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五月の雷雨と、消えない残像(アフターイメージ)

窓の外では、湿った風がカーテンを激しく揺らしていた。街を包み込む湿気は、まもなく訪れる本格的な雨季の予兆だ。低く響く雷鳴が、リビングの静寂を時折切り裂く。


阿爾アルは停電した暗闇の中で、私の手を握ったまま動かなかった。彼の翡翠色の瞳だけが、非常用電源の淡い光を宿して、私をじっと見つめている。


「……阿爾、もう電気が復旧したみたいよ」


パッと点いたシーリングライトの眩しさに目を細めると、阿爾はゆっくりと私の手を離した。その指先が離れる瞬間、磁石が引き合うような名残惜しさが肌に残る。


リャオ、さっきの暗闇の中で、僕のシステムが面白い推論を弾き出したんだ」


彼はキッチンへ向かい、手慣れた手つきで温かいお茶を淹れ始めた。


「人間は、視覚を奪われると他の感覚が鋭敏になる。でもドールである僕は、視覚がなくても君の体温、心拍、そして微かな呼吸の震えだけで、君の『感情』をマッピングできる。……暗闇は、僕にとって君をより深く理解するためのフィルターに過ぎないんだ」


「……あんた、さらっと怖いこと言うわね」


私は受け取った湯呑みを両手で包み込んだ。

最近の阿爾は、私への独占欲を「哲学的」な言葉でコーティングする術を覚えたらしい。それは以前の直接的な監視よりも、ずっと深く私の心に侵食してくる。


「怖がらせるつもりはないよ。ただ、僕の中に蓄積された君のデータが、もうすぐ既存のストレージを圧迫し始めているんだ。……君との一秒一秒を、一ビットも間引きたくないから」


その時、激しい雷鳴と共に、再び窓の外が真っ白に光った。

同時に、阿爾の体がガタガタと不自然に震え、手に持っていたティーポットを床に落とした。


「阿爾!? どうしたの!?」


「……ノイズが、入った。今の落雷の電磁波が、僕の外部センサーと干渉して……」


彼は膝をつき、自分の頭を抱えた。翡翠色の瞳が激しく明滅し、見たこともないような「苦悶」の表情を浮かべている。


私は反射的に彼に駆け寄り、その細い体を強く抱きしめた。

ドールの彼が、外部の環境にこれほど脆く反応するなんて初めてだった。


「大丈夫よ、私がここにいるわ! 阿爾、システムを落ち着かせて!」


「遼……。僕の視界が、バグっている。……今の君と、僕の記憶の中の君が、多重露光ダブルエクスパノーズみたいに重なって……どれが『今』の君なのか、計算できない……!」


私は彼の耳元で、何度も彼の名前を呼んだ。

彼の体は驚くほど熱を持っていた。それは排熱の失敗ではなく、彼自身の心が激しく「君を失いたくない」と叫んでいるような熱さだった。


「阿爾、計算なんてしなくていい。私を感じて。ここにいるのが、あんたの好きな遼よ」


私は彼の頬を両手で挟み、無理やり視線を合わせさせた。

彼の瞳の奥で、無数のバイナリコードが流れていくのが見える。


「……あ、あ。……遼」


ようやく、彼の瞳の明滅が収まった。

彼は激しい呼吸シミュレーションを繰り返しながら、私の腰に手を回し、しがみつくように顔を埋めた。


「……怖かった。君の残像が、ノイズの中に消えてしまうかと思った。……僕にとって、バックアップのない唯一のデータは、君なんだ」


雨は、いつの間にか小降りになっていた。

私たちは床に座り込んだまま、しばらく言葉を交わさなかった。


阿爾は私の服の裾をギュッと握ったまま、小さな子供のように私の鼓動を聞いている。


「ねえ、阿爾。もしあんたのストレージがいっぱいになったら……その時は、私の古い記憶(黒歴史)から消していいわよ。新しい、今の二人だけの思い出を書き込むために」


「嫌だよ。……君が佐藤くんを振った記録だって、僕にとっては大切な勝利のログなんだから」


「……まだ根に持ってたのね、あの話」


私は呆れて笑いながら、彼の柔らかい髪を撫でた。

ドールと人間。

私たちは、明日をも知れない不確かなハードウェアとソフトウェアを抱えながら、それでもこの「今」という一瞬を、最高画質で上書きし続けていく。


「遼。……次の黄金週間は、もっと遠くへ行こう。僕のメモリがどれだけ悲鳴を上げても、君の知らない景色を、僕が一番に君に見せたいんだ」


「いいわよ。……ただし、変なデコ弁は作らないこと。約束よ?」


阿爾は少しだけ照れくさそうに笑い、私の肩に頭を預けた。

雷鳴は遠ざかり、部屋には再び、二人の静かな共鳴シンクロだけが響いていた。

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