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1:膨れ上がる需要と「流通の壁」

「おい、フジワラ! 頼むからこれ以上、紙の注文書を俺の前に積むのはやめてくれ!」


バリスタが、真っ黒な煤と油にまみれた太い腕を振り回しながら、これまた野太い悲鳴のような声を上げた。

ノルズ山脈の隠れ洞窟。かつては冷たい風が吹き抜けるだけだったこの場所に、今は複数の大釜から立ち上る熱気と、植物の繊維を叩くリズミカルな音が満ちている。コープ(生産協同組合)が誇る、世界初の近代的な製紙プラントだ。


「そう言われてもさ、バリスタ。これ、全部『先払い』の金貨が化けた注文書なんだよ。帝国の役所だけじゃなく、魔導学園の事務方からも『追加で五十連、いや百連よこせ』って、裏注文が届いてるんだ」


俺は苦笑しながら、手元に積み上がった植物繊維製のノート――俺たちが開発した『紙』の束をぽんぽんと叩いた。


あの『ノルズの夜明け』から数ヶ月。

俺たちがばら撒いた「安価で大量生産可能な紙」と「消えない油性インク」の感染性は、イル・ソンガ帝国の官僚機構を完全に侵略しつつあった。

一度でもこの便利さを知った役人たちは、もう重くてかさばる羊皮紙や、割れやすい粘土板の生活には戻れない。帳簿のデジタル化ならぬ「ペーパー化」だ。帝国のインフラが、俺たちの生産する紙に依存し始めていた。


おかげで、コープのフトコロは潤いまくっている。

エルフのセクレタリアたちが管理する『市民登録名簿』のノートには、毎日、新しく組合に加わった人間の農民や亜人の名前が増え続けていた。みんな、倍の日給と「一票の権利」に目を輝かせている。


普通なら、ここで「めでたしめでたし、大儲けでハッピーエンド」となるところだが――現実はそう甘くなかった。


「物を作るのはいい。ドワーフの馬力と、エルフの器用さ、農民どもの熱意がありゃあ、生産ラインの拡大なんざいくらでもやってやる」

バリスタは顔の汗をぬぐい、洞窟の奥に積まれた未出荷の紙の山を忌々しげに指差した。

「だがな、フジワラ。作ったところで、それを『運ぶ手段』がなけりゃ、ただのよく燃えるゴミ山だぞ」


その言葉に、俺は声を詰まらせた。

そうなのだ。俺たちは今、致命的な「流通の壁」にぶち当たっていた。


このノルズ山脈から帝国の平野部へと続くルートは、実質的に南側の下山路、ただ一つしかない。

これまでは帝国の目を盗み、農民の肥やし袋の底に隠したり、夜間にエルフの隠密技能を使って少しずつ運び出していた。だが、注文の規模が「数十連」から「数千連」の単位になった今、そんなその場をしのぐような密輸では完全にパンクしてしまう。


しかも、南の下山ルートには帝国の息がかかった関所がいくつもある。最近、大量の紙が出回っていることを不審に思った地方領主の動きが、目に見えて慌ただしくなっているという報告もあった。


「……完全に、ボトルネックだな」


現代日本にいた頃、聞きかじった言葉が口をついて出る。どれだけ製造ラインを最適化しても、物流が死んでいれば組織は潰れると聞いた事がある。それは異世界でもまったく同じだった。


「その通りだ、フジワラ。お前が時折口にするその『ぼとるねっく』とやらは、まさに今の我がコープの首を絞めつつある」


洞窟の入り口から、凛とした、しかしどこか楽しげな声が響いた。

振り返ると、エルフの刺繡で見栄えだけはいい麻の外套を羽織った青年が、優雅な足取りでこちらに歩いてくるところだった。


亡国の第三王子であり、このコープの絶対的なシンボル――オーエだ。

その整った顔立ちと、周囲を惹きつける圧倒的なオーラは相変わらずだが、足元を見ると、思いっきり荷車のリヤカーに躓きかけて「おっとっと」と不恰好にバランスを崩している。相変わらず、運動神経はゼロのポンコツ王子だ。


「おい、大丈夫か、オーエ」

「ふん、神聖なる大地の引力が私を試しただけにすぎん。それより会議を始めるぞ、フジワラ、バリスタ。セクレタリアたちも集まっている。我が組織の未来を決める、極めて重大な物流戦略の会議だ」


オーエはすぐに何事もなかったかのように胸を張り、不敵な笑みを浮かべた。その瞳の奥には、すでに次なる『計略』の算段がギラギラと輝いていた。



---



「現状の陸路による輸送は、これ以上拡大すれば確実にイル・ソンガの犬どもに尻尾を掴まれる。否、すでに掴まれかけていると見るべきだな」


洞窟の最奥に置かれた、即席の円卓。

集まった種族の代表たちを前に、私は地図を広げて現状を告げた。

エルフのセクレタリアが神妙な顔で頷き、ドワーフのバリスタが腕組みをして鼻を鳴らす。


「帝国軍の地方駐留部隊が、南の街道での検問を強化しています」とセクレタリアが書類をめくった。「特に『白い薄型の資材』に対する警戒レベルが上がっているようです。このままでは、次の大口発注分の出荷は不可能です」


「ならば話は単純だ」

私は机の上の地図を、指先でコンコンと叩いた。

「陸が駄目なら、空と海を使えばいい」


私の言葉に、円卓の空気が凍りついた。フジワラだけが「やっぱりそこに行くか……」というような顔で、隣にいるミニマム・ドラゴンの頭を撫でている。


「馬鹿を言え、オーエ!」

バリスタが机を叩いた。

「このノルズ山脈の東は、まともな船も近づけねえ岩礁だらけの断崖絶壁だ。西は西で、入り組んだ入り江だらけで、帝国の正規海軍ですら座礁を恐れて近づかねえ、密輸船の墓場だぞ!」


「だからこそ、だ」

私は不敵に微笑んだ。

「帝国軍の戦艦すら近づけない天然の険路。そこを完全にコントロールできる『専門家』を、我がコープの『市民』として迎え入れる。これ以上の安全ルートがどこにある?」


私は地図の東側、断崖絶壁のエリアに駒を置いた。

「東の崖には、さきほどフジワラがマヌケな顔で見上げていた、空を駆ける民――ハルピュイアが住んでいる」


次に、西側の複雑な入り江のエリアに別の駒を置く。

「西の海には、その歌声で航海者を狂わせるという、海の覇者――セイレーンが根城を構えている」


「ハルピュイアに、セイレーン……!」

セクレタリアが息を呑んだ。

「どちらも帝国からは『まつろわぬ亜人』として、徹底的な経済差別と分断統治を受けている種族です。ですが、あの気性の荒い彼らが、そう簡単に人間の、それも元王族の言うことなど聞くでしょうか?」


「聞かせるのではない。彼ら自身の利益のために、自らコープの門を叩かせるのだ」

私はフジワラを見た。

「ハルピュイアの集落は、身体の構造上の問題か、集落全体が深刻な病弱と困窮に喘いでいるという情報を掴んでいる。物資を帝国に買い叩かれ、飢え死に寸前だそうだ。フジワラ、お前のあの奇妙な『現代知識』とやらで、彼らの病を救うことはできるか?」


フジワラは少し考え、顎に手を当てた。

「……身体のバランスが悪くて病弱、か。もしかしたら、極端な偏食による栄養失調とか、衛生環境の悪化による感染症かもしれないな。実際に行ってみて状況を見れば、改善の提案はできると思う。俺の『テイム』は人間には効かないけど、彼女たちの信頼を得るための足がかりくらいにはなれるはずだ」


「よし。ならば東のハルピュイアはフジワラ、お前に一任する。そのお人好しな面と、泥臭い知識で、空の民を我らの翼とせよ」


「了解。任せてよ。……ってことは、西のセイレーンは?」

フジワラが訊ねてくる。


私は外套を翻し、不敵に顎を上げた。

「歌で男を惑わす海の魔女、か。面白い。この私のカリスマと気品、そして『経済的利害の一致』をもってすれば、彼女たちのプライドなど容易に解きほぐしてみせよう。西の海路は、この私が直々に落としてみせる」


陸路が封鎖されつつある今、この「空」と「海」の同時攻略こそが、コープが次のステージへ進むための絶対条件。

帝国という巨大な独裁国家の裏をかき、全方位の侵食を完了させるための、別道二方向の電撃作戦が、今ここに決定した。


「よし、各自、直ちに準備に取りかかれ! これより我が組織は、空と海を掌握する!」


私の号令に、円卓の全員が力強く拳を突き上げた。これがいずれ、帝国の度肝を抜く「三権分立」への大転換と、空海同時突破の奇跡へ繋がるとは、この時はまだ、誰も知る由がなかったのである。


感想いただけると狂喜乱舞しますので感想くださいください

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