3:空の運び屋「有翼種」と、ささやきの集落
「……おい、フジワラ。本当にこの上に生きてる奴らがいるのか?」
バリスタが、大槌を杖代わりにしながら、切り立った断崖絶壁を見上げて顔をしかめた。
ノルズ山脈の東側。そこは、人間はおろかドワーフの頑丈な足でも登るのを躊躇わられるような、風の吹き荒れる険しい岩場だった。
「私のほうが先に登れちゃうもんねー!」
ミリィが、小柄な体を活かしてぴょんぴょんと岩を飛び跳ねていく。元気なのは良いことだが、一歩間違えれば真っ逆さまだ。俺はヒヤヒヤしながらその後ろを追った。
数時間の過酷な登山の末、俺たちはようやく、崖の窪みに作られた鳥の巣のような集落に辿り着いた。
そこが、空を駆ける民――ハルピュイアの隠れ里だった。
「……あれが、ハルピュイアか?」
俺は息を呑んだ。
以前目撃した、空を雄大に飛んでいた姿からは想像もつかないほど、集落にいる彼女たちは――そう、なぜか見かける全員が女性だったが――一様にげっそりと痩せ細り、地面に力なく座り込んでいた。
「うぅ……お腹すいた……」
「羽が、重くて、持ち上がらないわ……」
あちこちから、今にも消え入りそうな、蚊の鳴くような声が聞こえてくる。
「おいおい、深刻な病気か何かか? 伝染病だったらミリィが危ねえ!」
バリスタが慌ててミリィを背中に隠したが、俺は彼女たちの手元や、集落のあちこちに転がっている「食べカスの山」を見て、ピンとくるものがあった。転がっているのは、すべて山の木の実や、干からびた果物の皮だけだ。
「……ねえ、君たち。普段、何を食べてるの?」
俺が近くにいた、立派な青い羽を持つハルピュイアの少女に声をかけると、彼女は青白い顔のまま、限界まで細い声を絞り出した。
「(……私たちは、清らかな空の民……。木の実や果物など、森の恵みだけを……慎ましく食べて……生きているのです……)」
「「声が小せえええええええええ!?」」
俺とバリスタの声が綺麗にハモった。
耳を近づけないと本当に何も聞こえない。めちゃくちゃか細い声で、ささやくように喋るのだ。
「(……イル・ソンガの人間どもが、麓の果樹園から私たちを追い出したせいで……最近は、苦い木の実しかなくて……みんな、原因不明の呪いで、身体が動かないの……)」
「呪いじゃねえよ、ただの重度の『タンパク質不足』だ!」
俺は頭を抱えた。
ハルピュイアの身体構造は、大きな翼を動かすために、本来なら人間の数倍の筋肉とエネルギーが必要なはずだ。それなのに、清らかな民を気取って木の実や果物ばかり食べていたら、そりゃあ筋肉が自重に耐えられなくなって衰弱するに決まっている。
「バリスタ! 例の『あれ』持ってるだろ! 荷物から出してくれ!」
「あん? あれって……俺たちの非常食の、これか?」
バリスタが背嚢から取り出したのは、ドワーフ特製の『極厚・干し肉』だった。
独自のスパイスでカチカチに塩漬けされた、ドワーフの貴重な保存食であり、タンパク質の塊だ。
「それを彼女たちに! ミリィ、小さくちぎって、その子たちの口に入れてあげて!」
「うん、わかった!」
ミリィが「はい、あーんして!」と、青い羽の少女の口に干し肉の一片を放り込んだ。
少女は、怪訝な顔でモグモグと咀嚼を始める。
「(……っ!? な、なにこれ……。すごく、濃厚な、旨味が……)」
カチカチの干し肉から溢れ出す圧倒的な動物性タンパク質と脂質が、少女の飢えた胃袋にダイレクトに吸収されていく。
すると、どうだろう。
少女の瞳にみるみるうちに生気が戻り、だらりと垂れ下がっていた翼が、バサッ!と力強く持ち上がったではないか。
「(……満ちてくる……! 身体の奥から、ものすごいエネルギーが、湧き上がってくるわ……!!)」
「おお! 生き返りやがった!」バリスタが目を丸くする。
「よし、全員に配るんだ! 水と一緒に、よく噛んで食べるように伝えて!」
俺たちの指示で、ミリィが走り回り、ハルピュイアたちに次々と干し肉を配っていく。
「もぐもぐ」「ごくん」という音が集落中に響き渡り、数分後には、さっきまで死にそうだったハルピュイアたちが、全員シャキッと背筋を伸ばして立ち上がっていた。
「(……ああ、素晴らしいわ……。山の神様、ドワーフ様……)」
「(呪いが、一瞬で解けた……!)」
元気になったのは素晴らしい。素晴らしいのだが――。
「(……本当に、ありがとうございました……。この御恩は、一生忘れません……)」
「(私たちに、できることなら、何でも言ってください……)」
数十人のハルピュイアが一斉に感謝の言葉を述べているはずなのに、集落全体が「フシュー……ッ」という巨大な吐息のような、超極小のささやき声に包まれている。全員が全力の感謝を「か細い声」で伝えてくるので、シュールすぎて俺の耳がおかしくなりそうだった。
「……あの、みなさん。声が小さいので、とりあえず一人ずつ喋ってもらえますか?」
俺が苦笑しながら歩み出ると、集落の長らしき、ひときわ大きな翼を持つ女性が、俺の耳元にそっと顔を寄せ、蚊の鳴くような声でささやいた。
「(……私が、ハルピュイアの長です。……あなた方を、私たちの命の恩人として、歓迎します。……して、空の民に、何を望まれますか……?)」
俺はバリスタと視線を合わせ、不敵に微笑んだ。
偏食による虚弱というハルピュイア最大のボトルネックを、ドワーフの干し肉(タンパク質)で完全攻略した瞬間だった。
「俺たちの仲間に加わってほしい。君たちのその翼で、俺たちの『紙』を、世界の果てまで運んでほしいんだ」
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