6:同じ穴に
「――おい人間、肉が足りねえぞ! ドワーフの身体を維持するには、エルフが摘んできたようなそこらの草むしりの成果だけじゃ足りねえんだよ!」
「なんですって!? これだから地べたを這い回る炭まみれの野蛮人は! 私たちはただでさえ、あなたたち五十人分の膨大な胃袋を満たすために、夜明け前からノルズ山脈の危険な原生林を駆け回っているのですよ!」
深夜の洞窟拠点は、今や百戦錬磨の戦場さながらの怒号に包まれていた。
帝国の兵器工場からドワーフたちを鮮やかに解放し、生活共同組合の結成を華々しく宣言したのが、わずか三日前。
感動的な和解の夜が明けた後に待っていたのは、ひとつの狭い洞窟で寝食を共にするという、あまりにもリアルで最悪な「生活習慣の不一致」だった。
「……なあ、オーエ。俺たち、ちょっと調子に乗りすぎたかな」
俺――フジワラは、隅っこで相棒のミニマム・ドラゴンを抱きしめながら、頭を抱えていた。
中央の焚き火を挟んで、セクレタリア率いるエルフの少女五人と、バリスタを筆頭とする筋肉ダルマのドワーフ五十人が、完全に一触即発のメンチを切り合っている。
「何を言うかフジワラ。これもまた、異なる個がぶつかり合う、極めて健康的で民主的な構造の一部だ」
オーエはというと、服の泥を優雅に払いながら、どこからか調達してきた干し肉を齧っている。相変わらずこの男の心臓は毛が生えているどころの騒ぎではない。
「健康的なわけあるかよ! ほら、また始まったぞ!」
ドワーフの側から、バリスタが髭を震わせて前に出た。
「いいか、気取ったエルフの姉ちゃんよ! 俺たちは一日中、お前たちがこれから使うための、木をすり潰す圧搾機や金属網を鍛造してんだ! 汗もかけば、煤だってつく! それを『臭い』だの『こっちに寄るな』だの、職人に対する『りすぺくと』が足りねえんじゃねえか!?」
「リスペクトの問題ではありません! あなたたちが夜遅くまで強い酒を煽り、大声で下品な歌を歌うから、私たちはまともに瞑想も睡眠もできないと言っているのです! だいたい、洞窟内の居住区の割り振りだって、おかしいでしょう!」
セクレタリアが、怒りで尖った耳を震わせながら、地面の区画割りを指差した。
「私たちは五人、あなたたちは五十人。だからと言って、洞窟の一番奥の、風に晒されない一番広い場所をドワーフが独占するのは横暴です!」
「はぁ!? 何が横暴だ、これはお前らが言った『みんなの合議』とやらで決めた結果だろうが!」
バリスタがガハハと不敵に笑い、後ろのドワーフたちを親指で指した。
「昨日、どっちが奥の広い区画を使うか、全員の挙手で決めたよなぁ!? 結果は『奥をドワーフが使う』に五十票!『エルフが使う』に五票! 圧倒的多数で俺たちの勝ちだ! おい王子、お前が言ったんだぞ? 『数が多い方の意見が、みんなの決定になる』ってよぉ!」
「う……っ」
セクレタリアが悔しさに唇を噛み締め、大粒の涙をその目に浮かべた。
種族としての身体の大きさも、数も、圧倒的に違う。エルフたちは、オーエの説いた「一人が一票を持つ対等な世界」を信じて名前をノートに刻んだはずだった。なのに、いざ蓋を開けてみれば、その美しい理想のシステム自体が、数の暴力によって自分たちを合法的に虐げる最悪の道具に化けていたのだ。
「……オーエ。これ、民主主義の弱点だ」
俺はオーエの耳元で、冷や汗を流しながらボソッと呟いた。
俺の世界の歴史でも何度も起きた、最悪の現象。
――『多数決の罠(多数派による専制)』。
数さえ集めれば、少数派の権利を合法的に踏みにじり、どんな理不尽なルールでも正当化できてしまう。これが、王という絶対的な重石を排除した後に現れる、民主主義の最初の化け物だった。
「……なるほどな」
オーエの青い瞳から、一瞬にして退屈そうな色が消え去った。
彼はゆっくりと立ち上がると、焚き火の前に歩み出て、両手を広げた。その立ち姿一つで、洞窟内の騒音がピタリと止まる。
「バリスタ。貴様たちは、数が多いからという理由だけで、エルフたちの睡眠と生存の権利を奪う決定を下したのだな?」
「おうよ。多数決ってのは、そういうもんだろ? 数の多い方の勝ちだ」
「クク、愚か者が。そんなものは『合議』でも何でもない。ただの、数に物を言わせた野蛮な暴力だ」
オーエの冷徹な一言に、ドワーフたちが一斉に色めき立った。バリスタの目にも、不穏な火が灯る。
「ああん? てめえ、俺たちを愚弄するか、王子」
「事実を言ったまでだ。いいか、ドワーフの戦士たちよ。もし、数の多さだけで全てが決まるのが正しいというのなら、この世界で最も数が多いのは人間の帝国だ。貴様らが帝国に捕らえられ、奴隷として搾取されていたのも、単に『帝国の数と武力が、貴様らより多かったから』という理由で完全に正当化される。貴様らは、自分たちがされて一番嫌だった『数の暴力』を、今度は自分たちが多数派になった途端、嬉々として隣人に振るっているのだ。……その醜態を、愚かと言わずして何と言う」
「なっ……!」
バリスタが息を呑み、言葉を失った。後ろのドワーフたちも、バツが悪そうに互いを見合わせる。
「数が多い方が勝つだけの世界なら、王や皇帝がいる時代と何も変わらん。ただ支配者が『一人の王』から『多数派という集団』に変わっただけだ。私が作りたいのは、そんな底の浅い野蛮な社会ではない」
オーエは懐から、あの『羊皮紙のノート』を厳かに取り出し、全員に見えるように高く掲げた。
「真の市民の連帯(民主主義)とは、多数派の都合でルールを書き換えることではない。多数派であれ、少数派であれ、王であれ、亜人であれ……誰もが絶対に侵してはならない『絶対的な境界線』をあらかじめ定め、全員がそれに等しく従うこと。すなわち――〈法〉による統治だ」
オーエの灼けるような演説が、静まり返った洞窟に響き渡る。
「数で勝ったからと、他者の生存を脅かすルールは作れない。何故なら、それは万民の権利を守るための〈基本法〉に違反するからだ。……バリスタ、そしてセクレタリア。互いの感情で殴り合うのは終わりだ。これより、我々全員が等しく縛られ、等しく守られる、この国最初の『法律』を制定する合議を始めるぞ!」
「法律、ですか……?」
セクレタリアが呆然と呟く。
感情的な内ゲバと多数決の暴走を前にして、亡国の王子オーエは、一人の絶対的な審判として彼らを裁く道を選ばなかった。代わりに彼が提示したのは、誰もが従うべき客観的なルール――『法治国家』という名の、さらに強固な民主主義の土台だった。
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