8:泥臭き前線
西海岸の防衛線は、文字通り血と泥、そして硝煙の海と化していた。
「――全軍、そのまま突っ込め! エルフの狙撃兵は、左翼から接近する帝国の魔導舟艇の操舵手を狙え! ドワーフの重装歩兵は、波打ち際で盾の陣を維持! 一歩も退くな!」
俺――フジワラは、前線の簡易陣地に出張り、テイム魔獣のウルフたちを伝令として走らせながら、声を枯らしていた。
オーエが議場でぶち上げた『間接民主主義(代表選挙)』へのシステム移行は、奇跡的な速度でこの戦場に「時間」をもたらしていた。全員の意見を聞くのをやめ、戦時全権を委任されたオーエがトップダウンで指揮を執る。それだけで、コープの防衛陣形はまるで別の組織のように劇的に噛み合い始めていた。
だが――それでも、帝国の進軍速度は異常だった。
こちらの布陣が切り替わった瞬間に、それを察知したかのように、帝国の本国艦隊から的確な反撃の魔導砲撃が飛んでくる。まるで、こちらの動きがリアルタイムで筒抜けになっているかのような神速の命令伝達だ。
「……おかしい。いくらなんでも、命令が前線に届くのが早すぎる。どんな通信網を使えば、あの規模の大軍勢をタイムラグなしで動かせるんだよ!?」
俺は、あまりの戦術の噛み合い方に冷や汗を流した。
その疑問に答えたのは、前線でともに防衛線を死守していた、元・帝国軍の脱走兵である重騎士の男だった。彼は苦渋に満ちた目で、海上に浮かぶ帝国の旗艦を見つめていた。
「……フジワラ殿、あれが帝国の『魔導同調通信』です。奴らの通信は、我々の水盆通信のような生易しい代物じゃない」
「どういう意味だ?」
「あれは、中継役となる魔導士たちの脳神経を、強制的に魔力で共有させるシステムです。膨大な戦況データやイル様の神速の命令を、脳に直接流し込む。当然、人間の脳はそんな負荷には耐えられない。一戦行えば、数十人の通信兵の脳が焼き切れ、廃人になるか死に至る……。帝国の神速は、彼らの命を『燃料』にして買っているんです」
彼の言葉に、俺は強い戦慄を覚えた。
命の燃料化。イル・ソンガは、「大軍の命令遅滞によって生じる数万人の兵の犠牲」を防ぐために、あらかじめ「インフラ維持費」として少数の通信兵をすり潰すと決めているのだ。徹底的な、そしてあまりにも冷酷な合理主義。
(なんて奴だ……。全員を生かそうとして足が遅くなる俺たちの民主主義を、奴は少数を歯車にしてすり潰すスピードの暴力で圧殺しにきてる!)
その時、俺の足元に置かれた水盆が、激しく血の混じった水を跳ね上げた。
『フジワラ様……! オーエ様……! 東の、東の断崖が……っ!』
西海岸の通信役であるセイレーンの、悲痛な叫びだった。
『東の崖、ハルピュイアの集落に、帝国の鉄甲騎兵団が奇襲を……! あそこは、水盆通信の地下水脈が繋がっていません! 本陣からの防衛指示が届かず、孤立無援で蹂躙されています……!』
「しまっ――」
俺は息を呑んだ。
いくらオーエへの権限集中で意思決定の速度を上げたところで、物理的な通信の「死角」までは埋められない。イル・ソンガは、俺たちの通信インフラの致命的な死角を完璧に見抜き、そこに最速の刃を突き立てていた。
西海岸で泥まみれになりながら戦線を維持する俺たちの遥か頭上で、東の拠点が音を立てて崩壊しようとしていた。
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