7:数の暴力、法の防壁
「法律だと……? おい王子、お前はまた俺たちの上に新しい『王』でも据えようってのか!」
バリスタが太い腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。ドワーフたちの間にも、警戒と反発のざわめきが広がる。せっかく帝国の軛を脱して自由になったのだ。誰もが、これ以上自分を縛る新しい支配者など求めていなかった。
「勘違いするな、バリスタ」
オーエは嘲笑うように口元を吊り上げた。
「法とは、貴様らの上に君臨する王ではない。王も、亜人も、数が多い者も、少ない者も、この洞窟にいる全員がひれ伏し、従わねばならない『絶対的なルール』のことだ。これがあれば、例えドワーフが五十人、エルフが五人だろうと、数の多さで理不尽を押し通すことはできなくなる」
「……そんな都合のいいものが、本当にあるのですか?」
セクレタリアが、涙の滲む目でオーエを見上げた。
オーエは頷く代わりに、背後で冷や汗を流していた俺――フジワラを振り返り、顎でクイと促した。
(うわ、ここで俺に振るわけね……!)
俺は一歩前に出て、ドワーフとエルフ、双方の視線を浴びながら喉を鳴らした。ここで現代の知恵をどう噛み砕いて伝えるか、頭をフル回転させる。
「ええと、みんな。今のやり方だと、何を決めるにもドワーフの挙手多数で決まっちゃうよね。これを俺の世界では『多数決の罠』、あるいは『数の暴力』って呼ぶんだ。そこで提案なんだけど……ルールの【決め方】そのものを、根本から変えないか?」
「決め方を変える? どうやってだよ」
バリスタが怪訝そうに眉をひそめる。
「これからは、何か新しいルールを決めたり変えたりする時、全員まとめて一斉に多数決を取るのをやめる。代わりに、『ドワーフ全員の多数決』と、『エルフ全員の多数決』の二つに分けるんだ。そして、両方のグループで『過半数の賛成』が出ない限り、そのルールは絶対に成立しないことにする」
「な……ッ!?」
セクレタリアが弾かれたように目を見開いた。
「待て待て! それじゃあ、俺たち五十人が『こうしたい』って言っても、エルフの姉ちゃんたち五人が『嫌だ』って言ったら、何も決められねえってことか!?」
「そう、その通り。ドワーフ側の決定を、エルフ側が突っぱねられる拒否権(あるいは両種族の協議会のような調整の場)を持つ。数が少なくても、エルフの尊厳と意見は百パーセント守られる。これが、俺の世界の国が『数の暴力』を防ぐために使っている『二院制(種族別議会)』の知恵だ」
ドワーフたちが一斉にざわついた。さすがに「不公平だ」と声が上がりかけるが、オーエがその声を鋭い眼光でねじ伏せる。
「不満か、バリスタ。だが、これが『対等』ということだ。数が多いからと傲慢にならず、数が少ないからと怯えずに済む。この決め方そのものを、我々の揺るぎない土台(憲法)とする。……その上でだ。まずは、この最悪な共同生活を今すぐ解決するための、三つの『洞窟生活基本法』をここに提案する」
オーエはノートを開き、凛とした声で紡ぎ出した。
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【洞窟生活基本法】
第一条:【生存権と静謐権の保障】
「すべての市民は、夜間の静穏と、安全な睡眠を保障される。これを侵す騒音や嫌がらせは、数の多寡に関わらず法への反逆とみなす」
実利: ドワーフが夜遅くに酒を飲んで大騒ぎすることは、今後「法律違反」として一発で罰則の対象になる。
第二条:【労働の対価と基盤優先権】
「すべての市民は、その労働に見合った資源(飯・物資)を優先的に分配される。また、重労働を行う者は、その業務に支障が出ない居住区(風に晒されず、また炉に近い場所)を優先して割り当てられる」
実利: エルフ側も「ドワーフが一生懸命働いて生活基盤を作ってくれているんだから、それ相応の飯と、体力を回復できる寝床を譲るべきだ」と納得せざるを得なくなる。
第三条:【不法行為の罰則:労働刑】
「もしこの法を破った者は、王や誰か一人が裁くのではない。両種族から選ばれた『裁判官』が法に基づいて裁く。罰は死刑や鞭打ちではなく、『拠点の全員分の飯炊き・便所掃除を一週間(公共奉仕)』とする」
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「げ、全員分の便所掃除ぃ!?」
バリスタが本気で嫌そうな顔をした。死刑や拷問なら「ドワーフの戦士として誇り高く耐えてやる」とイキがれただろうが、まさか「一週間、エルフの分の便所まで掃除する」という、あまりにもリアルで地味で、死ぬほど面倒くさいペナルティが飛んでくるとは思わなかったのだろう。
「……これなら」
セクレタリアが、そっと胸に手を当てて呟いた。
第一条で自分たちの尊厳が守られ、第二条でドワーフの貢献度も認められている。そして第三条の罰則は、ただの報復ではなく、義務を怠った者に共同体への奉仕を強いる極めて合理的なものだ。
「……私たちは、この三つの法に、賛成です」
セクレタリアが代表して手を挙げた。後ろのエルフ四人も、深く頷いて後に続く。
視線が、ドワーフの頭領であるバリスタに集まった。バリスタは頭をガリガリと掻きむしり、大きなため息をつくと、不敵な笑みを浮かべて太い右手を挙げた。
「チッ、しゃあねえ! 便所掃除だけは御免だからな! ……お前達、異論はねえな!?」
「「おう!!」」
五十人のドワーフが一斉に手を挙げる。
エルフ議会で五票の賛成、ドワーフ議会で五十票の賛成。
異なる二つの意思が、初めて綺麗に噛み合った瞬間だった。
「よし、合議は成立だ!」
バリスタが拳を突き出し、叫んだ。
「おいフジワラ! だったらこの法律ってやつを、全員がいつでも確認して、絶対に破らねえように、早くあの『かみ』と『インク』で書き出さなきゃならねえな! 形に残さねえと、ドワーフはすぐ忘れる!」
「――ああ、その通りだ。口約束の時代は終わった」
オーエがノートを掲げ、不敵に微笑む。
文字に書き起こされ、誰もがいつでも確認できるルール。それこそが、人類の歴史が証明した、独裁を防ぐための最強の盾――【成文法(文字に書かれた法律)】の誕生だった。
だが、俺たちの手元には、まだあの『紙』の試作品が一枚あるだけ。そして、これを全員分書き写し、共有するための『インク』すら、この過酷な洞窟には存在していなかった。
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