9:需要過剰と、心の首輪
あの泥臭い「洞窟生活基本法」の制定から、一ヶ月。
俺たちの計画は、天才オーエの悪魔的な戦略によって、文字通り跳ねるように軌道に乗っていた。
バリスタたちドワーフが鍛造した巨大な木材圧搾機と極細の金属網。これによって洞窟の奥に完成した「製紙プラント」は、二十四時間体制で真っ白な『紙』を生み出し続けた。
俺の教えた煤と植物油のインクを添えて、人間の街の強欲な大商人に独占販売権を餌に持ち込んだところ、結果は歴史的な大爆売れ。
「軽くて、安くて、何百枚も束ねられる未知の記録媒体」は、帝国の末端役所や学者の間で麻薬のように広まり、今や市場に出せば一瞬で買い叩かれるチートインフラと化していた。
その結果、我が拠点に起きた変化は凄まじい。
自給自足の貧しいサバイバル生活は一変し、ロンダリングされた帝国の金貨と銀貨が毎日バケツにひっくり返したような音を立てて舞い込んできた。ドワーフたちは念願の上質な麦酒と山盛りの肉にありつき、エルフの少女たちはボロ布を捨てて綺麗な麻の衣服を身に纏っている。経済の力は、種族の壁をあっさりと解決しつつあった。
――だが。どんな完璧なシステムにも、必ず「成長の限界」が訪れる。
「木材が、全く足りん」
拠点の机に、バサリと未処理の注文書を叩きつけたのはオーエだった。
「エルフの少女たち五人が、隠密の隙を突いて山から切り出してくる薪の量では、もはや押し寄せる帝国の『紙中毒者』どもの需要に追いつかん。バリスタのプラントは、原材料の不足で一日に三時間は稼働を止めている状態だ」
「うーん、職人たちをこれ以上遊ばせておくのは損失だよね」
俺は相棒のミニマム・ドラゴンに干し肉を千切り分けながら顎を擦った。
「エルフだけで無理なら、外の労働力を頼るしかない。……ノルズ山脈の麓にある、人間の開拓村。あそこの農民たちに、木材の切り出しと搬送を『外注』しよう」
「いいだろう。理想を語る前に、まずは奴らに我々の圧倒的な資本を見せつけてやる。セクレタリア、案内しろ」
「は、はい、市民オーエ。……ですが、本当に私が行ってもよろしいのですか?」
セクレタリアが不安そうに、自身の尖った長い耳を触った。
ドワーフの職人たちは「俺たちは鉄を叩くので忙しい! 泥まみれの農民との話し合いなんか王子たちに任せるわ!」と炉に戻ってしまったため、交渉役は俺とオーエ、そしてエルフ代表のセクレタリアの三人だ。
「当然だ。貴様は我々の生活共同組合の立派な『構成員(市民)』だろう。怯むな」
オーエの傲慢なまでの力強い言葉に背を押され、俺たちは夜闇に紛れて山を降り、麓の開拓村へと向かった。
薄暗い松明の光に照らされた、人間の農民たちの集落。
帝国の過酷な重税に喘いでいるというその村は、ひどく荒廃し、家々の壁は泥で汚れていた。村の広場に、俺たちの突然の訪問を受けて集まってきた二十人ほどの農民と、白髪の村長が姿を現す。
だが――彼らの視線が、オーエの隣に立つセクレタリアに注がれた瞬間。
広場の空気が、凍りつくような「拒絶」へと一変した。
「……エ、エルフ!? 亜人の化け物が、何故人間の村にいる!」
「ひっ、呪われるぞ! 帝国に知られたら、村ごと皆殺しだ!」
農民たちが怯え、怒り、手に持った鍬や木を削るナイフをセクレタリアへと向けた。
セクレタリアは悲しそうに目を伏せ、一歩、俺の背後へと身を隠す。
「控えよ、無礼者ども」
オーエが一歩前に出て、その鋭い眼光だけで農民たちの声をピタリと黙らせた。元王族の持つ圧倒的な覇気は、ボロを纏っていても隠せない。
「私はオーエ。このノルズ山脈に拠点を置く、新たな共同体の代表だ。今日は貴様ら平民に、極めて実利的な『商談』を持ってきた。山から木を切り出し、我々の指定する場所まで運んでほしい。もちろん、タダでとは言わん」
オーエは懐から、ずっしりと重い本物の『帝国金貨』が詰まった袋を取り出し、わざとジャラジャラと音を立てて見せつけた。
貧しい農民たちの目が、一瞬にして貪欲にギラリと光る。彼らが何年かかっても拝めないほどの額だ。
だが、村長である老人は、その金貨を、そしてセクレタリアを交互に見つめ、怯えを含んだ声で首を振った。
「……お断りだ。そんな忌々しい亜人の化け物と手を組むなど、帝国の法に反する。我々は貧しくとも、偉大なる光の帝国の一級市民……純人だ! 汚れ多き亜人の奴隷どもと関われば、魂が汚れる!」
「そうだ! 亜人の分際で、人間に指図するな! 山へ帰れ、化け物め!」
一人の農民が、地面の泥をすくい、セクレタリアに向けて投げつけた。
ベチャリ、と彼女の綺麗な麻の衣服に、黒い泥が飛び散る。
(――あ。)
俺は冷や汗が止まらなくなった。
彼らは、帝国の過酷な税に苦しめられ、明日餓死してもおかしくないほど搾取されている被害者のはずだ。なのに、自分たちよりさらに下の身分と規定されている亜人を見下すことで、辛うじて自分のプライドを保っている。
「私たちは高貴な純人、あいつらは卑しい亜人」
帝国が数百年かけて刷り込んできた、支配のための『心の首輪』。彼らは、その首輪に自らしがみつき、差し伸べられた救いの手を、人種偏見という名の感情で叩き落とそうとしていた。
「……クク。アハハハハハ!」
静まり返る広場に、オーエの、あの脳みそを直接引っ掻くような「狂気の笑い」が響き渡った。
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