2:帰る場所なき者たち
「……ダメ、でした。やっぱり、私たちがいくら手紙を送っても、里の結界を抜けて戻ってくる伝書鳥は一羽もいませんでした」
深夜の冷たい洞窟の奥。
案内役を務めてくれた金髪のエルフの少女――セクレタリアが、力なく羽を休める小さな鳥の背を撫でながら、ぽつりと呟いた。
孤児院の地下室に匿われていた一週間の間に、セクレタリアたちは自分たちの生存と救出を知らせる手紙を、エルフの隠れ里へと何度も飛ばしていたのだ。だが、返ってきたのは、里の入り口に張られた結界ではじき返され、ぼろぼろになって戻ってきた伝書鳥の姿だけだった。
「拒絶、されたんだな……」
俺――フジワラが呟くと、セクレタリアは悲しげに、しかし諦めたように頷いた。
「一度でも人間の奴隷にされ、その尊厳を汚された者は、不浄の存在。それが、森の古き掟なのです。それに、もし私たちを里に迎え入れれば、激怒した帝国軍に隠れ里の場所を突き止められ、種族そのものが絶滅させられる危険がある……長老様方の判断は、正しいのだと思います」
セクレタリアの後ろで、他のエルフたちからも小さな絶望の震えが漏れた。
せっかく鉄の檻を破り、心に灯した火を頼りに名前をノートに刻んだばかりなのに。待っていたのは、血を分けたはずの同胞からの、冷酷な「切り捨て」だった。帰る場所は、もうどこにもない。
そんなエルフたちの絶望を払拭するように、岩壁に寄りかかっていたオーエが、不敵な笑みを浮かべて前に進み出た。相変わらず服は泥塗れだが、その青い瞳には、夜闇をも圧倒するような傲岸不遜な輝きが宿っている。
「至極当然の帰結だな。伝統と血統、そして閉鎖的なコミュニティに依存する古き種族など、本質は帝国と何も変わらん。だが、絶望する必要は微塵もないぞ、エルフの戦士たちよ。里に拒絶されたのなら、貴様らにはもう、戻るべき『過去』などない。ならば、自らの手で『未来』を作るしかないではないか。あのノートに名を刻んだ時点で、貴様らはどこかの王や長老の臣民ではない。独立した『市民』なのだ。ならば、市民が自らの意志で暮らす場所――新たな『国』を、この地に打ち立てればいいだけの話だ」
「新しい、国……。私たちが、ですか……?」
セクレタリアが涙の浮かんだ目でオーエを見上げる。
だが、その言葉に真っ先に難色を示したのは、後ろに控えていた別のエルフの少女だった。
「……オーエ様、いえ、市民オーエ。お言葉ですが、私たちは衣服も家も、まともな武器すらありません。いくら森の知識があっても、この險しいディルガ山脈の真ん中で、家を建てたり、帝国に対抗するような防衛設備を作ったりする『生活基盤開発』の技術は、私たちエルフにはないのです。基盤がなければ、新しい国など……」
「そこなんだよな」
俺は荷車に腰掛けながら、ぽりぽりと頭を掻いた。
出発前に打ち合わせた内容。孤児院を脱出したあと、何故ここを目指したかを思い出しながら、無い頭をフル回転させ、言葉を探しながらエルフたちに語りかける。
「ほら……そもそも、俺たちがこのノルズ山脈にわざわざ来たのって、帝国の兵器工場にいるドワーフたちを解放するため、だっただろ? あいつらさ、物作りの腕に関しては本気で天才的だし、家でも、防衛設備でも、頼めば何だって作れると思うんだ。……だけど、今は工場に閉じ込められてるからさ、その、自分の食べる『食料』をどうしても用意できないし、それを外に売りに行くようなルートも持ってない。……だったらさ、こういうのはどうかな。お前たちが、その得意な森の知識を使って、山からみんなの分の飯を調達してくる。で、その代わりにドワーフたちが、お前たちの家とか武器を作る……。そうやって、お互いの足りない部分を物々交換みたいにして補い合えば、さ。国とまではいかなくても……みんながちゃんと生きていける場所くらいは、作れるんじゃないかって、思うんだよ」
俺が考えながら、少しつっかえ気味に放ったその素朴な思いつき。それを聞いた瞬間、エルフたちの表情が一瞬で険しく歪んだ。セクレタリアさえも、あからさまな嫌悪感を隠そうともせずに身を引く。
「ドワーフ、ですか……? あの、地べたを這い回り、泥と煤に塗れて、鉄を叩くことしか脳がない、傲慢で粗野な連中をですか?」
「私たちの神聖な森を切り刻み、炭に変えてきた仇敵です。いくら帝国に囚われているとはいえ、あんな連中と私たちが手を取り合うなど……絶対に不可能です!」
ファンタジーの定番通りというか、やっぱりこの世界でもエルフとドワーフの仲は最悪らしい。
だが、強烈な拒絶反応を示す彼女たちとは裏腹に、俺の隣にいたオーエの瞳が、ゾクリとするほど鋭く輝いた。
「――素晴らしい。素晴らしいぞ、フジワラ! 貴様は相変わらず、無自覚に恐ろしいシステムの本質を突く!」
オーエは自身の美しい前髪を乱暴に掻き上げると、興奮を抑えきれない様子でエルフたちを指差した。
「いいか、エルフの戦士たちよ! 嫌悪などというちっぽけな感情で、フジワラの提示したあまりにも完璧なロジックから目を背けるな! 貴様らが言った通り、ドワーフは生産力は最強だが、食いぶちを帝国に握られて生殺与奪の権を奪われている。対して貴様らは、隠密性と調達力はあれど、生活基盤を作る力がない。……これは人間が上から命令して働かせる『搾取』ではない。お互いが対等な『市民』として、それぞれの弱点を補い合うために契約を結ぶ――異界の言葉を借りるなら、これぞ『生産協同組合』という名の、新たなる社会システムだ!」
オーエは懐から『世界で最初のノート』をひったくるように奪うと、それをエルフたちの前に激しく突きつけた。
「思想だけでは腹は膨らまぬ。だが、この利害の一致による『経済的な連帯』が噛み合えば、それは帝国すら容易に破壊できぬ不滅の防衛共同体となる! 嫌い合うのは勝手だ、だが生き延びるために手を組め! 貴様らの『生きる場所』を勝ち取るために、あの頑固で、粗野で、世界一優秀な鉄の奴隷どもを、私たちのノートへ引きずり込むぞ!」
オーエの脳髄を灼くような熱弁と、フジワラの提示したあまりにも残酷で完璧な生存戦略を前に、エルフたちは驚いたように顔を見合わせ、言葉を失った。
「……はい、市民オーエ」
セクレタリアはドワーフへの難色を完全に拭い去れたわけではなかったが、その瞳には、自分の足で未来を掴み取ろうとする確固たる『市民』の意志の光が、強く、強く宿っていた。
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