3:血塗られて始まった夜
――半年前のあの日、世界は文字通り赤く染まっていた。
ナァノ王国の宮を包囲したのは、漆黒の鎧を身にまとった重装歩兵たち。そして、夜空を焼き尽くさんばかりの勢いで炎魔術を放ち続ける、公爵家ソンガの私兵団だった。
「王族の血を引く者は一人として生かすな! 徹底的に首を刎ねろ!」
怒号、鉄のぶつかり合う不快な音、そして慣れ親しんだ従者たちの悲鳴が、美しい白亜の城の廊下に響き渡っていた。
当時まだ何も知らなかった私は、自らの私室で恐怖にただ震えていた。
私には、兵を率いて前線に立つ兄たちのような武勇はなかった。魔術の才能にも恵まれず、ただ書物を読み、国の歴史や統治の在り方を空想するだけの、非力な読書狂。それがナァノ朝の第三王子、オーエという人間の正体だった。
「オーエ! 無事か!」
扉を激しく蹴り開けて入ってきたのは、血に汚れた大剣を握る父上――ナァノ国王と、私の手を強く引く母上だった。二人の表情には、これまでに見たこともないほどの悲壮感が漂っていた。
「父上、母上! 一体何が……! ソンガ公爵家は、我が国の忠臣ではなかったのですか!?」
「奴らは牙を隠していたのだ……。長兄のイル・ソンガは、優しき王政を『生ぬるい衆愚』と蔑んでいた。力による絶対的な支配――それこそが国家のあるべき姿だと、奴は狂信している」
父上の声は悔しさに震えていた。
ソンガ家の反逆は、一時の感情によるものではない。何年も前から周到に準備され、王国の全軍事力の半分を抱き込んで放たれた、完璧なる国家転覆だった。
「お聞きなさい、オーエ」
母上が私の細い肩を抱き寄せ、その美しい青い瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「あなたには戦う力はありません。けれど、その聡明な頭脳があります。ここでナァノの血を絶やしてはなりません。生きて……生きて、歴史の正しさを証明するのです」
「な、何を言うのです、母上! 一緒に逃げましょう! 城の地下通路なら――」
「間に合わん。すでに奴らの魔獣兵がこの階まで迫っている。……オーエ、行け!」
父上が私の胸を押し、壁の隠し扉を開いた。暗く長い、地下へと続く螺旋階段が口を開ける。
「いやです! 父上! 母上!」
「生き延びろ、我が息子よ!!」
それが、父上の最後の言葉だった。
隠し扉が容赦なく閉ざされ、完全な暗黒が私を包み込む。
私は暗闇の中を、ただがむしゃらに階段を駆け下りた。何度も足をもつれさせ、膝を打ち付け、爪を剥がしながら、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして走った。
背後からは、厚い石壁を透過して、凄まじい爆発音が響いてくる。
――そして、聞こえてしまったのだ。
肉が深く裂ける、嫌な音。
父上の、最期の無念に満ちた咆哮。
そして……母上の、引き裂かれるような壮絶な悲鳴。
「あああああッ!! ああああ、あああああッ!!」
私は耳を塞ぎ、狂ったように叫びながら走り続けた。
助けに戻る勇気も、敵に立ち向かう力も、何一つ持たない己の無力さが、鋭い刃となって私の胸を幾度も刺し貫いた。
地下通路の出口から王宮の外へと這い出したときには、夜が明けかけていた。
振り返った視線の先――燃え盛る王宮の正門には、すでに冷たくなった父上と母上の首が、無残に槍の先へと掲げられていた。
その門の上に立ち、冷徹な目で見下ろしていた男の姿を、私は生涯忘れることはないだろう。
新皇帝、イル・ソンガ。圧倒的な暴力を体現した、我が一族の仇敵。
「……イル、ソンガ……!」
泥水をすすり、物乞いの真似事をして飢えを凌ぎ、追手から逃げ回る日々の中、私の心を辛うじて繋ぎ止めていたのは、ただ一つ。
奴らへの、骨の髄まで焼き尽くすような『復讐心』だけだった。
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