3:死角へのチェックメイト
揺れる天幕の中、イル・ソンガは一枚の羊皮紙を見つめていた。
そこには、反乱分子『コープ』が運用しているという奇妙な連絡網――『水盆通信』の調査記録が克明に記されている。
「……なるほど。下半身が魚の亜人、セイレーンの固有魔力を媒介とし、地続きの地下水脈を通じて音声を同調させるシステムか」
イルの固い指先が、羊皮紙に描かれた解放区の地図をなぞる。
周囲の将校たちは、西海岸へ向かう大艦隊の進軍速度について議論を交わしていたが、イルの意識はすでにその先、敵の「システムの脆弱性」へと向けられていた。
「素晴らしい技術だ。どれほど離れていても、水さえあれば一瞬で情報が繋がる。だが、完璧なシステムなどこの世には存在しない。必ず限界がある」
イルの指が、地図の右端――ごつごつとした岩肌が描かれた『東の断崖』でピタリと止まった。
「この東の崖は、標高が高すぎる上に、地質が強固な岩盤だ。すなわち、西海岸から地続きの地下水脈が通っていない。ここに巣食うハルピュイアどもは、水盆通信の恩恵を受けられないはずだ。連絡を取るには、物理的に伝令を走らせるしかない」
将校たちがハッとして息を呑む。
イルはチェス盤を振り返り、黒い騎士の駒を東の崖の拠点へと進めた。
「西海岸に送り込んだ大艦隊はただの陽動だ。敵が水盆通信で『西に敵襲』と大騒ぎしている隙に、鉄甲騎兵団を東の断崖へ走らせ上空の有翼種どもを根絶やしにする。情報が繋がらない死角から、完璧な時間差同時奇襲を仕掛ける」
それは、一人の天才がすべての情報を集約し、一瞬で最適解を下す「中央集権」だからこそ可能な神速の布陣だった。
イルは天幕の隙間から、夜空を見上げた。
(私がナァノを滅ぼし、血に塗れた独裁者となったのは、世界を最速で救うため。一人の完璧な支配者がすべての差配をしてこそ、最も効率的に弱者を救える。それが私の、帝国の正義だ)
「ナァノの思想は遅滞という名の悪。目の前に刃が迫っている時ですら全員の意見を聞かねば動けぬ組織など、ただの自殺志願者だ」
イルは冷徹な眼差しで、静かに前線への総攻撃を命じた。
独裁のスピードが、民主主義の遅滞を物理的に圧殺する瞬間は、すぐそこに迫っていた。
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