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4:未知なる技術、紙の系譜

セクレタリアたちの完璧な手引きにより、俺たちは帝国の目を盗んで工場の最深部へと繋がる排熱坑道に潜り込めた。

深夜の鍛冶場。昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったその場所で、一人の老人が、鈍く光る炉の前に座り込んでいた。低くがっしりとした体躯に見事な白髭。彼こそが、この工場のドワーフたちを統率する名工――バリスタだった。


「……誰だ。人間の役人の見回りはもう終わったはずだがな」


バリスタは煤に汚れた顔を上げ、俺たちを鋭く睨みつけた。

オーエが一歩前に出ようとした、その時だ。


「あ、あれ……? うわ、マジか、最悪だ……」


俺――フジワラは、これからの作戦記録や名簿を確認しようと、懐から院長先生の『羊皮紙のノート』を取り出して、思わず頭を抱えた。

ついさっき、洞窟でエルフたちが涙を流しながらギュッと押してくれた黒い指印や、俺が炭のペンで苦労して書いた名前が、互いに擦れ合って見る影もなくぼやけていたのだ。


「どうした、フジワラ。緊迫した潜入の最中に間抜けた声を出すな」


「いや、だってさ……。ツルツルした羊皮紙に炭のペンで書くのって、相性最悪なんだよ。炭の粉が乗っかってるだけだから、ノートを閉じて歩いてるうちに、擦れて全部薄くなっちまう。……やっぱ、こういうのはインクでなきゃ書けないかあ。それか、インクをしっかり吸い込んで定着させてくれる、ちゃんとした『紙』がいるか……。ああ、そうだった、この世界にはないんだっけ、紙……」


俺がノートのページを指でこすりながら、心底がっかりしてボソッと呟いた、その瞬間。

それまで死んだ魚のような目で炉を見つめていたバリスタの眉が、ピクリと跳ね上がった。


「……おい、小僧。今、なんと言った」


バリスタが地を傷つけるような低い声で、じりじりと俺に詰め寄ってくる。


「え? あ、いや……紙が、ないなあって……」


「その前だ! インクを吸い込ませるだと!? 動物の皮をなめした羊皮紙以外に、文字を定着させる『かみ』という画期的な媒体が、お前の故郷にはあるというのか!?」


「う、うん。まあ、俺の世界じゃそこら中に転がってるっていうか……。俺は詳しい作り方なんて知らないけどさ、確か、木とかの植物を細かくすり潰して、ドロドロにふやかして……それを細かい網の上ですくい上げて、薄く伸ばして乾かすだけ、だった気がする。そうすれば、羊皮紙みたいに分厚くて重い皮じゃなくても、軽くて、安くて、何千枚も何万枚も大量に作れるんだよ」


「――植物の、繊維を、絡み合わせるだと……!?」


バリスタの目の色が変わった。それは完全に、未知の技術を前にした『狂った職人』の目だった。

バリスタはガシガシと自分の白髭をむしり取るような勢いで掻きむしり、炉の周りをウロウロと猛烈な速度で往復し始めた。


「な、なるほど……! 皮をなめすのは動物の命が必要だが、植物ならそこら中に生えている! それを叩いて潰し、水に晒して繊維を解き、網ですくう……! できる、原理的には完全に可能だ! おい、その網の細かさはどれほどだ!? 乾燥させる際の温度は!? くそ、何故今まで思いつかなかった! おい小僧、もっとその情報を吐き出せ! 今すぐ試させろ!!」


バリスタが興奮のあまり、俺の胸ぐらを掴まんとばかりに鼻息を荒くして迫ってくる。ドワーフの怪力で迫られて本気で恐怖していると、今度は俺のすぐ隣から、聞き慣れた「別の種類の狂気の笑い」が響き渡った。


「クク……、クハハハハハ! 素晴らしい! あまりにも素晴らしいぞ、フジワラ!!」


オーエが突然、自身の美しい髪を天に掻き揚げ、その場で優雅にステップを踏むような奇行を見せながら大爆笑し始めた。こいつも完全にスイッチが入ってしまった。


「おいオーエ、お前まで何なんだよ!?」


「気付かないのか、フジワラ! 貴様が口にしたその『紙』という物体が、私の〈民主主義〉にどれほどの爆発力をもたらすかを! 高価な羊皮紙のせいで、文字も記録も特権階級(貴族や教会)のものだった。だが、誰もが手に入れられる『安価な紙』が大量生産されればどうなる!? 市民のすべてに『投票用紙』を配り、完璧な匿名性の選挙を行える! それだけではない、私の思想を印刷し、文字通り『新聞』や『ビラ』として帝国全土にばら撒くことができる! 思想の感染性を、紙という媒介に乗せて、一瞬で万民の脳髄へ伝えてやるのだ! クク、ハハハハ!」


「おいドワーフの老人! 貴様、今すぐその『紙』を創造しろ! 貴様のその神の如きクラフト能力で、我らの思想の刃(メディア)を鋳造するのだ!」


「言われずともやってやるわ、この小綺麗な小僧め! 植物の繊維を支配するなど、職人としての血が黙っておれるか! ああっ、クソッ、今すぐ鉄を叩くのをやめて、木をすり潰すための巨大な圧搾機と、繊維を漉し取るための極細の金属網を鋳造したくて身体が震えるわ!!」


深夜の鍛冶場で、互いにあらぬ方向を向きながら、身振り手振りを交えて絶叫し合う亡国の王子とドワーフの長老。

だが、その熱狂の渦中に、俺は冷や水をぶっかけるように、現実的な問題をぽつりと言い放った。


「……いや、盛り上がってるところ悪いんだけどさ。仮にその『新聞』ってやつを何万枚も刷ったとして、読める奴、この国にどれくらいいるんだ?」


ピキリ、とオーエの動きが止まった。


「さっきも言った通り、この世界って平民や亜人の識字率、めちゃくちゃ低いんだろ? なんぼ新聞を刷って配ったところで、文字が読めなきゃただの『お高そうな敷物』か『火をつける種』になって終わりじゃないか?」


「あ……」


オーエが、この世の終わりかというほどマヌケに口を開けた。

天才ゆえに、自分が「読める」からこそ、大衆が「読めない」という前提を失念していたのだ。思想の感染を引き起こすための媒介(かみ)があっても、それを受け取る識字力が人々に備わっていない。完璧に見えたオーエのプロパガンダ戦略が、手前で頓挫しかけた。


だが、俺は羊皮紙のノートの、擦れて読めなくなった名前を指でなぞりながら言葉を続けた。


「だからさ……。もしその『安くて大量に作れる紙』ってやつがそこら中に溢れたら、それを使って、みんなに文字を教えればいいんじゃないか? 今までは、羊皮紙が高すぎて文字の練習なんて貴族しかできなかったんだろ? でも、失敗してもゴミ箱にポイできるくらい安い紙があれば、平民だって、子供だって、誰でも文字を書く練習ができる。紙の普及が、この世界の『識字率』を底上げするんだよ。そうすれば、お前の新聞だって全員が読めるようになるだろ?」


「――ッ!!」


オーエの青い瞳が、今度こそ限界突破したかのように見開かれた。

彼はギリギリと歯を鳴らし、今度は自分の頭を両手で抱え込んでガタガタと震え始めた。奇行の第二波である。


「素晴らしい……! 恐るべき因果の逆転だな、フジワラ! 『読めるから紙を配る』のではない! 『紙が溢れるからこそ、万民が文字を学び、知的生命体としての尊厳を獲得する』というのか! 紙による教育の底上げ……これぞ、愚民を『市民』へと進化させる、真の精神革命だ! 文字を知った大衆は、もはや教会の教義や貴族の甘言に騙されん! 自らの頭で考え、自らの意志で私に一票を投じるようになる! クハハ、ハハハハハ!」


「おう、よう分からんが、その『かみ』とやらがあれば、ガキどもの寺子屋の道具まで俺たちドワーフの手で鍛造できるわけだな!? 面白い、面白すぎるぞ! おい人間ども、今すぐ俺の孫娘を助け出しやがれ!人質さえ取られてなければこんな面白い悪魔の発明、一刻も早く取り掛からねば職人の名が廃るわい!」


完全に置いてけぼりにされた俺とセクレタリアは、ただただ顔を見合わせ、引き気味に苦笑いするしかなかった。

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