5:忍び寄る「帝国の包囲網」
ハルピュイアの集落との物流同盟をまとめ上げ、俺とバリスタ、ミリィの三人は、ひとまずコープの隠れ洞窟へと帰還していた。
これで空の輸送ルートは確保できた。あとは西海岸に向かったオーエたちが海路を開けば、俺たちの製紙ビジネスはイル・ソンガ帝国の目の届かないところで爆発的に巨大化する――。
そんな希望を胸に抱いて戻った拠点は、しかし、俺の予想に反して「妙な静寂」と「ピリピリとした緊張感」に包まれていた。
「……フジワラさん、お帰りなさい。大変なことになりました……」
薄暗い洞窟の入り口で俺たちを迎えたのは、製紙プラントの管理を任されていたエルフの職人頭だった。いつもは穏やかな彼の顔には、明らかな疲弊と恐怖の影が滲んでいる。
「どうしたんだ? 洞窟の中が妙に静かだけど……それに、あそこにいる人間たちの目は何だ?」
洞窟の奥、開拓村から上がってきた人間の農民たちが、十数人で固まってこちらを警戒するように見つめていた。その中心には、あの村長の息子――ヒューの姿がある。彼は腕を組み、冷徹なまでに鋭い視線を俺たちに向けていた。
「事態は深刻です」
職人頭は周囲を気にするように声を潜めた。
「数日前から、山脈の麓に続く主要な街道のあちこちで、帝国の正規軍の姿が目撃されています。どうやら、私たちの急激な物資の動きを不審に思った何者かが、帝国へ密告したようです」
「密告……!? じゃあ、ここがバレたのか?」
「いえ、この隠れ洞窟の正確な位置まではまだ特定されていないようです。ですが、帝国軍は『この山脈のどこかに反乱分子の拠点がある』と確信している。そのため――」
エルフの職人が広げた地図を指差した。
「麓の町へ繋がる街道、および山脈を抜けるすべての陸路が、帝国軍によって物理的に完全封鎖されました。彼らは網を狭めるように、じわじわと山を包囲し始めています。今、私たちが外へ紙を運び出せば、一瞬で捕らえられるでしょう」
「嘘だろ……。せっかくハルピュイアと手を組んだっていうのに、完全に干上がらせる気かよ」
俺の背筋に冷たい汗が流れた。
コープは急成長したとはいえ、本質的にはただの生産組合だ。帝国の正規軍と正面から戦争をするような武力は無い。街道を完全に封鎖され、物流を止められれば、買い出しに行くことすらできず、いずれ飢え死にする。
「……聞いたか、フジワラ。街道がすべて、帝国の兵隊どもで埋め尽くされているそうだぞ」
留守番のエルフたちとの話を終えた俺の前に、ヒューはゆっくりと歩み出た。
後ろには、不安に顔を歪ませた人間の仲間たちが控えている。
「ヒュー。状況は聞いた。だけど、焦って動くのは危険だ。オーエとセクレタリアが戻るまで、まずは――」
「王子を待って何になる!」
ヒューは静かに、しかし洞窟の岩壁に響くほどの怒りを込めて、俺の言葉を遮った。
「あいつは口を開けば『民主主義』だの『法律』だの、大層な理想ばかり並べ立てる! だが現実を見ろ! あいつが調子に乗って組織を広げ、エルフだのドワーフだの、挙句の果てにはわけのわからない化け物どもまで巻き込むから、帝国軍に目をつけられたんだ!」
「それは違う! 組織を大きくしなきゃ、いずれ帝国に潰されるのは同じだったはずだ!」
「今までは違った!」
ヒューは俺の胸元を指差した。
「俺たち人間の農民はな、泥にまみれて大人しく税を納めていれば、理不尽ではあっても、殺されずに生きてきたんだ。だが、あのポンコツ王子に担ぎ上げられて、亜人どもと一蓮托生にされた結果がこれだ。このままじゃ、俺たちの家族は全員『反逆者』として処刑される!」
後ろの農民たちが、怯えたようにざわざわと賛同する。
彼らの目に宿っているのは、悪意ではない。純然たる「死への恐怖」だ。だからこそ、誰の手にも負えないほど頑固で、強固だった。
「俺は、俺の仲間(人間)の命を守る。そのためなら、俺はどんな汚名だって着る覚悟だ」
ヒューは懐から、一通の分厚い羊皮紙を取り出し、俺の目の前に突きつけた。そこには、洞窟にいるほぼすべての人間の署名が、黒々と並んでいた。
「これは……直訴状、か?」
俺の手が、小さく震える。
「そうだ。俺たちの要求は二つ。一つ、これ以上の亜人の受け入れを即座に全面凍結すること。二つ、全権をオーエから俺たち人間の自治組織へと移譲すること」
「ヒュー、お前……組織を潰す気か!?」
後ろからバリスタが怒号を上げたが、ヒューは一歩も引かなかった。
「潰すんじゃない、正気に戻すんだ。純人の犯した「罪」は、純人だけで帝国に恭順でも何でもして、慈悲を乞う。それしか、俺たちの家族が生き残る道はねえんだよ」
ヒューはこちらを冷たく見据えたまま、直訴状をその場に叩きつけ、農民たちを引き連れて奥へと戻っていった。
外からは帝国の冷酷な包囲網がじわじわと迫り、内からは生き残るための「人間の防衛本能」が組織を真っ二つに引き裂こうとしている。
最悪のタイミングでの同時多発的な崩壊の予兆に、洞窟内は一触即発の冷戦状態へと突入していくのだった。
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