた青い瞳をこすりながら熱い茶を口に運んでいる。


「いや、オーエ。街のあちこちで、妙な噂が広まってるんだ。『開拓地で亜人ばかりに新しい農具が優先配給されている』とか、『共同体の幹部は純人の平民から重税を吸い上げようとしている』とかね」

「そんな馬鹿な。配給は完全に申請順だし、税率だって種族に関係なく一律に下げたばかりだ。事実無根だよ」


俺の言葉に同意するように、頭の上のミニマム・ドラゴンが「きゅいっ!」と短く鳴いた。

「ああ、わかってる。事実無根だ。……でも、噂の広まり方が早すぎる。まるで、誰かが意図的に情報を大量送信しているみたいにさ」


俺が現代知識の感覚でそう呟いたとき、執務室の扉が遠慮がちにノックされた。

入ってきたのは、制度設計アドバイザーのサヴァランだった。手には大量の書類を抱え、いつものように地味な服の袖をインクで汚している。出張中のエルフの秘書――セクレタに代わり、俺たちの秘書のような役割もしてもらっている。


「失礼します、オーエ様、フジワラ様。夜分遅くに申し訳ありません。……実は、少々耳の痛い報告がありまして」


サヴァランはビクビクとした様子で、書類を差し出した。いかにも「保身に汲々とする、上司の顔色を伺う小役人」といった風情だ。額にはうっすらと汗を浮かべ、自分の席が危うくなるのを本気で恐れているように見える。


「街の酒場で、人間と亜人の待遇差に対する不満……いえ、明らかなデマが出始めております。私は元々地方ギルドの端くれですから分かりますが、こういう火種は放っておくと私の立場も危うい。お二人の足を引っ張られる前に、早めに手を打つべきかと存じます」

「サヴァラン、君も気づいていたか。報告をありがとう」


オーエが労いの言葉をかけると、サヴァランは「滅相もない、私はただ自分の席を守りたいだけでして」と、情けなく肩をすくめて何度も頭を下げた。自分の保身ばかりを気にする器の小ささはあるが、根は真面目な男なのだろう。


「――だったら、そんなデマを流す不穏分子は、片っ端から防衛隊で捕らえればいいんですよ!」


突然、大声を上げて入ってきたのは、防衛隊の若き幹部ハインツだった。武装したままの彼は、血気盛んな顔で机を叩く。


その激しい音に驚いたのか、ミニマム・ドラゴンが「きゅ、きゅきゅっ!?」と慌てて干し肉を落としそうになりながら、俺のボサボサの髪の中にバタバタと潜り込んできた。毛先から不安そうに、ハインツのほうをキョロキョロと窺っている。


「落ち着け、ハインツ。力による弾圧は、我々の目指す民主主義ではない」


オーエが宥めるが、ハインツの怒りは収まらない。

俺は髪の中に手を差し入れ、怯える相棒の小さな頭を指先でそっと撫でて落ち着かせた。指に触れる柔らかい鱗の感触が、少しだけ緊張を和らげてくれる。


ピリピリとした空気が流れる中、夜の窓の外から、不意に信じられないほど美しい「歌声」が風に乗って響いてきた。


――浅まし純人(ひと)たち、私たちの果実を奪わんとする。

――優しき王子は同胞(純人)の味方。私たちの涙は見えない。


切なく儚いそのメロディに、執務室の全員が息を呑んだ。髪の中にいたミニマム・ドラゴンも、その歌声に引き寄せられるように、ひょこっと顔を出して耳を澄ませている。

窓から外を見下ろすと、広場に集まった移動劇団の中心で、ハルピュイアの少女――歌姫ミーシャが、純粋な正義感に瞳を燃やして歌っていた。

彼女の歌を聴く平民たちの顔は、一様に歪んでいる。嫉妬と、不満と、怒りに。


「……ミーシャの歌か」


サヴァランが、困り果てたように呟いた。


「困りましたね。亜人優遇のデマが飛び交う一方で、亜人の歌姫が人間優遇の不平を歌う。一体、誰がこんな話を彼女に吹き込んだのやら」


ハインツが拳を握りしめ、オーエが苦悩の表情を浮かべる。

窓の外で踊る大衆の影を見つめながら、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

目に見えない言葉の毒が、確かにこの街の底から、網の目のように広がり始めていた。

感想いただけると狂喜乱舞しますので感想くださいください

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