9:歯車となる命たち
ソンガ帝国軍の本陣。張り詰めた空気の中、パキ、と微かな、しかし不吉な音が響いた。
イル・ソンガの斜め後ろに控えていた通信魔導士の一人が、白目を剥いてその場に崩れ落ちたのだ。鼻からは一筋の血が流れ、意識は完全に消失している。脳神経の同調負荷による、本日三人目の「機材不良」だった。
「次を入れろ。通信の維持を最優先。遅滞は一秒たりとも許さん」
イルは倒れた兵士に視線すら向けず、冷徹に言い放った。
将校たちが青ざめた顔で素早く死体を運び出し、新たな通信兵が震えながら魔導座席に着く。
少数の命をインフラの燃料として消費し、軍全体の速度を極限まで引き上げる。この非人道的なトップダウンシステムこそが、イルの思想そのものだった。数万人を生かすために全員で話し合い、結果として全員が手遅れになる民主主義など、彼に言わせれば「等しく全員を殺す最悪の怠慢」に過ぎない。
「イル様、東の断崖より報告。鉄甲騎兵団の奇襲は見事に成功。水盆通信の繋がらぬ死角において、ハルピュイアどもは上空からの組織的な迎撃体制を取れず、拠点は完全に孤立。壊滅は時間の問題です」
「……当然だな」
イルは作戦机の上の戦況図を見下ろした。
西海岸では、オーエが権限を集約させたことで敵が驚異的な粘りを見せているが、東の崖の崩壊までは予測できていなかったようだ。どれほど上の決定を早くしようと、物理的な「通信網の死角」というシステムの欠陥は、一朝一夕では埋められない。
東の断崖が落ちれば、帝国軍はそこから解放区の内懐へと一気に雪崩れ込むことができる。西海岸で必死に防衛線を張っているフジワラやエルフたちの背後を、完璧な形で突き崩すチェックメイトの一手だ。
「オーエよ。貴様がどれほど泥縄の『間接民主主義』とやらで意思決定を早めようと、現場が物理的に分断されていれば何の意味もない」
イルはチェス盤に手を伸ばし、黒い騎士の駒を掴むと、白の城の駒を盤外へと容赦なく弾き飛ばした。
「国を守るとは、システムを回すということだ。そしてシステムを最速で回すためには、歯車が必要不可欠。誰も傷つけず、誰も使い捨てにしないなどという甘い幻想は、この戦場の現実の速度の前にただ粉砕されるのみだ」
イルの冷徹な眼差しが、戦況図の完全な勝利の構図を捉えていた。
東の断崖からの悲鳴は、彼の中央集権システムが民主主義を完全に壊滅させたことを告げる、終わりの合図となるはずだった。
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