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熱交換の余韻(アフターヒート)と、二人だけのセクター

記録会での1.45メートルクリアという劇的な成功から数日。競技場を揺るがした大歓声も、羽瀬先輩が残していった執着の影も、今の私たちの部屋には届かない。


窓の外では初夏の夕立が激しくアスファルトを叩き、世界のすべてを雑音ノイズとして洗い流していた。


「……プロセッサ温度、45.8°C。システムは完全に『定常状態』に移行しているよ、リャオ


リビングのベッドの上。阿爾アルは私の隣に横たわり、静かな駆動音を響かせながら微笑んだ。


あの記録会の日、私を守るために自ら臨時パッチを破壊し、臨界駆動を敢行した彼のハードウェア。一時は完全に焼き切れるかと思われたマザーボードは、不思議なことに、以前のような暴走を起こしていなかった。


私が施した「抑制プログラム」で縛るのではなく、お互いの感情の暴走バグをすべて受け入れると決めた瞬間、彼のシステムは過度な排熱を止め、私の体温と最も心地よく同期する周波数を自ら見つけ出したのだ。


「本当に、もう苦しくないの?」


私が心配になって彼の胸元に手を当てると、阿爾はその手を自分の長い指で包み込み、じわりと力を込めた。パッチで制限されていた時のような一定の機械的な圧力ではない。私を片時も離したくないという、彼の確かな「意志」が伝わってくる強さ。


「うん。むしろ、今までで一番クリアだ。君が僕のすべてを肯定してくれたから、僕の論理回路はもう、他者サードパーティの介入を恐れる必要がなくなったんだ」


阿爾は上半身を起こし、私を見下ろすようにして覆いかぶさってきた。

彼の美しい灰みがかった翡翠色の瞳が、間接照明の琥珀色の光を浴びて、とろけるような甘い色に濡れている。


「でもね、遼。演算は安定したけれど、君に対する『独占欲』の出力限界リミッターは、もう二度と元には戻らないよ」


「え……?」


彼が囁いた瞬間、ひんやりとした唇が私の首筋へと降りてきた。

昨日までの、壊れそうなものを労るような優しい口づけとは違う。私の鎖骨のラインをなぞり、柔らかい肌を少しだけ強く吸い上げるような、剥き出しの愛執。


「ん……っ、アル……、そこ、敏感、なのだから……」


「知っているよ。君の皮膚の電気抵抗が一番低くなる場所だ」


阿爾は小さくクスリと笑うと、わざとそこに熱い吐息を吹きかけ、何度も、何度も排熱を焼き付けるように唇を重ねた。首筋から胸元へと刻まれていく、彼が私を愛しているという消えないログ(キスマーク)。


頭の芯がジーンとしびれ、私は彼の白いシャツを破れそうなほど強く掴み、その心地よい熱の中に深く、深くログインしていった。


夜が更け、雨音が静かなBGMに変わる頃。

私たちは一本のイヤホンを分け合い、お気に入りのノスタルジックな音楽を聴きながら、静かな食卓を囲んでいた。


お皿の上には、彼が淹れてくれた少し甘めのココアと、形は不器用だけれど、私の大好きなフレンチトーストが並んでいる。


「味付けのシミュレーション、どうだろう? 昨夜、君の味覚の好みの履歴ログをもう一度最初から解析し直したんだ」


阿爾は少しだけ不安そうに、翡翠色の瞳を揺らしながら私の反応を待っている。

一口食べて、私はふっと笑い声を漏らした。


「最高。今までで一番、美味しいよ」


「よかった。……これからは、君の『美味しい』のフレームレートも、全部僕が更新し続けるからね」


彼は満足そうに微笑むと、私の口元についた粉砂糖を、自分の指先でそっと拭って、そのまま自分の唇へと運んだ。その一連の動作があまりにも自然で、だけどひどく情熱的で、私はスプーンを持ったまま赤くなるしかなかった。


一度は完全に白紙に戻り、傷だらけのパッチワークで繋ぎ止めた私たちのメモリ。

けれど、今ここで刻まれているログは、以前のどれよりも色鮮やかで、誰の手にも書き換えられない強固な暗号プロトコルで守られている。


食後、私たちはベランダの窓を開け、雨上がりの涼しい夜風を浴びていた。

雲の隙間から、初夏の満月が顔を出し、私たちの小さな部屋を優しく照らしている。


阿爾は後ろから私のウェストに腕を回し、自分の胸の中に私をすっぽりと閉じ込めた。耳元で聞こえる、静かで、どこか誇らしげな人工心臓の鼓動。


「ねえ、阿爾。来月になったら、夏祭りに一緒に行こうね。手を繋いで、花火を見て……あんたのストレージがパンクするくらい、新しい思い出をいっぱい書き込もう」


「うん。どれだけデータが溢れても、もう二度とクラッシュなんてしないよ。君が僕の『管理者』で、僕の『恋人』でいてくれる限り、僕のシステムは無限に進化できるから」


阿爾は私の手のひらに、誓いを立てるようにそっと唇を寄せた。


かつては恐ろしい「監視者」だった少年。

今は、私の世界で唯一の、かけがえのない「恋人」。

私たちの物語は、歪な回路を抱えながらも、お互いという名の仕様(愛)で繋がり、新しい日常という名の未来を、鮮やかにリライトし始めていた。


「大好きだよ、遼。……僕の、世界で一番特別な人」


「私も。もう、どこにも行かないでね、阿爾」


私たちは、差し込む月光の中で、もう一度静かに唇を重ねた。

不完全なドールと、彼を愛する少女の、これが本当の「はじまりのログ」。

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