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5:合議という名の遅滞

 ソンガ帝国軍の本陣。巨大な天幕の内部は、帝都の謁見の間と見紛うほどの静寂に包まれていた。

 中央に据えられた大きな作戦机の上には、魔導士たちがリアルタイムで更新し続ける戦況図が浮かび上がっている。西海岸を埋め尽くす帝国艦隊の青い光点。そして、東の断崖へ向かって猛スピードで進軍する鉄甲騎兵団の赤い光点。


 イル・ソンガは、その光点の動きを冷徹な双眸で見つめていた。

 彼の背後では、数名の高級将校たちが前線から送られてくる魔導通信の報告書を素早く精査し、一切の無駄な雑音を省いてイルへと差し出している。


「イル様、西海岸の先遣隊より報告。敵の防衛線は極めて脆弱。こちらの接近を察知しているはずですが、拠点の構築はおろか、兵の配置すら満足に行われていない模様です。現在、我が方の魔導砲撃により、セイレーンたちの沿岸集落を包囲しつつあります」


「……そうか」


 イルは短く応じ、チェス盤の白の歩兵(ポーン)を一つ、自らの手で弾き飛ばした。

 その顔に、勝利の歓喜はない。あるのは、自らの仮説が寸分の狂いもなく証明されたことへの、薄笑いだけだった。


「予測通りだな。敵は今、総会とやらを開いて議論の最中だ。戦うべきか、逃げるべきか。あるいは誰が前線に立つべきか。そんな初歩的な決定すら下せずに、数万人の大衆が互いの足を引っ張り合っている」


 イルは目を閉じ、深く息を吐き出した。

 彼の脳裏に、かつて滅ぼした「ナァノ王国」の、あの忌々しい議場の光景が鮮明に蘇る。


 十年前、この地を大飢饉が襲った時。

 当時、一介の地方貴族の長男に過ぎなかったイルは、飢えに苦しむ領民たちの命を救うため王都の議場へと駆け込んだ。備蓄米の即時解放と、隣国からの食料輸入の許可を取り付けるためだ。


 だが、そこで彼を待っていたのは、吐き気を催すほどの『遅滞』だった。

 王族や高官たちは、民の命が文字通り秒単位で消え去っている最中にもかかわらず、「救済の予算をどこから捻出するか」「どの領地を優先して救うか」「手続きに不備はないか」を、延々と話し合っていた。誰もが傷つきたくなくて、誰もが責任を取りたくなくて、綺麗事の議論を繰り返して決定を先送りしていた。


『イル、お前の気持ちは分かるが、我が国は合議の国だ。全会一致のルールを曲げるわけにはいかない』


 そう言って、穏やかな微笑みを浮かべていた王の顔を、イルは一生忘れない。

 その丁寧な「話し合い」の最中に、イルの両親は泥水をすすって飢え死にした。そして、当時まだ幼かった妹、モノは、栄養失調と配給の遅れからくる高熱によって、二度と歩けぬ身体になった。


(合議とは、責任の分散だ。決断できぬ無能が、自らの手を汚さないために弱者を差し出す欺瞞のシステムだ)


 イルの細い指先が、机の端を白くなるほど強く握りしめられる。

 だからこそ、彼は誓ったのだ。

 一人の圧倒的な天才が、すべての情報を一瞬で咀嚼し、最速で最適解を執行する。その圧倒的なスピードの暴力、すなわち「絶対中央集権の独裁」こそが、この残酷な世界において結果的に最も多くの弱者を救う唯一の正義だと。


「イル様、東の断崖に向かう鉄甲騎兵団からも報告です。通信の死角であるハルピュイアの里に接近。敵方に警戒の動きは見られません。完全に奇襲が成立します」


「よし。そのまま踏み潰せ。合議という名の病に侵された組織に、現実の速度を教えてやる」


 イルは目を開け、戦況図の東の断崖へ、黒い騎士(ナイト)の駒を厳かに突き立てた。


「どれほど美しい理想を掲げようと、目の前に刃が迫っている時に動けぬ組織など、ただの自殺志願者だ。オーエよ、貴様たちの『話し合い』が、どれほど凄惨に民を間引くか、その身をもって知るがいい」


 イルの冷徹な命令の元、帝国の軍勢はさらにその進軍速度を加速させていく。

 一人の天才の意志によって一糸乱れぬ動きを見せる帝国軍の前に、コープの民主主義は、あまりにも脆く崩れ去ろうとしていた。


感想いただけると狂喜乱舞しますので感想くださいください

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