6:信託の閃光
怒号、悲鳴、そして机を叩く暴力的な音。掘っ建ての議場を包む空気はもはや熱気ではなく、肉を焦がすような恐怖のそれへと変貌していた。
「戦うか逃げるか、そんな二択すら決まらないのか!」
「西海岸のセイレーンどもを見捨てるわけにはいかない!だが、東の崖にエルフの弓兵を回せば、今度は本陣の守りが薄くなるぞ!」
「そもそも、この数万人をどうやって移動させる!?全会一致でなければ動けないというルールが、俺たちをここに縛り付けているんだ!」
壇上から見下ろす議場は、完全に機能不全に陥っていた。人間の農民、誇り高きエルフ、頑固なドワーフ、そしてパニックに陥った亜人たち。彼らは皆、自分がこの国の「主権者」であり、対等な一票を持っていることを知っている。だからこそ、自らの命、そして同胞の命がかかったこの極限状態において、他者に決定権を譲ることを激しく拒絶していた。
一人ひとりの意見は正しい。誰もが必死だ。だが、数万人の正義が正面から衝突した結果、生み出されたのは完全な「遅滞」だった。多数決を取るための挙手すら、この人込みと混乱の中では集計に何時間かかるか分からない。
(ああ……イル、貴様の言う通りだ。これが、かつて我が父たちが守ろうとし、そしてすべてを失った『話し合い』の限界か)
私の胃の奥が、冷たい拒絶反応でキリキリと痛む。
運動神経が皆無で、ドジで、民衆の前で大声を出すことすら本来は苦手なこの私が、天才イル・ソンガの神速の軍勢を前にして、一体何ができるというのか。一秒経つごとに、西海岸の同胞が殺されていく。全員の意見を聞き終わる頃には、私たちは全員、美しい理想を抱いたまま冷たい死体になっているだろう。
その時、壇上の脇でテイムした魔獣たちに指示を出していたフジワラが、私の袖を強く引っ張った。その目は、恐怖に負けていなかった。
「オーエ! これ以上、全員で『具体的な作戦』を話し合ってたら全滅する! でも、みんなが主権を捨てたくない気持ちも分かる。だから――お前の世界にはなかった、現代日本の『裏技』を使うぞ!」
「現代日本の……裏技だと?」
「主権は全員にある。だけど、決定の『スピード』だけを帝国と同じにする方法だ。――オーエ、お前のカリスマを、今ここで全部ぶちまけろ!」
フジワラの言葉が、私の背中を強く押した。
私は深く息を吸い込み、喉が裂けんばかりの声を、混乱の極みにある議場へと叩きつけた。
「静粛に!! 主権者たるコープの民よ、私の言葉を聞け!!」
その凛とした、かつての王族としての気品を帯びた声に、議場の騒音が一瞬だけ凪いだ。数万人の視線が、壇上の私へと集まる。
「我々が今、直面しているのは『意思決定の速度不足』という致命的な罠だ! 敵の総大将イル・ソンガは、一人の脳髄ですべてを決定し、神速で我々を殺しにきている! だが、我々は数万人で話し合わねば一歩も動けない! このままでは、我々は理想に溺れて死ぬ!」
民衆が息を呑むのが分かった。だが私は言葉を止めない。
「だからこそ、提案する! 我々は今この瞬間から、【間接民主主義(代表選挙)】へと移行する!」
議場に、再びざわめきが広がる。それを私は手を挙げて制した。
「誤解するな! 主権を王に返上せよと言っているのではない! 貴様たちの持つ『決定権』という尊い盾を、この戦時という一瞬の間だけ、信託に足る代表者へ『預けてくれ』と言っているのだ! 具体的な作戦指揮、兵の配置、物資の配給――そのすべてを、貴様たちが選んだ代表に一任し、帝国と同等の、いやそれ以上の『速度』を買い取るのだ!」
「そんなことをすれば、帝国の独裁と同じじゃないか!」
一人の人間の農民が叫んだ。その不信感を、私は真っ向から受け止める。
「違う! なぜなら、貴様たちが選んだ代表がもし暴走すれば、この戦いが終わった後、貴様たちの『一票』によってその首をいつでもすげ替えることができるからだ! 代表とは支配者ではない! 貴様たちの意志を執行するため、泥を被る下僕に過ぎない!」
言葉が、議場の空気を劇的に変えていく。
そこに、一人の男が力強く一歩を踏み出した。人間の農民たちをまとめ上げていた、立法議長のヒューだった。
「……なるほどな。俺たちの主権を守るために、あえて権限を預けるってわけか。だったら、俺はオーエ、お前たち『行政』に、この命と作戦の全権を預ける! もしお前が間違った指揮をして俺たちを死なせかけたら、次の選挙で絶対に引きずり下ろしてやるからな!」
ヒューが、その太い腕を真っ直ぐに突き上げた。
「俺は、行政への全権委任に賛成だ!!」
その叫びが、導火線となった。
「俺もドワーフの代表として、バリスタと共に権限を預ける!」
「エルフも、戦時代表としてオーエに信託する!」
挙手。挙手。挙手。
数万人の手が、波のように議場を埋め尽くしていく。それは、全会一致の議論を待つのではなく、圧倒的な速度で「代表を選出し、信託する」という、新しい民主主義の形が成立した瞬間だった。
「――選挙、終了だ。全権、確かに信託された」
私は冷や汗を拭いながら、鋭い目をフジワラに向けた。
「さあ、フジワラ。時間を買い取ったぞ。神速の独裁者に、我々の『新しいシステム』を見せてやろう」
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