目覚めは甘い檻の中で、不意打ちの朝食
カーテンの隙間から差し込む朝日が、瞼の裏を白く焼いた。
重い体を引きずるようにして意識を浮上させると、いつもとは違う「重み」と「熱」を全身に感じた。
「……ん……」
寝返りを打とうとして、体がびくともしないことに気づく。
それどころか、私の腰には太くて逞しい腕が回され、背中には驚くほど熱い胸板がぴったりと密着していた。
(……あ。そうだ、昨日の夜……)
昨夜の記憶が奔流のように押し寄せてくる。
人型になったアルが「暗くて冷たい」と怯えるから、仕方なく、本当に仕方なく隣に入れたのだ。なのに、今の状態は「隣で寝ている」なんて生ぬるいものではなかった。
完全に、彼という名の熱い檻の中に閉じ込められている。
「……アル。ねえ、起きて。もう朝よ」
小声で呼びかけ、回された腕を解こうとした瞬間。
耳元で、少し掠れた低い聲が響いた。
「……おはよう、主人。まだ、行かないで」
アルは起きるどころか、さらに力を込めて私を自分の方へと引き寄せた。
首筋に彼の鼻先が觸れ、熱い吐息が直接肌に當たる。
人形だった頃は、こんなふうに彼から「體溫」を感じるなんて想像もしていなかった。磁器のようだった肌は、今は私を火照らせるほどに生々しい。
「……っ、アル! 近すぎ……! 離してってば!」
「嫌だ。……昨日、主人の匂いに包まれて寝るのが、一番幸せだって気づいたから」
アルはゆっくりと目を開け、至近距離で私を見つめた。
朝の光を浴びた彼の銀髪は、寶石のようにキラキラと輝いている。
そんな眩しいほどの美貌で、寝起きの少しとろんとした瞳で見つめられたら、私の心臓がもたない。
「あなたはもう、ただの人形じゃないの。自覚しなさい!」
「自覚してるよ。……主人が好きすぎて、心がギュッてなる。これも、人間になった証拠?」
彼は私の手を掴み、自分の胸のあたりに持っていった。
ドクドクと、昨夜よりも強く、激しく打っている鼓動。
それが私に向けられた純粋な執著から来るものだと知って、顔から火が出そうになる。
なんとか彼をベッドから追い出し、私は逃げるようにキッチンへ向かった。
朝食の準備をして、少しでもこの「じれじれ」した空気を変えようとしたその時――。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴り響いた。
こんな朝早くに、一體誰だろう?
「あ、はーい……!」
寝癖を直す間もなく扉を開けると、そこには宅配便のスタッフ……ではなく、見覚えのある顔があった。
「おはよう! 近くまで来たから、例のアンティークの相談に……って、あれ?」
訪ねてきたのは、私の數少ない友人であり、アンティーク愛好家の男性だった。
彼は私の背後にいる人物に気づき、目を見開いて固まっている。
「……え、誰? その、君のパジャマを着てる超絶美形な男の子は……」
背後を振り返ると、アルが不機嫌そうに、でも私の肩に顎を乗せるような「獨占欲全開」のポーズで立っていた。
「……僕の主人に、何の用?」
友人の顔が、驚きから疑念へと変わっていくのが分かった。
無理もない。一人暮らしの女子大生の部屋から、朝っぱらになびく銀髪の美少年が現れたのだ。しかも、彼は私が昨日まで着ていたオーバーサイズのパジャマを、少し着崩した状態で纏っている。
「ちょっと、遼! 説明してくれよ。親戚って……こんなモデルみたいな親戚、聞いたことないぞ?」
「それは、ええと……遠い、そう、すごく遠い國の親戚で……!」
しどろもどろになる私の言葉を遮るように、アルが私の腰をぐいっと引き寄せた。
彼は私の肩に顔を埋め、深々と呼吸を繰り返した。
「……主人の匂いが消える。こいつ、嫌な匂いがする」
「アル! 失礼なこと言わないの!」
私が慌てて彼を引き剥がそうとしても、人間になった彼の筋力は、見た目の繊細さに反して驚くほど強かった。アルは私を背後に隠すように一歩前に出ると、友人を射殺さんばかりの冷徹な瞳で見據えた。
「帰れ。主人は今、僕の朝食を作っている最中だ。お前に分ける時間は一秒もない」
「ひっ……!」
友人はその気迫に押され、二、三歩後退りした。
なんとか友人を追い返し、バタンと玄関の扉を閉めた。
靜寂が戻った廊下で、私は大きくため息をつく。
「アル、さっきのはやりすぎよ。彼はただの友達なんだから」
「友達……? そいつは、主人に觸れる権利があるのか?」
アルは不満げに頬を膨らませ、私を壁際に追い詰めた。
「ないわよ、そんなの。でも、あんなに威嚇したら怪しまれるじゃない」
「……関係ない。僕は、お前のすべてを誰にも渡したくないんだ」
彼は私の頬を、壊れ物を扱うような手つきでそっと撫でた。
指先はまだ少しだけ冷たくて、でも爪の先まで血が通っているのが分かる。
「人間になるって、こんなに苦しいことだなんて知らなかった。胸の奧がずっと焼けるみたいに熱いんだ……ねえ、主人。これも、愛っていう『感情』なの?」
純粋すぎる問いかけに、私は言葉を失った。
人形だった頃の彼は、ただ見つめ合うだけで満足していたはずなのに。
人間になった今の彼は、それ以上の『何か』を渇望している。
私は、自分のパジャマのボタンを掛け違えたまま、満足げに椅子に座る元・人形の姿を見て、密かに頭を抱えた。




