5:鉄のストライキ
「――よし。人質が安全な場所に確保されたら、俺のミニマム・ドラゴンに坑道の天井で小さな火花を散らさせる。それが作戦開始の合図だ」
工場の物陰に身を潜めながら、俺――フジワラは相棒の小さなトカゲの頭を撫で、セクレタリアと視線を交わした。
バリスタの孫娘が囚われているのは鍛冶場のすぐ裏手にある、頑丈な石造りの監獄。警備の兵は二人だ。
「分かりました、市民フジワラ。……オーエ様、いえ、市民オーエ。お気をつけて」
「クク、私の心配など不要だ。行くぞ、凡人ども。帝国の誇る『完璧な管理』とやらに、最初の大きな爆弾を仕掛けてやろう」
オーエが不敵に微笑み、あえて足音を響かせながら、役人の詰所がある方向へと歩き出す。
数分後。案の定、通路の奥から「何だお前は!」「不審者だ、捕らえろ!」という帝国兵の怒号と、それに負けないオーエの「無礼者、私は市民オーエだ!」という過剰に堂々として、口のよく回った演説が聞こえ始めた。
「今だ!」
警備の兵たちがオーエの声に気を取られた一瞬の隙を突き、セクレタリアが風のように陰を駆け抜けた。エルフの隠密技術は文字通り一級品で、見張りの兵二人の背後に音もなく忍び寄ると、その首筋に手鏡の柄を正確に叩き込み、一言も発させずに気絶させる。
「フジワラ様、鍵を!」
「おう! 」
俺は走り込み、倒れた兵の腰からジャラリと鉄の鍵束を掠め取った。預かった鍵を鍵穴に差し込み、勢いよく扉を開ける。
監獄の奥には怯えた様子で身を縮めている、ドワーフの少女の姿があった。
「迎えに来たよ。じいちゃんが待ってる」
俺が優しく手を差し伸べると、少女はハッとしたように目を見開き、俺の手に飛び込んできた。セクレタリアが素早く少女を抱き上げ、脱出用の排熱坑道へと滑り込む。
俺は坑道の天井を見上げ、相棒に合図を送った。
バチバチッ! と、暗がりに青白い火花が激しく弾ける。
――その瞬間、鍛冶場でじっと待機していたバリスタが、ニヤリと鉄のような笑みを浮かべた。
「おい、野郎どもッ!! 道具を置けえええええ!!」
バリスタの地鳴りのような怒声が、熱気渦巻く鍛冶場に響き渡った。
その場にいた五十人のドワーフの職人たちが、一斉に動きを止める。彼らは一言も発さず、示し合わせたように巨大な送風機の固定を外し、炉の空気穴を完全に塞いだ。さらに、燃え盛るコークスに大量の泥水を容赦なくぶちまける。
ジュウウウウウウウウウウウウッ!!!
凄まじい異音とともに、鍛冶場に一瞬で真っ黒な燻りが爆発的に広がった。不完全燃焼を起こした煙が排気口から逆流し、視界を完全にゼロに染め上げていく。
「な、何事だ!?」「おい、何をやっている、ドワーフども!」
異変に気付いた帝国兵たちが、鞭を鳴らしながら煙の中に飛び込んできた。
「早く火をつけ直せ! 手を動かさぬか! さもなくば人質の命が――」
「ケッ、誰の命だって?」
煙の奥から、バリスタが巨大な鍛冶槌を肩に担ぎ、冷ややかな声を響かせた。
「悪いな、帝国の犬ども。俺たちの『人質』は、たった今、解放されちまったんだよ。ドワーフを脅す材料がなくなった以上、俺たちがこれ以上、貴様らのために鉄を叩く理由はどこにもねえ」
「な、何だと……!? 貴様ら、謀反を起こす気か! 武器を手に取って戦おうというのか!」
「戦う? ハッ、そんな面倒なことするかよ。俺たちはな……ただ、今日この瞬間から『働くのをやめる』だけだ」
暴動でも、戦闘でもない。
ドワーフたちが選択したのは、フジワラとオーエから提示された近代的な対抗手段――『労働ストライキ』だった。
武器を作れる職人が、自らの意志で技術の提供を完全に拒否する。それは、武力で制圧することしか知らない帝国にとって、最も対処の手がない「機能不全」という名のテロだった。
「う、撃て! 働かない奴は処刑だ!」
「勝手に殺せばいい。だがな、俺たちを一人殺せば、帝国の前線に届く剣が千本減るぞ? 俺たちの一族を全員殺して、誰がその業火の炉を管理できると思ってやがる」
バリスタの堂々たる脅しに帝国兵たちは完全に気圧され、鞭を持つ指を震わせた。技術を独占している労働者側の、これが圧倒的な強みだった。
大混乱に陥る煙の中、バリスタは職人たちに手招きをし、俺たちが待つ排熱坑道へと迷いなく飛び込んできた。
「待たせたな、小僧ども! 約束通り、人質ごと『帝国の生産力』をへし折ってきてやったぞ!」
「最高だ、バリスタの爺さん! みんな、こっちだ!」
俺たちはドワーフたちを引き連れ、暗い山脈の地下道を一気に駆け抜けた。
背後では、完全に火の消えた帝国の兵器工場が、冷たい煙を吐き出しながら沈黙していくのが見えた。
安全な洞窟へと戻り、セクレタリアに抱えられた孫娘と再会したバリスタは、彼女を痛いほど強く抱きしめた後、俺の前にドカリと腰掛けた。
「よし……。約束は果たす。その、誰の所有物でもない証明書ってやつを出しな」
俺は懐から、すっかり名前の薄れてしまった『羊皮紙のノート』を広げた。
バリスタは炭のペンを受け取ると、太い指で不器用に、だが力強く己の名を刻んだ。
『バリスタ』
そして、炭に汚れた親指で、羊皮紙が破れんばかりの勢いのまま、鉄のように固い印をその横に押し付けた。
「おい、小僧、それとそこの小綺麗な王子。俺はもう、誰の命令も聞かん。だが、このノートの契約には乗ってやる。……まずは、このすぐ擦れて消えちまう情けねえ名前どもを、永久に定着させる『インク』の開発だ。それから、さっき言ってた植物をすり潰して作る『かみ』ってやつだな。おいフジワラ、今すぐ俺にその原理をもう一度詳しく吐き出しやがれ!」
「うわ、分かった、分かったから引っ張るなって!」
バリスタに胸ぐらを揺さぶられながら、俺は苦笑した。
横では、オーエが「クク、ハハハハ!」と、世界を塗り替える基盤が手に入る未来を幻視して、また怪しく笑っている。
帰る場所を失ったエルフと、檻を捨てたドワーフ。
対等な市民となった二つの種族が、一冊のノートの上で、今、完全に結びついたのだった。
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